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暴動被害35億円!中国人に説いた「利他の心」 -平和堂

プレジデントオンライン / 2015年3月5日 16時15分

平和堂社長 夏原平和氏●1944年、滋賀県生まれ。68年同志社大学法学部卒、平和堂入社。70年取締役、75年専務、83年副社長。89年より現職。

京セラ発のフィロソフィと部門別採算制度という2大稲盛メソッドを国内外のあらゆる企業・団体が採用している。加速度的にコストが下がり、飛躍的に業績が上がる奇跡の現場に密着。

若手経営者が集まって稲盛さんの経営哲学を学ぶ勉強会「盛友塾」ができたのは、約30年前のことです。盛友塾は盛和塾と名前を変え、国内54塾、海外16塾、計7800人の大組織になりました。私はごく初期の頃から塾長の稲盛さんの謦咳に接してきた一人でもあります。

しかし、長く勉強していることと塾長のフィロソフィーを血肉化できていることは、決してイコールではありません。塾長はいつも、こう言います。

「これも勉強した、あれも知っている。それだけでは勉強したことにはならない。勉強は、実践してみて初めて値打ちを持つ。もっと真剣に勉強せんかい」

そんな塾長の言葉を実感する出来事がありました。

2012年9月15日――。

平和堂は中国湖南省に3つの百貨店を出店しています。そのすべての店が、暴徒によって略奪され、破壊されたのです。

15年前、平和堂が湖南省に出店を決めたのは、本社のある滋賀県と湖南省が姉妹都市の関係にあったからです。これまでにも小さなトラブルはありましたが、いずれの場合も省や市が率先して守ってくれ、大きな問題にはなりませんでした。それなのに、なぜ今回だけ。にわかには信じがたい思いでした。

■8日後に現地へ「僕が行かねば」

情報は断続的にしか入りませんでした。しかもより悪い知らせもありました。暴動の3日後の18日に、満州事変の発端となった「柳条湖事件」の記念日を迎えるというのです。現地では、より大きな反日デモが予想されました。破壊された店舗の写真を見たとき、私の頭に「こんなとき、塾長ならどうするか」という思いがよぎりました。すると、塾長の教えが、自然と口を突いて出てきたのです。

「大きな危機や大きなトラブルが起きたときは、トップが先頭を切らないかん。トップが現場に急行して、問題解決に当たらないかんのや」

会社の将来に対して、最も強い責任感と使命感を持っているのはトップです。現地が危険だから。状況が困難だから。そんな理由でトップが逃げれば、問題解決は絶対にできません。

「僕が行かないかんな」

部下たちは「いま行くのは危険すぎる」と反対しました。しかし、日本本社の社長が直接説明しない限り、現地の社員は安心できないだろうと思いました。ただし大勢を連れて行くのは危険です。建物が相当な被害を受けているということもあり、私は、建設担当の課長と2人での現地入りを決めました。

事件から8日後の23日、長沙空港に到着しました。通関で日本のパスポートを見せると、職員たちから「リーベンレン(日本人)」と声をかけられ、別室で手荷物の検査を受けました。これまで半年に一度は中国を訪れていましたが、いつもとは雰囲気が違う。これは警戒しなくてはいけないな、と思いました。

空港からは直接ホテルに向かいました。部屋は、用心のため中国人社員の名前で確保したものです。当時、平和堂の社員は、現地で標的にされていました。日本人の総経理は、宿泊先の情報をネットに書き込まれたため、10日間で4回もホテルを替えている、という話でした。

現地の情報を知るほど、「撤退」という二文字が頭をちらつきました。しかし湖南省の幹部は「今後はわれわれが必ず店舗と従業員を守る」と約束してくれました。私はこの言葉を信じようと思いました。

店を続けるうえでは、反日感情の高まりが、会社への不満にすり替わることが、一番の問題でした。現地の人たちの力を借りずに、百貨店は経営できません。実際、他の日本企業では、社員が工場を休んで反日デモに参加したり、反日デモがいつの間にか賃上げストに変質したと聞いていました。

■日本人以上に中国人を愛する

私は30人の幹部社員を集めました。このうち日本人は8人。ほかは現地採用の中国人です。そして平和堂の創業者である夏原平次郎会長の写真を見せ、会長が長沙市の名誉市民賞を受賞した経緯を説明したのです。

「なぜ、平和堂がこの長沙市に進出したのか。それは金儲けのためではありません。商品が豊富にあり、日本流の『おもてなし』の心があり、楽しい買い物ができる。そんなお手本となる百貨店をつくってほしい。湖南省政府からそう要請を受けたからです。この写真は、その功績から会長が名誉市民賞を授与されたときのものです」

念頭には、塾長のフィロソフィーの中核をなす「利他の心」がありました。もし平和堂が金儲けだけを考えていれば、社員も「それなら、自分にはいくら分け前をくれるんだ」と不満を持つはずです。拝金主義では人を説得できません。反日感情が高まっているこの状況では、なおさらです。納得してもらうには、進出の目的は、利己ではなく利他の心だと説明する必要がある。そう考えました。

事実、平和堂は湖南省で最も信頼性が高く、サービスのよい百貨店として認知されています。また地域に診療所をつくるために、この5年間で約3000万円を寄付しています。それは「利他の心」によるものです。

そしてもうひとつ、私が伝えたかったことは、「会社は社員を幸せにするためにある」という塾長のフィロソフィーを、平和堂が実践してきたことでした。

平和堂は、これまでにたくさんの中国人社員を研修生として日本に招いています。歓迎会を開き、カラオケで一緒に歌い、日本人社員と同じか、それ以上に大切に思ってきました。

中国では、従業員は簡単に会社を見限ります。このため離職率が極めて高い。その中国にあって、社員を手厚く登用した結果、幹部クラスの約半数が定着してくれていました。高い報酬を用意するだけでは、こうした結果は得られません。だから、私はこう続けたのです。

「みなさんと一緒になって頑張り、お客様がたくさん来てくれる店になりました。それなのに、こんなことで店を壊されてしまって、私は本当に悔しい」

すると、幹部たちは、涙を流しながら、こう言いました。

「社長、安心してください。われわれが頑張りますから。もう一度、立て直しましょう」

(上)修復作業を終えた平和堂百貨店の全景。(下)1カ月半ぶりの営業再開を前に、緊張した表情で朝礼に臨む従業員。10月27日。

私は3つの店舗でも同じ話をしました。従業員たちは力強く再起を誓ってくれました。ある女子社員は、私が握手を求めると、中国語で「頑張ります」と言いながら泣き崩れました。そんな姿を見て、私は盛和塾での勉強が、ようやくひとつ稔ったことを実感したのです。

3つの店舗での被害総額は、テナント部分を含めると約35億円に上りましたが、撤退の不安を払拭するため、約2カ月間の休業期間中は、従業員には給与を全額支給しました。今回の暴動が原因で辞めた従業員はひとりもいません。今年には同じ湖南省で4店目の開業を計画しています。

(平和堂社長 夏原 平和 山田清機=構成 永井 浩=撮影 共同通信、時事通信フォト=写真)

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