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【タイ】そして復興住宅はゴーストタウンになった

Global News Asia / 2015年9月5日 17時0分

ゴーストタウンと化した復興住宅。住民のいない家屋は島の豊かな緑に覆われ、南国の風雨にさらされて、朽ち果てるのも早い。(そむちゃい吉田 撮影)

 2015年9月5日。タイ南部パンガー県のインド洋に面して浮かぶプラトーン島。ここはかつて津波に襲われ、島最大だった約100世帯の村が丸ごと消失し、多くの被災者が出た場所だ。

 その後住民のために復興住宅が建設されたが、今はゴーストタウンと化している。なぜ、住民たちはそこに住むことができなかったのだろうか。

 プラトーン島は、タイ南部パンガー県の北部にあり、プーケットから車で約4時間、クラブリの街からさらに船で30分ほどの沖合に浮かぶマングローブと豊かな自然が手つかずに残る島だ。

 2004年12月26日に津波の直撃を受けたプラトーン島は、北部にあった約100世帯ほどの村が全滅した。それはまさに消滅という表現ができるほどだったという。多くの犠牲者を出しながらも、生きながらえた人々はクラブリ周辺の仮設住宅で避難生活を送った。

 避難生活は、国や世界各国のNGOからの救援物資が集まり、ほとんど不自由は無かったという。しかし数カ月後、そこに避難していた住民たちは、無断で島へと帰って行った。慌てた当局は、まだ安全が確保できていないという理由で住民たちを連れ戻した。

 津波に被災するまで島民たちは電気はないものの、漁と錫の採掘精製で、自然とともに豊かに暮らしていた。家は津波で破壊され尽くしたが、その家も周辺の樹々を切り出して簡易に作られたもの。住民たちは、連れ戻された後も2度に渡って、当局の要請を無視して帰島して行った。

 そんな島の人々に対して、国際団体が約150世帯の復興住宅を提供したのは、津波被災から3年後のことだった。学校の校舎やコミュニティーセンターも同時に建設され、ひとつの街として機能するように設計されていた。はじめ多くの家族が申込み、計画は成功するかと思われた。しかし、現地の状態を知った住民たちは、そこに住むことを諦めた。

 いくつか原因は挙げられているが、一つは本土へ渡る港までが遠く、島をほぼ横断しなければ行けなかったこと。また、ガスの供給がなく、プロパンガスを本土まで調達しなくてはならなかったことも最大の原因と言われている。そして、港が遠いということは、漁を生業とする島民にも、不便とされてしまった。その後、観光客の宿泊所として再利用が試みられたが、一時的に集客したものの長くは続かなかった。

 そして、今この住宅街には、周辺地域の自然を研究するために滞在する欧米人の学者のほか、近くの建設事業などで雇われた10組ほどの家族が仮の住まいとして暮らしているだけになっている。

 もともと消失した村を再現するはずだったこの復興事業。しかし、その用地には支援団体の会員が所有していた土地が充てがわれ、村人の意見、意向を顧みることはなかった。住民不在で進められた事業は、多くの善意、厚意が無駄になってしまった例として、今も支援団体の名称がそのまま村名となり「ライオン村」と呼ばれている。

 タイの復興事業は、被災者、住民、民間団体、そして国や自治体がお互いを補いながら進められた好例が多い。しかし、このような失敗例もある。

 この事例は復興が進まない国に多い事例と酷似していないだろうか?
【取材/撮影 : そむちゃい吉田】

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