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奈緒「わたしは大丈夫」 インティマシー・コーディネーター問題で監督&プロデューサーが初日挨拶で謝罪

映画.com 2024年7月5日 22時18分

 男女間の性の格差を描いて反響を呼んだ鳥飼茜氏の同名漫画を実写映画化した「先生の白い嘘」の初日舞台挨拶が7月5日、東京・丸の内ピカデリーで行われ、奈緒、猪狩蒼弥、三吉彩花、風間俊介、三木康一郎監督が出席した。

 自らの性に対して抱える矛盾した感情や、男女間に存在する性の格差に向き合う女性の姿を通して、人の根底にある醜さと美しさを描き出した本作。俳優側がインティマシー・コーディネーター(映画、ドラマの性的なシーンで制作側の意図を的確に俳優に伝え、演じる俳優を身体的、精神的に守りサポートするコーディネーター)の要望があったにも関わらず、監督側が直接的なコミュニケーションをとっていたことが、オンラインメディアのインタビューで明らかになり、SNSを中心に炎上騒動となっていた。

 舞台挨拶前にプロデューサーが登壇。製作委員会のコメントとして「本作の製作にあたり、出演者からインティマシー・コーディネーター起用の要望を受け、製作チームとして検討しましたが、(約2年前の)撮影当時は日本での事例も少なく、出演者事務所や監督と話し合い、第三者を通さず、直接コミュニケーションをとって撮影するという選択をいたしました。インティマシー(性的な)シーンの撮影時は、コンテによる事前説明を行い、撮影カメラマンは女性が務め男性スタッフは退出するなど、細心の注意を払い、不安があれば女性プロデューサーや女性スタッフが本音をうかがいますとお話をしていたので、配慮ができていると判断しておりました。しかしながら、このたび様々なご意見、ご批判をいただいたことを受け、これまで私どもの認識が誤っていたことをここにご報告を申し上げるとともに、製作陣一同、配慮が足りなかったこと、深く反省をしております。本作を楽しみにお待ちいただいているお客様、原作の鳥飼茜先生、出演者、スタッフの皆さまに不快な思いをさせてしまったこと心よりお詫び申し上げます」と話した。

 その後、ステージにはキャスト、監督が登壇。三木監督が「このたびはわたしの不用意な発言により、皆さまに多大なるご迷惑とご心配をおかけしたことを、この場をお借りして謝罪したいと思います。本当に申し訳ありませんでした」と謝意を述べ、深く頭を下げた。続く奈緒は「本当に前日にいろんなことがありまして。皆さんご存知かなと思うんですが、ひとことわたしがお話ししなければいけないと思い来ました。わたしとしては、ここにいる誰も、心を痛めるようなことなく、一緒にいたいと、せつに願っております。なのでひとこと。わたしは大丈夫です。それだけは伝えようと思っていました」と会場に呼びかけた。

 そして「本来、初日舞台挨拶で言うことではないかもしれないですが」と語った風間は、「これからこの映画を観に行こうか、迷っている方もいらっしゃると思うんです。そしてそれは今じゃないかもしれないと思っている方がいらっしゃるとしたら、その言葉に従っていただきたいと個人的には思っております。いつか観たいと思う日がやってくることを願っています。この映画が、つらい思いをしたり、自分の一歩になってくれるかもしれないと、思った方の幸せへのきっかけになってくれることをせつに願っております」と正直な思いを吐露した。

 このような形で初日を迎えたということに、「本当に今日、ここに来るまでにいろんな葛藤がありました」と明かす奈緒。「昨日から(原作の)鳥飼先生とお話ししなくては、という気持ちがあったので。許されることか分からないんですが、鳥飼先生と直接連絡をとらせていただき、お会いして、お話しして。それまでここにどうやって立ったらいいのかと思っていたんですが、わたしは鳥飼先生とお話をさせていただいて。原作にすごく支えられたという思いが強かったので。少しでも皆さんが今日ここに来るという選択をしていただいて。少しでも原作の思いが伝わったりとか、そういうことにつながったらうれしいなと、常日頃、前から思っていました」とせつせつとその思いを語ると、「初日を迎えて、正直、いろんな複雑な思いがあります。けど、先生とお話をして感じたのは、この作品を観た時に、ひとつの映画としてとても力強い映画になってると思いました。その時に現場のみんなで乗り越えた、大変なシーンを思い出しながら、それが形になってすごくうれしかった。自分が思った以上にうれしい気持ちになりました」と胸中を吐露。そしてまわりの登壇者たちに目配せすると、「今日も三木さんとふたりだったら心細かったけど、風間さん、三吉ちゃん、猪狩くんと一緒にいてくれて。今日この日を迎えられて、映画を観た皆さまのお顔を見ることができて。すごくうれしい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の思いを告げた。

そして、原作者の鳥飼茜氏からメッセージが届けられた。そこには「漫画を映像化するということは基本的には光栄なことだ。それでも自分は自分の描いた作品に無責任すぎたのかもしれないと思う。作品は作品であり、描いた人、撮った人、演じた人の個人とは無関係に評価されるべきか。そういう性質のものもあっていいと思う。ただ自分はこの漫画を描くとき確かに憤っていたのだ。1人の人間として、1人の友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それはある意味特別で、貴重な動機付けだった。今、あんな衝動は持てない。性被害に対し、何を言えるのか、わたし達はどんな立場なのか。どんな状況でも、それを明らかにできる場合にしか、開け渡してはいけない作品だったと思う。こんな原作がなんぼのもんじゃと言われるかもしれないが、なんぼのもんじゃと私だけは言ってはいけなかったと思う。自分だけは自分のかつての若い(生物の)憤りを守り通さねばならなかった。撮影に際して参加する役者さんからスタッフに至るまで、この物語が表現しようとしているすべてに、個人的な恐怖心や圧力を感じることはないかどうか。性的なシーンや暴力的なシーンが続く中で、彼ら全員が抑圧される箇所がないかどうか。漫画で、線と文字とで表現する以上の壮絶さが伴うはずだったことに、私は原作者としてノータッチの姿勢を貫いてしまった。原作者として丸投げしてしまったこの責任を強く感じるに至り、反省した。後出しで大変恐縮ではあったが、センシティブなシーンの撮影についての、こと細かな説明を求め、応じてもらった。説明を聞き、一応のところ安心はしたものの、やはりあらゆる意味で遅すぎたし、甘かったと思う。分かりようがないとはいえ、もっともっと強く懸念して、念入りに共通確認を取りながら繊細に進めなくてはいけない。そういう原作だった」という思いが記されていた。

そして上記の文章について「これは昨年、私が記した所信です。文章の公開はしませんでしたが、去年の時点での私の考えでした」とつづると、「今、公開を迎えるにあたり、このたびの発言が良くない意味で注目されていることを、わたしは何とも心苦しく思っている。なぜならこの作品で誰かに嫌な気持ちを起こすようなことがあれば、私にもその責任があると。既にこのように、去年の私は記していたからです。こういう場合、皆一様に言葉には気をつけなければならなかった。コメントに配慮が足りなかった。対応が配慮に欠けていたと反省されます。ただわたしが感じる問題はそうではない。問題は、最初から信念を強く持ちあわせていなかったことではないでしょうか? 私も出版社も含め、制作した者たちがあらゆる忖度に負けない信念を、首尾一貫して強く持たなかったことを反省すべきだったんじゃないか。このことを私は今、私自身に痛感しています」とつくり手としての覚悟について痛切な思いを説いた。

さらに「冒頭で言ったように、最大限の配慮や共通理解を徹底して作るべき作品であること。それを映画製作側へ都度都度働きかけることを、わたしが途中で諦めてしまったことを猛省したのは、主演の奈緒さんの態度に心を打たれたからです」とつづられたそのメッセージは、「個人的な感想ですが、この映画製作において一番強かったのは奈緒さんです。彼女はこの騒動で、誰よりも先駆けてわたしに謝罪をされました。現場で一番厳しい場面と、素晴らしいまでに誠実に対峙した奈緒さんがです。心遣いに感心したと同時に、謝罪なんて必要ないのにと、心から申し訳なく思いました。何より、映画の中の主人公としての演技が素晴らしかったのです。現実でも虚構でも、彼女は誠実そのものでした」と奈緒への思いに繋げた。そして最後に「感謝していますし、彼女が望むなら、たくさんの人にそのすばらしさを見てもらい、分かっていただければ、わたし自身、反省もした上で、これ以上のことはありません」と締めくくられた。

 この日は終始、緊張感あふれる舞台挨拶となったが、最後に三木監督が「先ほどの鳥飼先生のお手紙を聞かせていただきまして。映画製作陣として、彼女の思いが、これからの映画のあり方、その辺の襟をしっかりと正して。この作品で感じたことを教訓として、しっかりと顔を上げて前に進んでいきたいと思います」と述べると、最後に奈緒が「好きにしゃべっていいと言われたんで。今からは心からの気持ちです」と切り出した。

 そして「昨日の記事があってから、皆さんに不安を抱えさせてしまった部分があると思いますが。ひとつご説明したいのは、わたし自身、原作に心から惚れ込み、出演することを自分で決めました」と思いを語る奈緒は、「その中でいろいろなやり取りがあり、すれ違いがあったことは事実です。でもそれは当人同士の問題として、権力に屈するようなことは一切無く。対等な関係でお話をしましたし、言いたいことは伝えました。伝えた上で、話した上で、どうしても現場に対して不十分だと思う部分が、正直ありました。そこはわたしたちも未熟で、この映画を公開するにあたって、もっと傷つけない言葉を選んで、ちゃんと自分たちの真意を、宣伝でお話しできなかったことが皆さんを不安にさせる結果を招いてしまったのかもしれない。わたし自身は自分のこととして深く反省しています」と真摯な眼差しを注いだ。

 その上で、撮影現場は権力で押さえつけられることなく、対等であったことをあらためて強調。「そこは皆さんに安心していただきたいです。心配してくださってる声が届いているので、大丈夫ですとお伝えしたいです」と呼びかけ。その上でこの作品に挑むと決めた思いについて「こういったテーマに触れることもそうですし、社会全体として、自分自身が自分の胸に手を当てて。本当にわたしは大丈夫だろうか、人を傷つけていないだろうかと、問い続けないとこの作品はつくれませんでした。きっとそれが社会で、人間同士が共存する上で大切なことなんじゃないかと。わたしはこの作品から学びました。なのでわたしもそう生きていこうと思いました」と意気込む。

 「どんなきれいな川にもよどみは起きます。そのよどみがある部分ばかり見ていると、どうしてもそこが大きくなってしまって。全体のきれいな部分に気付けなくなってしまうことがあるんじゃないかと。それもこの作品で学びました」と感じたという奈緒。「もし自分の正義を脅かすようなことがあれば、そういう人が現れたら、その人にも大切な人はいるのかもしれない。でもまずは自分の気持ちを守ってください。その正義を脅かすような人にはしっかりとノーと言ってください。それが自分を守ることにつながるのかなと思います。そして相手には家族がいて、大切な人がいて。その人たちが集まって、この社会を生きているだということ。この映画で少しでも思い描いてくださるとうれしいなと思います」と語ると、「すべてのひとが、自分で自分を守れる。誰かが悲しんでいたら、手をさしのべられる。そういうよどみのないきれいな川を、わたしはあきらめずに目指したいと思います」と自分の正直な思いをしっかりと、最後まで語りきった。

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