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「普遍的な愛は家族間にのみあるわけではない」アレクサンダー・ペイン監督「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」インタビュー

映画.com 2024年6月22日 9時0分

 名匠アレクサンダー・ペイン監督が、「サイドウェイ」でもタッグを組んだポール・ジアマッティを主演に迎えて描いたドラマ「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」が公開された。

 第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが助演女優賞を受賞した本作は、1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校を舞台に、生真面目で皮肉屋、家族のいない教師ポールと、母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生アンガス、自分の息子をベトナム戦争で亡くした寄宿舎の食堂の料理長メアリーの3人が、2週間のクリスマス休暇を過ごすことになる、という物語。アレクサンダー・ペイン監督のインタビューを映画.comが入手した。

――多くの人が家族と過ごすクリスマスに3人だけが学校の寄宿舎に取り残されるというこの物語は、どのようにして生まれたのでしょうか?

 12~13年ぐらい前、マルセル・パニョル監督の「Merlusse(原題)」(1935)というフランス映画を観て、それがずっと頭から離れませんでした。この映画と話は違うけど基本的な設定は似ていて、映画にするには面白いなと思ったんです。アイデアとして書き留めておいたんですが、自分にはいわゆるエリートの寄宿学校のような場所で過ごした実体験がなくて、リサーチも必要なこともあってそのままになっていました。

 そうしたら、5年ぐらい前にデビッド・ヘミングソンが書いたTV用のパイロット版の脚本が送られてきたんです。話してみると彼も「Merlusse」のファンであることが分かり、そのことはふたりにとって大きな贈り物でもありました。それで、「僕が出すアイデアを元に長編映画の脚本を書いてもらえませんか?」とお願いしたところから始まりました。

――1970年という時代を選んだ理由を教えてください。

 時代モノの映画を一度は作りたいと思っていました。今のアメリカには男子だけの全寮制の学校がなくて共学だけなんです。それもあって、デビッドと話す中で設定として時代モノになるだろうと一致していました。その上で、70年代というのは、政治や社会的な背景として興味深いものがあると思います。脚本を書く上でも、背景としてベトナム戦争というものがよいツールになるというのはありました。登場人物が徴兵されるという直接的な描写がなくても、映画が描く3人は戦争を含めてこの時代に起きていることの影響を受けるわけですから。

――映画を観た多くの日本のメディア関係者たちが、笑って泣いて、「自分はこういう映画を観たかった」と語っています。アメリカではこの映画はどのように受け止められましたか?

 反応を教えてくれてありがとう。それを聞いてとても嬉しいです。アメリカで去年10月に公開されたときも、日本と同じようなリアクションでした。「昔ながらの映画を観るのはいい体験だった」「最高な形の古風な映画」「こういう映画ってもう作られてないよね」といった感想が上がっていました。

 その中で、一番嬉しかった反応は作品のテーマとして、今の私たちの世界が間違った方向に向かっている中で、3人の登場人物はまったく性格が違うにも関わらず、お互いにお互いを愛する方法を見つける、と受け止めてもらえたことでした。

――ハナム先生は物語が進むにつれ、欠点も含めて親しみを感じられるようになるキャラクターです。そんな人物像を描く上で監督が心掛けたこと、ポール・ジアマッティと話したことなど教えてください。

 その質問はどちらかというとポールにしてもらった方がいいかもしれません。ポールとはあんまりキャラクターについては話してないんです。彼はとても賢くて、クリエイティブ。彼のことを信頼しているからハナム先生役を預けることができました。ポールも「このキャラクターのことは分かっています、任せてください」と言ってくれました。彼は東海岸の上流の教育の世界のことをよく知っています。なぜなら、彼の父も祖父も教授で、母は教師で、彼自身も有名な伝統的寄宿学校の出身で、父が教鞭をとっていたイェール大学の出身だから勝手知ったる場所で。

 ひとつだけ、このキャラクターについて彼と話したことがあります。自分の知識を他の人に伝えること、規律を持っていることはハナム先生にとっての甲冑であり、身にまとっている衣装みたいなもの。映画を観る人たちが、その甲冑の下にある本当の姿を物語が進行する中で知っていけるようにしたい。脚本に書かれていることではありますが、そこにポールが見事に命を吹き込んでくれました。だんだんと出来事が起こる中で、彼自身の心が柔らかくなっていくのです。

――ダバイン・ジョイ・ランドルフは、メアリーの複雑さを見事に演じていました。彼女とはこのキャラクターについて、どのような話をしたのでしょうか?

 いい脚本だったから、そんなに彼女とも会話をしていないかも。今回の脚本は、僕が書いてないからいい脚本なんだよ(笑)。いい脚本と知的な役者がいれば、あまり監督から言うことはないんです。僕が好きな演出は「大声で」「柔らかく」「早く」「ゆっくり」といった動きについてだけ。彼女もメアリー役をしっかりと理解していました。しいて言えば、「遠慮せずにコメディ色を強く出していいよ」と背中を押したことくらいでしょうか。

 僕の好きな役者は、ドラマチックな役を演じている中でもコメディ的な才能を持っている人たち。悲しいシーンだったり、ちょっと暗いシーンであっても、チャーミングであってほしいと思うから。彼女もポールと同じイェール大学の演劇クラスに通っていました。古典的な演技を学んだうえで、ポール同様にコメディセンスを持ち合わせているんです。

――ドミニク・セッサは撮影を行った学校の生徒だったそうですね。アンガス役が彼に決まった経緯や決定打はなんでしょうか?

 今は簡単にオーディション映像が撮れて、すぐにアップロードして応募することができるから、今の時代のキャスティングディレクターはかなりの数の応募書類をさばかなければなりません。アンガスを演じる人が洗練されすぎていたり、ハリウッドに染まったような子供では信憑性がありません。生々しさや無垢さみたいな、リアルな人間をスクリーンで観たいと思っていました。キャスティングディレクターは800人、僕は100人くらいの子供を見ましたが、どれもアンガスではありませんでした。もともと、撮影する学校でも募集してみようと話していたので、演劇部の先生に「俳優を探してるんだけど」と聞いてみたんです。そして、ディアフィールド・アカデミーで奇跡的にふたりの俳優を見つけることができました。ひとりはドミニクで、もうひとりは「コブサラダは僕が食べるものだと思ってた!」と言っている子です。

 ドミニクは生粋の映画スター。才能はいろんなところに存在しているから、キャスティングディレクターも監督も、自分なりにそういった才能を見つける方法を探すのが義務だと思います。ドミニクは演劇部内のスターでした。学校の舞台に上がったことはあるけれど、YouTubeなどを含めたビデオに収められたことさえなかったんです! 彼に会ってみると、リハーサルでキャラクターに必要な感情を表現できるし、オーディションでも技術的な部分――目線やカメラに対する動きなどテクニカルな部分も優れていました。今となっては、彼は僕より稼いでいるんですよ(笑)。

――ハナム先生、アンガス、メアリーはある種の疑似家族を形成しているようにも見えます。監督はこのテーマの魅力をどうお考えですか?

 人生のすべてはキャスティングだと思っています。友人もキャスティング、仕事もキャスティング。でも、家族は神であるプロデューサーが雇えと言われて押し付けられる人の集合体です(笑)。だから、家族よりも友人のほうが自分の気持ちが近いと感じる人も多いんじゃないかと思います。そして、普遍的な愛とは家族の間にのみあるわけではありません。

 今回の主人公3人にも血縁の家族はいません。アンガスはいるけれど不在という意味でいない。人間は誰もが人とのつながり、人とひとつになること、自分の心が完全体で欠けることなくそろっていること、それから愛を求めているのではないでしょうか。そういったものを求めようとするところが人間の美しさだと思っています。だから、この映画も「疑似家族」というよりラブストーリーだと思っているんです。もともと僕は、何らかの理由で押し付けられる、あるいは自分がその役割にとらわれてしまっている人々によるラブストーリーが好きなんです。

 年齢、人種、社会的階級、教育レベル、ジェンダーの違いを超える「真夜中のカーボーイ」も黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」も美しいラブストーリーです。

――日本映画がお好きなようですが、お気に入りの日本映画を教えてください。

 最近の日本映画はあまり見ていなくて挙げるのは少し憚れます。昔のものだと成瀬己喜男監督の「妻よ薔薇のやうに」は美しい映画ですよね。素晴らしいヒューマンドラマ。あと、黒澤明の「いきものの記録」は三船敏郎が核兵器の恐怖に怯える男を演じていて、これも素晴らしい映画です。五社英雄監督の「鬼龍院花子の生涯」は美しいヤクザ映画ですね。

 それから、小津安二郎のすべての映画をみんな観るべきだと思います。自分は古いタイプの人間なので、古い映画ばかりを上げてしまいます。観客の皆さんにも是非再発見してほしいですね。

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