【AFP=時事】いてつく洋上をボートで2か月以上漂流したロシア人男性が14日、出発地点から約1000キロ離れたオホーツク海(Sea of Okhotsk)で漁船に発見された。一緒にボートに乗っていた兄と10代のおいは漂流中に亡くなったという。メディアによると、生還した男性の体重は、約100キロから50キロに減っていた。
運輸検察庁によると、発見されたミハイル・ピチュギン(Mikhail Pichugin)さん(46)は8月9日、ロシア極東ハバロフスク(Khabarovsk)地方からサハリン(Sakhalin)島へ向かって、膨張式の双胴船(カタマラン)に乗り出発した。
同船は14日午後10時ごろ、オホーツク海を漂流していたところを発見された。出発から66日がたっていた。
検察が投稿した動画には、ライフジャケットを着用し、ひげの伸びた男性が、漁船員に向かって「もう力がない」と叫びながらもロープをつかむ様子が映っていた。
兄のセルゲイさん(49)とおいのイリヤさん(15)の遺体はボートの中で発見された。
3人が行方不明になった数日後から航空機で捜索を開始した救助隊は、ボートがカムチャツカ(Kamchatka)方面に流されたと疑っていた。
ピチュギンさんの妻、エカテリーナさんは国営ロシア通信に「これは一種の奇跡だ」と述べ、「体重が約100キロあった」ことで夫は救われたのかもしれないと語った。
運輸調査官によると、ピチュギンさんは安全規則違反で7年以下の禁錮刑を科される可能性がある。
ロシア当局に近いテレグラムチャンネル「BAZA」によると、一行は約20リットルの水を積んでいた他、雨水を集め、乾麺や豆類を食べていた。またピチュギンさんが漁船員らに対し、9月初旬においが死亡した後、約3週間は兄も生きていたと語ったと報じた。
2人は長時間座っていたために褥瘡(じょくそう)ができ始め、兄は体を洗おうとしていてつく海に落ちた。ピチュギンさんは兄を引き揚げたが、間もなく死亡したという。
ピチュギンは兄とおいの遺体が流されないようにボートに縛り付け、また発見されやすくするために、2人のライフジャケットをボートの側面に掛けた。
兄弟はシベリア(Siberia)のウランウデ(Ulan-Ude)出身だが、ピチュギンさんはサハリンで運転手として働いていた。メディアが報じた親族の話によると、ピチュギンさんは兄とおいを招いてクジラを見るための海の旅を計画していた。
【翻訳編集】AFPBB News
運輸検察庁によると、発見されたミハイル・ピチュギン(Mikhail Pichugin)さん(46)は8月9日、ロシア極東ハバロフスク(Khabarovsk)地方からサハリン(Sakhalin)島へ向かって、膨張式の双胴船(カタマラン)に乗り出発した。
同船は14日午後10時ごろ、オホーツク海を漂流していたところを発見された。出発から66日がたっていた。
検察が投稿した動画には、ライフジャケットを着用し、ひげの伸びた男性が、漁船員に向かって「もう力がない」と叫びながらもロープをつかむ様子が映っていた。
兄のセルゲイさん(49)とおいのイリヤさん(15)の遺体はボートの中で発見された。
3人が行方不明になった数日後から航空機で捜索を開始した救助隊は、ボートがカムチャツカ(Kamchatka)方面に流されたと疑っていた。
ピチュギンさんの妻、エカテリーナさんは国営ロシア通信に「これは一種の奇跡だ」と述べ、「体重が約100キロあった」ことで夫は救われたのかもしれないと語った。
運輸調査官によると、ピチュギンさんは安全規則違反で7年以下の禁錮刑を科される可能性がある。
ロシア当局に近いテレグラムチャンネル「BAZA」によると、一行は約20リットルの水を積んでいた他、雨水を集め、乾麺や豆類を食べていた。またピチュギンさんが漁船員らに対し、9月初旬においが死亡した後、約3週間は兄も生きていたと語ったと報じた。
2人は長時間座っていたために褥瘡(じょくそう)ができ始め、兄は体を洗おうとしていてつく海に落ちた。ピチュギンさんは兄を引き揚げたが、間もなく死亡したという。
ピチュギンは兄とおいの遺体が流されないようにボートに縛り付け、また発見されやすくするために、2人のライフジャケットをボートの側面に掛けた。
兄弟はシベリア(Siberia)のウランウデ(Ulan-Ude)出身だが、ピチュギンさんはサハリンで運転手として働いていた。メディアが報じた親族の話によると、ピチュギンさんは兄とおいを招いてクジラを見るための海の旅を計画していた。
【翻訳編集】AFPBB News