陸上男子20キロ競歩で7位に入賞した池田向希選手(26)=旭化成。東京五輪で銀メダルを獲得後も、「もっと上を目指さないといけない」と努力を重ねてきた。
静岡県出身。長距離走の選手だったが、浜松日体高校(浜松市)に進んだ後、当時の陸上部顧問から「競歩をやらないか」と誘われた。父茂さん(55)は「こつこつ真面目に練習していた。誘ってもらって良かった」とほほ笑む。
顧問を引き継ぎ、指導した北條尚教諭(37)は、競歩を始めた当初の池田選手について、「速かったが、光るものがあるかと言われたら、なかった」と振り返る。
当時の陸上部には競歩の選手が少なく、池田選手は長距離選手と一緒に1000メートル走などの練習を重ねつつ、外部の強化合宿などに積極的に参加した。週末には自主的に競歩の練習を行っていたといい、茂さんは「今でも帰省したら『30分~1時間くらい歩いてくるわ』と出ていくことはよくある」と話す。
頭角を現したのは、高校3年の県大会だ。競歩は決まった歩型で歩き続けなければならないが、北條教諭はこれまでの失格経験からナーバスになっていた池田選手に、安全に、攻めずに挑むよう勧めた。結果は自己ベストを1分半ほど更新しての2位。トップとの差は3~4秒差しかなかった。
北條教諭は「自分で考えるように」と指導してきたという。「周りの選手やコーチの意見を吸収し、自分のものにしていたのではないか」と語っていた。
[時事通信社]