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オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯、ヘンリー八世と6番目の妻……トライベッカ映画祭で注目した5作を紹介【NY発コラム】

映画.com 2024年7月7日 16時30分

 ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。

 6月5日~16日、トライベッカ映画祭がニューヨークで開催された。2001年の同時多発テロ以降、ニューヨークの復興を目指して、俳優ロバート・デ・ニーロが、映画プロデューサーのジェーン・ローゼンソールらと共に立ち上げた映画祭であり、ニューヨーク市内だけでなく、世界中の人々に愛される映画祭として成長している。今年は世界48カ国から作品が集い、114人のフィルムメイカーが手がけた103本の長編作品が披露された。今回は、筆者が鑑賞したなかでも、特に高評価を獲得している5作品を紹介しよう。

●「Samia」

 本作は、ソマリアの陸上選手サミア・ユスフ・オマールの生涯を、いくつかのドキュメンタリー映像も使用しながら描いた劇映画。サミアは、2008年に北京オリンピックに出場。その後、内戦が続くソマリアから離れてイタリアへ避難しようとした際、海で溺死している。

 ソマリアの過激派組織「アル・シャバブ」による内戦で引き裂かれたモガディシュで育ったサミア。彼女は子どもの頃から自己主張が強く、男の子とかけっこするような活発な女の子だった。しかし、ソマリアは自立した女性がまだ歓迎されない土地。そんな場所で育ったサミアの一番の望みは“走ること”だった。

 当時「ソマリアの女性はスポーツに関わるべきでない」という地元の民兵からの嫌がらせがあった。しかし、走ることを生き甲斐にするサミアの生き方は、内乱が続くソマリアでも明るい話題になっていった。閑散としたスタジアム、迫撃砲の跡が残るトラックでトレーニングする彼女は、モハメド・ファラー(ソマリア出身。9歳の時に人身売買で英国に連れさられた世界的陸上選手)のように、オリンピック出場への思いを強めていく。

 さまざまな逆境を乗り越えた彼女は、17歳という若さで2008年北京オリンピックの代表に選ばれた。そして彼女は、2012年のロンドンオリンピックを目指し、新たな情熱を燃やしてアフリカに戻った。ところが、ソマリアの内乱は悪化の一途を辿っていた。そこでサミアは夢を叶えるために、イタリアへの亡命を図るのだが……その道中、不幸にも溺死してしまったのだ。

 ヤセミン・サムデレリ監督は、10年前から企画を立ち上げ、イタリアのプロダクションのサポートを得て、本作を手がけている。主演を務めたのは、イルハム・モハメッド・オスマン。彼女の母親サードは、イタリア・トリノで移民のためにさまざまな活動をしている。サムデレリ監督とサードが出会ったことで、イルハムの配役が決まったそう。戦争で荒廃した国から逃れてきた何百万人もの人々と同様に、より良い未来への希望のために命を賭けたサミアの姿が胸を打つ映画だ。

●「Firebrand」

 今年のカンヌ国際映画祭のコンペ部門にも出品された本作は、劇作家ウィリアム・シェイクスピアの歴史劇として描かれたことのある“ヘンリー八世と6番目の妻キャサリン・パーとの関係”を描いた作品。ヘンリー八世の最後の数カ月に焦点を当てている。急進的な変化を支持するキャサリン・パーが先進的な価値観と信念を持ち始めたことで、ヘンリー八世が猜疑心を抱いていく。ヘンリー八世は留守中に彼女を摂政に任命。新たな権力を得たキャサリン・パーの“国王への忠誠”が揺らいでいく。

 ヘンリー八世は、イングランド王として類稀な政治手腕を発揮したものの、叛逆したものは処刑。わざわざローマ・カトリック教会と決別してまで離婚を宣言し、その後王妃を次々と取り替え、中には断頭台送りにした王妃さえもいた。ヘンリー八世を演じたのは、ジュード・ロウ。ヘンリー八世は、作曲家としての一面も持ち、イタリア語、フランス語、スペイン語などにも精通する万能な文化人でもあった。暴君と文化人の微妙なバランスを、ジュード・ロウが見事に演じきていってる。

 一方、知的で、先を見据えながら行動するキャサリン・パーを演じるのは、人気実力の伴ったアリシア・ビカンダー。見どころのひとつは、多くの人々が会する食事の席でのシーン。他の女性といちゃつくヘンリー八世に対して、キャサリン・パーは動揺もせずにヘンリー八世を嗜め、滑稽な笑い方をしていた女性を一喝する。

 歴史的に見過ごされがちな“6番目の妻”キャサリンの視点を取り上げている点が魅力的。キャサリン・パーは英国で初めて自身の名前で本を出版した女性であることも忘れてはならない。興味深いのは、映画「ビハインド・ザ・サン」の脚本、「もしも建物が話せたら」でメガホンをとったブラジル出身のカリム・アイノズ監督が手掛けているところ。シェイクスピア劇などに影響を受けた凝り固まった演出ではない点も見どころだ。

●「La Cocina」

 今年のベルリン国際映画祭でも披露された作品。タイムズスクエアの近くにある賑やかなレストランの厨房を舞台に、シェフとウェイトレスのさまざまな過去と夢と絶望がぶつかり合うモノクロ映画だ。1959年に手がけられたアーノルド・ウェスカーによる英国の同名舞台劇を映画化。原作とは異なり、ニューヨークのレストランで働く不法滞在者を描いている。

 ある日、突如としてレジからお金が消えてしまった――レストランで働くウェイターは、移民中心のシェフたちを疑っていく。そんな1日の光景を素晴らしいカメラワークで捉えながら、彼らの想いを克明に描いてく。

 情熱的で夢想家だが、感情的に行動してしまい、上司に叱られてばかりのシェフ、ペドロ(ラウル・ブリオネス)と、優柔不断な自分に悩むウェイトレス、ジュリア(ルーニー・マーラ)の波乱の恋を中心に描きつつ、レストランでの人間模様と“お金が消えた理由”を描いていく。

 見どころは、レストランが満席の状態で繰り広げられる厨房でのウェイターとシェフの掛け合い。手早く調理をして美味しそうな料理を皿に盛るシェフ、客の注文を丁寧に受け取り、なるべく早く料理を客のもとに配膳しようとするウェイター。およそ数分間にわたりワンショットで撮影されている。まるでダンスの振り付けをしているように、ウェイターとシェフがカメラ前を通り過ぎる姿が圧巻。アロンソ・ルイスパラシオス監督によると、およそ1週間かけて同シーンの撮影に臨んでいたとのこと。

 アロンソ監督は、ロンドンのカフェで働いていた経験も踏まえながら今作を撮影したそう。ニューヨークのタイムズスクエアにある「Red Lobster」「Olive Garden」などの忙しいレストランの厨房を見学したり、不法滞在者のシェフへのインタビューを、信頼できる機関を通じて敢行したようで、さまざまな人が交錯するレストランを万華鏡のように描きながら、移民労働者が直面する過酷な現実をあぶり出している。

●「McVeigh」

 1995年4月19日に発生したオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件。30年近く経った現在も、40代以上のアメリカ人には鮮烈な記憶として残っているはずだ。本作は、同事件の主犯、ティモシー・マクベイを描いた長編映画だ。ティモシー・マクベイ役は、アルフィー・アレンが演じている。

 メガホンを取ったマイク・オット監督は、まるで顕微鏡でティモシーを観察したかのようだ。ティモシーが食事をする姿、不気味にニュースを見る姿、シャイながらも女の子と出会う姿など、日々の生活を淡々と描いていく。

 暗がり中心のダークな色調でとらえられており、ほぼワイドショット中心に撮影している。これによって、観客はまるで観察者になったような感覚で鑑賞することができる。観客自身が“アメリカ史上最悪の犯罪者を検証していく”ような演出が興味深い。ティモシーはアメリカ陸軍時代に、トップクラスの狙撃成績を残していた。その姿を彷彿させるような射撃場のシーンでは、見事に的を撃ち抜く姿も活写されている。

 実際のティモシーの犯行は、犯行声明文がなかったり、動機についても「ブランチ・ダビディアン(ウェーコ事件、1993年4月19日)とルビー・リッジに対して、政府がしたことに対する復讐だ」と述べている。

 映画内では共犯者のテリー・ニコルズらも描かれているが、現実の出来事をセンセーショナルにあえて描くことはない。ティモシーの心理を観客に想像させ、破滅的な緊張感を最後まで持続させている点が印象深いのだ。ちなみにティモシーは、 ADXフローレンス刑務所に収監されていた際、共犯者のニコルズと共に、“ユナボマー”セオドア・カジンスキー、世界貿易センター爆破事件を引き起こしたラムジ・ユセフとも交友関係を持とうとしていた。そのことを考えると、最後まで不気味な人物だったように思える。

●「Same Rain Must Fall」

 2017年のカンヌ国際映画祭にて、短編映画「A Gentle Night」がパルムドールに輝いたチウ・ヤン監督の長編デビュー作。

 家庭を持つことがすべてだと思っていた母親・蔡は、ティーンエイジャーの娘が所属する弱小バスケチームの試合観戦に行った。その際、足元にバスケットボールが転がってきた。当日何かイライラしていた彼女は、思いっきり投げ返すのだが、観戦に訪れていたお婆さんの頭に直撃。そのままお婆さんは重体となり、病院に運ばれることになった。やがて、外見は完璧に見えた蔡の人生が、脅威的な混乱に陥っていく。

 たったひとつの間違いが、娘の学校でのいじめ、夫との離婚相談にまで発展。周りに住む人々からも村八分にされていく過程が、競争率、階級差、差別も際立つ中国社会を捉えている。

 チウ・ヤン監督は、オーストラリアの大学で学んだ後、実家に戻り、それまで疎遠だった母親とじっくり向き合って生活した。そのことが、今作を手がけるきっかけになったことをインタビューで明かしてくれた。また「母親との生活によって、家族として誰かを支えるということは、フルタイムの仕事であることを再認識させられた」とも語っている。

 最も魅力的なポイントは、主演の蔡を演じたユ・アイエ以外、プロの俳優を使っていないところ。チウ・ヤン監督は短編作品でもプロの俳優は使っていない。今作では、キャスティング・ディレクターを雇い、俳優経験のないリアルな人々を、ストリートでキャスティングしたそう。あえて、個性的な一般人を雇い、彼ら本来の姿のままでいてもらいながら、1カ月のトレーニングや下準備をして臨んだそうだ。一つの事件が巻き起こす余波を契機に「中国社会での階級とは何か」「家族とは何か」だけでなく「自己を探求している」作品として描かれている。

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