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「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー 3Dを採用した理由、感銘を受けたキーファーの芸術への考え

映画.com 2024年6月22日 11時0分

 ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースが、戦後ドイツを代表する芸術家アンゼルム・キーファーの生涯と現在を追ったドキュメンタリー「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」が公開された。

 ナチスや戦争、神話を題材に、絵画、彫刻、建築など多彩な表現での作品を発表し、初期の創作活動では、ナチスの暗い歴史から目を背けようとする世論に反してナチス式の敬礼を揶揄する作品をつくるなどタブーに挑み、71年からはフランスに拠点を移し、藁や生地を素材に歴史や哲学、詩、聖書の世界を創作。作品を通して戦後ドイツと「死」に向き合う芸術家、キーファー。ヴェンダース監督は2年の歳月をかけ、3D&6Kで撮影を敢行。このほど、ヴェンダース監督が本作について語るインタビューを映画.comが入手した。

――アンゼルム・キーファーとは、旧知の仲だと伺っていますが、彼の仕事をフィルムに収めるというこのドキュメンタリーのプロジェクトはどのように始まり、そして進んだのでしょうか。

 アンゼルムとは、1991年にドイツでの大きな展覧会(Anselm Kiefer : Nationalgalerie Berlin 1991)の準備をしているときに初めて会いました。2週間、毎晩会ってディナーを共にしまして、いろいろな話をし、お互いをよく知るようになりました。2週間経った辺りで、実は私は画家になりたかったと話したんです。一方、アンゼルムは、実は映画監督になりたかったという話になり、じゃあ一緒に何かやりましょうということになりました。結局、その時には何もしなかったのですが、今となっては、それでよかったと思っています。というのは、もし当時、撮影していたら今回作ったような映画にはならなかったでしょうから。

 その展覧会の後、彼はドイツを去りました。展覧会が評価されず、失敗に終わったからです。その少し前に、彼はアメリカで展覧会を開催したのですが、「コンテンポラリーアーティストの中で、もっとも偉大な作家のひとりである」と高く評価されました。にも関わらず、ドイツに戻ってきたら拒絶された。なので、(展覧会の)数カ月後ドイツを出て、フランスに移り、その後、アメリカに移住しました。その後は、映画のオープニングやギャラリーのオープニングで顔を合わせることはありましたが、“一緒に何かやろう”という夢は、進展することがありませんでした。

 2019年に彼から電話があって、彼が居を構えていたフランスのバルジャック村で会うことになりました。バルジャック村には初めて行ったのですが、その風景と共にある彼の作品群を見て、今なら映画が作れると思いました。2020年から撮影が始まりました。パンデミック中です。2年間に渡って合計7回、彼に会って撮影がすることが出来ました。撮影後、編集には2年半かけました。

――これまでのドキュメンタリーには、あなたが登場する作品も少なくありません。今回は、画面にも登場せず、さらにいえば気配を消しているようにも見えるのは、どういう意図からだったのですか?

 アンゼルムのアートでは偉大で、彼の世界はそれだけで完成しているからです。私とアンゼルムは、1945年生まれで、戦後に人格が形成されてきたということも含め共通部分も多い。だからこそ、私の声が入ってしまうことは、映画にとって危険だと思いました。自分を押し付けることになると思ったんです。この映画では、彼の作品が観客に語り掛けるべきであって、私の声も解釈も必要ない。私の役割は、彼の作品の美しさ、素晴らしさを提供するだけ。観客には、彼の世界をそのまま経験して欲しかったのです。

――キーファーとは事前にどのような話し合いをされましたか?

 毎回、撮影をする1週間前に8日間毎日会って、毎回7~8時間話をしました。子ども時代のことから始まり、歴史や政治について、科学についてなどあらゆるテーマを話しました。また、彼の作品を見たり、作品のカタログも見ました。そして私が、何が重要と考えているかを彼に話をしました。最終的には撮影中は、彼と話をしなくていいほど事前に色々ななことについて話し合い、終いに彼は「すべての選択は君に任せる」と言って、私に自由を与えてくれました。また、彼は「撮影中、何を君が撮影しているか、僕は知りたくない」とも言いました。「出来上がった映像を見て驚きたいんだ。それは約束して欲しい」と。私は、もちろん約束すると答えました。

――アンゼルムに“見て驚くような映画”とまで言われたことは、あなたにとって大変プレッシャーだったのではないでしょうか?

 いいえ、出来ると思いましたから。プレッシャーが負担になったというより、「驚かせていい」という自由を与えられた気がしたんです。

――同時代を生きたドイツ人でもあるあなたの視点からは、ドイツの新表現主義を代表する作家であるアンゼルム・キーファーの重要性とはなんでしょうか?

 私が一番感銘を受けたのは、芸術に限界がないという彼の考えです。芸術で描くことができないものはない。ミクロコスモスからマクロコスモスに至るまで、すべてを担保できる。彼は、科学、歴史、詩、声、すべてがアートの材料になると言っています。他の芸術家で、そこまで壮大な考えを持っている恐れ知らずな人を、私は知りません。

――キーファーは、ナチス・ドイツを始めドイツの歴史をテーマにした作品で大きなインパクトを与えました。その後も神話、宗教など壮大なかつ刺激的なテーマに取り組んできましたが、戦後ドイツを生きてきた同じ年のアーティストとして、共感するところはあるのでしょうか?

 非常に共感します。というのは、私のアプローチと真逆だったからです。彼はドイツから逃げませんでした。彼は常に母国の過去と対峙し、より深く掘り下げようとしました。一方、私はドイツから逃げようとしたのです。いえ、“逃げる”という表現は間違っているかもしれません。“後ろを向いて前に進む”ということかもしれません。

――あなたはこれまでも「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(11)、「誰のせいでもない」(15)、「アランフェスの麗しき日々」(16)など3Dの作品を意欲的に作っていますが、3D映画というアートフォームにどのような可能性を見出しているのでしょうか?

 3Dという表現方法は、過小評価されてきたと思います。仰る通り3Dはアートフォームなんです。そして言語であり、媒体であり、メディアである。が、これまで3Dはほとんどその様に使われてきませんでした。ハリウッドのメジャースタジオは、正しい使い方を全くせずに悪用しました。金儲けのためにね。3Dのアートフォームとしての詩的な可能性、ポテンシャルというものを全く重視してきませんでした。

――この作品で3Dを採用した理由はなんですか?

 通常よりも、もっと色々なものが見えてくるからです。普通の映画で見ると、脳のほとんどの部分はあまり機能していないんですが、3Dを見ると、脳のさらに多くの部分が活性化されて、自分がまるで見ているものの中にいるような意識が生まれてくるわけです。脳が違う形で機能するのです。3Dによってアンゼルムの世界に入り込むと、そこではさまざまな体験でき、いろいろな感覚を感じ取ることができます。この映画で彼の作品を見ることは、アート・カタログで作品を見るのとは、まったく違う経験になるのです。

――つまり、この映画はギャラリーあるいは美術館での見るという体験とも違うわけですね。また、実際に彼の創作の現場までカメラが入っていることは、この映画の大きな魅力でもあります。どのように撮影したのでしょうか。

 3Dカメラは今、非常に融通が利くようになったんです。今回の撮影監督は「PERFECT DAYS」(23)と同じフランツ・ラスティグです。手持ちカメラも使えるので、至近距離までアンゼルムに寄ることもできましたし、彼の動きに合わせて移動することもできました。アンゼルムは光栄なことに、アトリエへ自由に立ち入り撮影することを許可してくれたので、彼のクリエイティブ・プロセスを間近でカメラに治めることができました。もちろん、作品に触れずに安全に撮影する必要がありましたから、毎日まずテストをしてから撮影を始めました。

――実際に完成した作品を見て、キーファーはどの部分に一番驚いたのでしょうか?

 映画すべての側面が彼にとっても驚きだったと思いますよ。想像以上にリアルだったと言ってくれました。彼の息子のダニエル・キーファーが自分の青年期を演じていることにも驚いたようです。アンゼルムには彼の息子が出演することを知らせていなかったんです。オーヘンバーグにいた15年の間、アンゼルムはまだ無名でした。美術史家やギャラリーの人など誰も彼のところにやってくることはなかった時代です。また、子ども時代を描いていたことも予想外だったようです。本当に当時、彼が住んでいた家で撮影したのですが、9歳の彼を演じていたのは、私の孫甥(アントン・ヴェンダース)です。それも驚きだったようです。

 映画はTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中。

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