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「視聴率がとれないジャニーズ」を変えた飯島マネージャーが考えていたSMAPの将来

メディアゴン / 2016年1月20日 12時48分

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

* * *

ジャニーズ事務所のアイドルは皆人気者である。テレビ屋はこう言う人気者が出現すると必ず、メインに据えて番組を作れば当たると言う幻想にとりつかれる。だが人気者が出演するだけで視聴率が取れるほどテレビは甘くない。

ジャニーズ事務所のアイドルを使ったバラエティ番組は当初、ことごとく視聴率が取れなかった。この時代はまだ世の中に「お茶の間で家族揃ってテレビを見る」という古き形態が存続しており、老若男女すべてが見ないと視聴率は上がらなかったためだ。

30%を越える番組がザラにあった時代であるが、若い層にしかファンのいないジャニーズ系アイドルの視聴率は1ケタだった。

さらに、ジャニーズ系のアイドルを使って、番組をつくっているのは主にテレビ局の音楽班であった。先輩放送作家は筆者に「バラエティとは歌舞音曲のことである」と教えてくれたが、この歌舞音曲のうちジャニーズ系のアイドルは歌舞音の3つまで、日本のトップレベルを行っている。

ところが「曲」が出来ないのである。曲にはマジックや曲芸が含まれている。さらに色物すべてが含まれ、特に重要なのは笑いやコントである。笑いやコントの訓練を積んでいないのだから当然である。

この頃から筆者もジャニーズ系の笑いに放送作家として関わることになったが、ジャニーズ系では、視聴率が取れないことが定説になりつつあった。番組を持たせてくれるのは「東京12チャンネル」だけというような状態ですらあった。

1980年(昭和55年)に、たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)がメインを務めた「たのきん全力投球!」(TBS)という番組があった。たのきんと同世代の女性アイドルたちを毎回ゲスト出演させてからませ、番組内ドラマを配すると言う意欲的な構成。ジャニーズ系番組があたる方向を暗示する番組だった。

当然ながら SMAPの番組も当初は低迷した。1988年(昭和63年)デビューのSMAPが番組出演者としてブレークスルーをするきっかけをつかむのは1992年開始の「夢がMORIMORI」(フジテレビ)である。

メインはタイトルからわかるように、森脇健児と森口博子。SMAPの中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行(当時)草なぎ剛、香取慎吾はそえものである。フジテレビ全盛期のバラエティ班の演出であった。

これが後の「SMAP×SMAP」(1996・フジテレビ)の大ヒットに繋がるのである。そこに存在したのが飯島三智マネジャーである。「SMAP×SMAP」のヒットがあったからこそV6の「学校へ行こう」(1997・TBS)のヒットがあり、 TOKIOの「ザ!鉄腕!DASH!!」(1998・日本テレビ)の興隆があり、嵐がある。筆者は香取慎吾の仕事で飯島三智マネジャーと初めてあったが挨拶は、

 「自由に使って香取を面白くしてやって下さい」

だった。非常に好感を持った覚えがある。

事ほどさように飯島氏はスマップの仕事に垣根を設けなかった。一度信用した制作陣をならばとことん信じてタレントを預ける、そういうスタンスのマネジャーだと言う印象である。

SMAPの中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾は単独で番組の司会が出来るようになり、ひとりひとりがドラマで主演を張れる役者に育った。ただし、主演格なので将来、脇役に回るというようなつぶしはきかない。

例えば「真田丸」の配役において主役・堺雅人(真田幸村)の父、昌幸役は、三谷幸喜組と言うことなら役所広司がやってもいいわけだが、役所広司は主役しかやらない。この役を演じた草刈正雄さんも主役を張る役者だったがここでは脇に回って名演を見せている。

「スターウォーズ/フォースの覚醒」ではハン・ソロとレイア・オーガナの息子、カイロ・レン役には、レオナルド・ディカプリオをイメージしていたそうだがディカプリオは脇役をやらない。役者には番手というものがある。主役を張り続ける道を選ぶか、脇に回る決心をするか、それはマネジャやーと本人が決めるのである。

飯島氏はSMAP人気はいつまでも続かないと思っていた節がある。おそらく、脇も出来る役者に育てようという気持ちもあったのではないか。

ジャニー喜多川氏のいわば「特許」(http://mediagong.jp/?p=14598)によって生み出されたSMAPは、急速に陳腐化していく危険がある。ここに自分の考えた「実用新案」を次々に適用して新生SMAPに脱皮させ続けていかないとSMAPに未来はない。そう飯島氏は思っていたのではないか。

自動車にたとえるならこうだ。

ジャニー喜多川は自分の「特許」でSMAPというカローラを作った。しかし今のSMAPは、もはやカローラではない。飯島氏の注力でいまやレクサスというカローラとは似ても似つかぬ高級車に変貌した。ジャニーズ事務所に巨額の利権をもたらしているのはカローラではなく、レクサスだ。

「レクサス(=SMAP)はもはや私の特許である」と、飯島氏が考えるのは自然なことのように思われる。

ノーベル物理学賞を授賞した中村修二氏は日亜化学工業の研究者時代に世界に先駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードを発明・開発した。しかし特許権がどちらに帰属するかを巡り会社と対立し、裁判となった。結局、中村は会社を捨てた。

ジャニーズ事務所と飯島氏の間にも同じことが起こったのであろう。退社した中村氏はカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任したが、飯島氏は芸能界から身を引くと報じられている。

もちろん、ここまで書いてきたことは推測である。ジャニーズ事務所と飯島氏の間に何があったのか。SMAPのメンバーは何を思いどう動いたのか?

それが知りたくて急遽「生放送でSMAPが語る」と宣伝された、1月18日「SMAP×SMAP」を見た。見たが何も分からなかった。いや、映像と発言から多くのことが分かったと言っておこう。

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