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【「クレオの夏休み」評論】愛くるしさと憎々しさと。少女と乳母の生涯変わらぬ素敵な関係

映画.com 2024年7月21日 16時0分

 ひと夏の体験を通して少女が成長する。ジャック・ドワイヨン監督の「ポネット」(1996)や宮﨑駿監督の「千と千尋の神隠し」(2001)など、映画は成長する子どもの姿を見つめ続けてきた。マリー・アマシュケリ監督の「クレオの夏休み」もそのひとつ。六歳の少女クレオの視点で、いつも一緒に過ごしていたナニー(乳母)のグロリアとのひと夏を描く意欲的な作品だ。

 クレオを演じるのは、パリの公園でお遊び中に弟を叱っていた姿を目にしたキャスティングディレクターに声を掛けられたルイーズ・モーロワ=パンザニ。無垢で純真な顔つき、その一つひとつが観客の心を鷲づかみにする。住み込みで少女の世話をするナニーのグロリアには、かつてポルトガルの支配下にあったアフリカの島国カーボベルデ出身のイルサ・モレノ・ゼーゴ。島では看護師として働き、出稼ぎに来たフランスでは実際に乳母をしていた。

 グロリアの母が亡くなったことで少女の日常が決定的に変わる。夏休みに見知らぬ土地に向かったクレオは、実家で暮らす乳母と再会し、見知らぬ人々と出会い、自分でも予期せぬ行動に出る。共に演技経験のないふたりを迎えた監督は、パリとカーボベルデを舞台に、生涯忘れることのできない特別な夏休みを描いていく。

 人はよく「顔に書いてある」と口にする。どちらかと言えば無口なクレアの顔には感情や気持ちが素直に表れる。予期せぬことに直面すると瞬時に顔つきが変わり、気持ちの揺れが手に取るように読み取れる。その瞳には愛くるしさと憎々しさが入り交じる。まるで魔法の玉手箱を見つけたかのように、少女はどんなことにも目を輝かせる。だからこそ監督は、臆することなくカメラを寄せて、画面いっぱいにクレオの顔を綴ってゆく。その描写には特別な想いが込められている。

 でも複雑な感情を言葉にすることは叶わない。監督が選んだ手法は、物語の進行過程で起こるクレオの変化、動揺や歓喜、焦燥や不安など、言葉にできない心の機微をユニークなアニメーションで繊細に表現することだ。少女の胸の内にある“もどかしさ”や“やるせなさ”を共有しようとするこの試みが、映画に独特なリズムとリアリティを与えている。

 監督にとって単独初長編作となるこの作品は幼少期を共に過ごしたナニーに捧げられている。共に歳を重ねたふたりは今も交流しているという。六歳の少女クレオの成長物語は、同時に、ふたりの子を持ち、天に召された母に代わって家長となったグロリアの物語となっている。

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