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ジェームズ・キャメロン作品の名プロデューサー、ジョン・ランドーさん死去

映画.com 2024年7月8日 21時0分

 「タイタニック」や「アバター」など、ジェームズ・キャメロン作品で知られる敏腕プロデューサー、ジョン・ランドーさんが7月6日、がんのため63歳で他界した。米ハリウッド・レポーターが報じている。

 ニューヨーク出身のランドーさんは、南カリフォルニア大学映画学部を卒業後、1980年代に20世紀フォックスに入社。「ダイ・ハード2」「ラスト・オブ・モヒカン」「ミセス・ダウト」など数々の作品に携わった。転機となったのは「トゥルーライズ」だ。本作の製作を通じて、キャメロン監督と運命的な出会いを果たすことになる。

 ランドーさんの手腕と人柄を見込んだキャメロン監督は、自身の製作会社ライトストーム・エンターテインメントに引き抜く。ランドーさんが最初に携わったのは「プラネット・アイス」というコードネームがつけられていたプロジェクトで、これが後の「タイタニック」となる。

 ランドーさんはメキシコ・ロサリトビーチにあるフォックス・バハ・スタジオの建設を監督し、巨大な撮影用タンクとサウンドステージを含む40エーカーもの広大な施設を管理。製作費の高騰にも臨機応変に対応し、製作スケジュールを見直すなど、プロデューサーとしての手腕をいかんなく発揮した。

 「タイタニック」の大ヒット後も、ランドーさんはキャメロン監督の右腕として、ライトストーム・エンターテインメント作品である「ソラリス」(スティーブン・ソダーバーグ監督)、「アリータ バトル・エンジェル」(ロバート・ロドリゲス監督)をプロデュース。そして、キャメロン監督の「アバター」「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」を手がけた。「アバター」シリーズに関しては、第5弾まで製作が行われているが、16カ月前から闘病生活に入っていたという。

 類まれな才能と温厚な人柄で、ハリウッド映画界から絶大な信頼を得ていた。「タイタニック」で主演を努めたレオナルド・ディカプリオは「ジョンは信じられないほど親切で、賢く、共感力のある魂の持ち主でした」と追悼。また、キャメロン監督は以下のような長文の追悼文を寄せている。

 「偉大なプロデューサーであり、素晴らしい人間が私たちの元を去りました。ジョン・ランドーは映画の夢を信じていました。彼は、映画が究極の人間的芸術形式であり、映画を作るためには、まず自分自身が人間でなければならないと信じていました。彼は、映画そのものと同じくらい、その寛大な精神で記憶されるでしょう。私はジョン・ランドーと31年間一緒に仕事をしましたが、一度も落ち込んでいるところを見たことがありません。

 彼はユーモアと強い意志、そして仕事への真の喜びのバランスを取りながら、リーダーシップを発揮しました。彼と出会ったとき、彼は1993年の『トゥルーライズ』を監督するために割り当てられたスタジオの『スーツ』でした。そのプロダクションの悪夢のような状況の中で、私たちはお互いを尊重し、楽しむようになりました。炎の中で築かれた絆です。私は彼をフォックスから引き抜き、自分のプロダクション会社であるライトストームに参加させました。そして一緒に『タイタニック』に取り組みました。それは、まるで船そのものと同じように野心的で、不運な運命にあるかのようなプロダクションでした。ジョンはスタジオからのプレッシャーの矢面に立ち、私が頭の中で描いていた映画を作るための時間と資源を提供するために全力を尽くしてくれました。そこから私たちは戦友となりました。私たちはどんなプロダクションの問題も解決できると信じていました。

 私たちが次に登った山は『アバター』でした。それは、まるでマンハッタン計画のようなプロダクションでした……。新しい物理学を作りながら進んでいきました。物語を伝えるための全く新しい方法論を習得しました。ジョンは再び全力を尽くし、私たちが並外れたことをしていて、何とか勝利するだろうという信念を失いませんでした。その過程で、私たちは映画を作っただけでなく、家族を築きました。ジョンは、ユーモアと寛大さ、そして人々に価値を感じさせ、『見える』ようにする大きな能力で、アバターファミリーの中心的存在でした。彼はみんなに目的と帰属感を与えてくれました。そしてこれは続編の製作中も続きました。私たちの絆の深いグループがこの男、この自然の力をどれほど恋しく思うか……。私たちの小さな泡の宇宙の重心を伝えるのは不可能です。ジョンはアバターとライトストームでコミュニティ、家族を作りましたが、自分の家族を犠牲にすることはありませんでした。彼らは常に彼の最優先事項でした。

 ジョンは私の右腕であり、私は彼の右腕でした。ここ数年、私たちは空中ブランコのコンビのようでした。完全な相互依存、完全な信頼、完全なシンクロ。私たちは最も親密な仕事のパートナーになっただけでなく、最も親密な友人にもなりました。彼への最後のメッセージは、彼を愛しているだけでなく、毎日の対話を恋しく思っているということでした。私たちは1日に20回も話をしていました。いつも私とセットの間に戦略的に置かれた彼のオフィスで。起こるすべての問題を解決しながら。ジョンは私が間違っていると言う強さを持っていて、私は長年かけて彼が正しいと信じることを学びました。ジョンは自分の仕事を愛し、周りの人々、彼が築いた素晴らしいチームを愛していました。毎日が喜びに満ちた戦いでした。エントロピーに対抗する戦い、あらゆる人間の努力をほどこうとする混沌に対する戦いです。

 ジョンに見守られていたおかげで、中心は常にしっかりしていました。私たちはパンデミックを乗り越えて『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』を届けました。一緒なら何でも解決できると思っていました。しかし、人生の儚さは解決できません。一緒に過ごしたすべての年月、すべての日々、すべての瞬間に感謝しています。彼が私に持っていた信念と、彼とのパートナーシップが私たちに一緒に達成することを可能にしてくれたことに感謝しています。私自身の一部が引き裂かれました。しかし、彼が結集し、率いた素晴らしいチームはまだ残っており、私たちはジョンのレガシーを実現することに専念します。これから公開される映画だけでなく、アバターとライトストームのファミリーを結びつける愛と絆も」

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