神戸市で開催された阪神大震災の追悼行事で、遺族代表として追悼の言葉を述べた小学校教諭の長谷川元気さん(38)=同市垂水区=は、地震で母と弟を亡くした。「大切な人はある日突然亡くなってしまう。後悔のないように今できる備えをしてほしい」。今は語り部団体の代表として、被災経験を通じた身近な人の大切さや災害への備えを伝えている。
地震が起きた30年前、小学2年生だった長谷川さんは、両親と弟2人の5人で住む同市東灘区の木造アパートで被災。建物は全壊し、寝ていた母の規子さん=当時(34)、弟の翔人さん=当時(1)=が家具の下敷きになり亡くなった。
その日の夕方、避難先の公園のベンチで父に2人の死を知らされ、泣くことしかできなかった。「もっと母の手伝いをしたり、翔人と遊んであげたりすればよかった。もっと2人の笑顔を見たかった」と後悔した。
「お母さんと一緒にご飯作るねん」。地震後、友人の何気ない言葉にも悲しくなった。運動場の隅で1人で泣いていた時、担任教員が横に座り「大丈夫、頑張れるよ」と元気づけてくれた。「こんな思いやりのある人になりたい」と、長谷川さんは教員への道を志した。
大学2年の時、卒業した中学校で震災体験を話す機会があった。「自分が感じたことを話せば、震災を知らない世代にもちゃんと伝わる」と実感した。その後、教員になり、神戸が拠点の「語り部KOBE1995」に2014年から参加。22年には代表になり、全国の小学校などで被災経験を語り継ぐ。
30年間毎日欠かさず、母と弟の仏壇に手を合わせる。遺族代表を引き受け、「2人がこの世にいたこと、その人生が失われたことを伝えるね」と話し掛けた。震災から30年。記憶の風化が懸念されるが、「悲しみは時とともに薄れたり、消えたりすることはない」。これからも語り続け、「被災者の気持ちをしっかり引き継いでいく」と決意を新たにした。
[時事通信社]