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【ネタバレ解説&考察】『ジョーカー2』賛否両論の衝撃ラスト アーサーは本当にジョーカーだったのか

シネマトゥデイ 映画情報 2024年10月15日 18時2分

 全世界で賛否両論の渦を巻き起こしている話題作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が、日本でも公開された。映画を観たファンの反応はさまざまで、特に衝撃のエンディングは受け手によって意見が大きく割れた。ここでは、海外メディアの反応、トッド・フィリップス監督の発言を確認しながら、エンディングの意味を考える。(本記事はネタバレを含みます。映画をまだ観ていない方はご注意ください)

同じ部分に注目しても、正反対の意見が出てくる

 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(以下『ジョーカー2』)についてのさまざまな論評が出揃った今、かなりザックリまとめると、否定的な意見は主に下記のようなものだろう。

 「これは、私たちが期待した『ジョーカー2』ではない。続編は、前作のクライマックスで、ゴッサム・シティが混乱に陥ったところから始めることもできたはずだ」(Variety)

 「『ジョーカー』には、大きなアイデアと主人公への深い共感があったが『ジョーカー2』はより小さく、視野が狭い。前作にあった、アーサーの爆発のような変身が、転換期のゴッサム・シティの状況を映し出している、という感覚が失われている」(Total Film)

 一方で、こうした否定的意見が問題視する部分を、肯定的に捉える論評もある。

 「トッド・フィリップス監督と共同脚本のスコット・シルヴァーには、続編を、通常はありがちな、前作のリメイクのような作品にはしない、という度胸がある」(Time Out)

 「『ジョーカー2』はジョーカーの決定的な物語ではないが、このキャラクターの化粧した顔と傷ついた肌の下に、これほどまでに深く潜り込んで描いた作品は、他にはない」(Empire)

 このように、同じものを観ても正反対の見方ができるのも、この映画の大きな魅力だ。

衝撃的なエンディングの意味

 こうした正反対の意見が出てくる背景には、ラストシーンの衝撃の大きさもあるだろう。映画終盤、裁判で死刑を宣告され、アーカム矯正施設で静かな日々を過ごしていたアーサー(ホアキン・フェニックス)は、若い受刑者(コナー・ストーリー)にナイフで腹部を刺されてしまう。アーサーは目を見開いたまま倒れており、そこで息絶えたように見える。

 そこで、ここまで観客の共感を得て物語を引っ張ってきた主人公を殺すのは納得できない、という意見は多く、まったくその通り。そのうえで、このラストを読み解くために押さえておきたいことが、2つある。

 まず1つは、若い受刑者がアーサーをナイフで刺すときの言葉、「報いを受けろ、クソ野郎!」が、『ジョーカー』でアーサーが、トーク番組で司会者マレー(ロバート・デ・ニーロ)を撃つ時の言葉と同じだということ。これは、彼が“ジョーカー誕生の瞬間”をやり直しているように見える。

 2つ目は、倒れたアーサーの背後で(映像はぼやけているが)アーサーを刺した受刑者が、笑いながらナイフで肉を切るような音をたてていること。この音から、受刑者が自分の口の両端を切り裂き、『ダークナイト』のジョーカー(ヒース・レジャー)のような口元になったのではないかと想像させる。

 この2つを踏まえて、あのラストの意味を、アーサーはジョーカーではなく、アーサーはジョーカーのインスピレーションの元となった存在であり、この囚人がジョーカーになると解釈する意見も多いのだ。

 「アーサー・フレックは死んだが、それは、真のジョーカーの誕生にも思える」(米IGN)

 「『ジョーカー2』は、アーサーを殺した本物のジョーカーによる、新たな時代の夜明けを示唆している。私たちのアンチヒーロー、アーサーは死んだが、社会から阻害された者、屈辱の道化師は、常に存在し続けるのだ」(Entertainment Weekly)

トッド・フィリップス監督の証言

 メガホンを取ったフィリップス監督は、こうした解釈を裏付けているような発言を Entertainment Weekly に残している。

 「アーサーは、看守たちが彼を応援する若い囚人を殺したとき、ドレスアップして化粧しても、何も変わらないということを理解した。彼は、自分はいつもアーサー・フレックだった、ゴッサムの人々が彼を見て思い抱いたような概念を体現する存在ではなかった、という事実を受け入れるんだ」

 つまりジョーカーとは、アーサーではなく、そればかりかある個人でもなく、“ゴッサムの人々が抱いた概念”だと指摘しているのだ。

 振り返れば『ジョーカー』から、ジョーカーはゴッサムの虐げられた人々の共有する概念だった。自分はジョーカーだと名乗ったのはアーサーだが、彼自身よりも、彼を見て興奮した人々が暴れ回る。ピエロの扮装をした人々が、街中で暴動を起こす。後にバットマンになる幼いブルース・ウェインの両親を撃ち殺すのは、アーサーではなく、暴徒の中の一人、ピエロの仮面を被った無名の男なのだ。

 『ジョーカー2』では、ジョーカーはすでにアーサーを離れて、さらに増殖している。リー(レディー・ガガ)は、アーサーではなくジョーカーに恋をする。矯正施設内の受刑者たちも、テレビでジョーカーを見て騒ぐ。裁判所の前に集まる大群衆の中にも、多数のピエロの面を被った人々がいる。アーサーの裁判中に法廷に爆弾を投げ入れたのも、彼らの一員だろう。爆発後、逃走したアーサーを助けようとする青年もジョーカーの扮装をしている。彼らはみな、ある意味でジョーカーなのだ。その中の一人が、矯正施設にいるアーサーがジョーカーであることを辞めたのを見て、自分自身がジョーカーという概念を体現する人物になる。アーサーがジョーカーを降板しても、ジョーカーは止まらない。本作はそういう物語にも見えるのではないだろうか。

 そう考えると、この物語はひとつのスーパーヒーロー論にも見えてくる。スーパーヒーローは、ある個人ではなく、人々が抱くある概念が擬人化された存在なのではないか。だから、2代目、3代目という考え方が成立するのではないか。フィリップス監督自身が意識したかどうかはさておき、そうした観点から本作を見直すのも興味深い。(文・平沢薫)

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は全国公開中

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