主演・助演、シリアス・コメディを問わず、次々と話題の映画、ドラマ、舞台に出演し、なんとも形容しがたい唯一無二の存在感で見る者に強烈なインパクトを植え付ける女優・江口のりこ。彼女が主演を務める映画「愛に乱暴」が8月30日に公開された。
原作は「悪人」「怒り」「横道世之介」など多くの著作が映像化されてきた当代きっての人気作家・吉田修一氏の同名小説。丁寧な暮らしを心がける、結婚生活8年目を迎えた桃子が、夫の不倫をはじめとする様々な事態によって居場所を失い、苦悩の果てに暴発していくさまを描き出す。
監督を務めたのはCMディレクターとして活躍し、映画「さんかく窓の外側は夜」、WOWOWのドラマ「坂の途中の家」などで高い評価を受けたか森ガキ侑大。本取材は7月、「愛に乱暴」がコンペ部門に出品された第58回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(チェコ)から森ガキ監督が帰国した直後に行われた。(取材・文/黒豆直樹)
●江口のりこ「映画祭どうでした?」森ガキ監督「大反響!“あのシーン”では笑いも起こっていました」
江口:おかえりなさい(笑)。映画祭どうでした?
森ガキ監督:メチャクチャ反響ありましたよ。上映が終わったらジャーナリストがワーッと集まってきて、すごく熱かったです。江口さんについての質問もいっぱいありました。例えば、ラスト近くでの江口さんの衣装について「服の色で彼女の心情を表そうという狙いがあったように感じたけど、そうなのか?」とか。
ホテルに帰ってからもバーで飲んでいたら、ヨーロッパ中から生徒が集まってくる映画学校の学生たちが「『愛に乱暴』の監督だ!」と寄ってきて「メチャクチャ面白かったよ」と言ってくれました。
――離婚や不倫に対する考え方の違いで、描写や心情の受け止め方も日本とヨーロッパで異なる部分があったのでは?
森ガキ監督:それはありましたね。チェコは離婚率が60%くらいあるらしくて。
江口:そうなんや…!?
森ガキ監督:だから、桃子があんなに結婚生活に執着するのはなんでなんだ? って。
江口:じゃあ嫁姑問題も理解できないかもしれませんね。
森ガキ監督:いや、そこは「世界共通だ」って言ってました(笑)。「ああいうの、イヤだよねぇ」って。
江口:あ、そう(笑)。面白いですね。
森ガキ監督:あと、桃子が夫の真守(小泉孝太郎)の不倫相手(馬場ふみか)の家に乗り込む時、手土産にスイカを持っていくことについてもすごく質問されました。そういう文化がないので「なんでキライな相手の家に行くのにプレゼントを持っていくんだ?」って。
江口:なるほどねぇ…。
森ガキ監督:でも、桃子はお金を掛けたくないから庭のスイカを持って行ったんだと説明したら、大笑いしてましたね。あのシーンは上映でも笑いが起こっていました。
――小泉孝太郎さんが演じたサイテーのクズ夫・真守に関してはどんな受け止め方をされていましたか?
森ガキ監督:「ああいうヤツはどこにでもいるわ!」って感じでしたね(笑)。
●そもそも映画化のきっかけは? 原作者・吉田修一からの“注文”もあった
――ここから映画について、お話を伺っていきます。吉田修一さんの小説はこの20年ほどで数多く映像化されてきましたし、映画として非常に高く評価されている作品も多いですが、今回「愛に乱暴」という上・下巻の長編小説を映画化しようと思ったきっかけは?
森ガキ監督:吉田修一さんの小説はほとんど全部読んでいて、大好きでした。映画に関しては李相日さんが「悪人」、「怒り」などをつくられていて、あのような作品とは、また違うテイストの吉田修一作品を描いてみたかった。
「愛に乱暴」は、繊細な日常をひとりの女性にフォーカスして描いているところが魅力的だなと思いました。いま、生産主義というか、資本主義がさらに進んで社会全体が「もっと効率的に!」となっていく中で、居場所を失いそうになっているひとりの女性の姿が観る人の心に刺さるという人が多いんじゃないか? と思いました。
――江口さんも原作を読まれたそうですが、どのような印象を持たれましたか?
江口:メチャクチャ面白いなと思いましたね。上・下巻、一気に読んじゃいました。桃子はものすごく傷ついた女性ですが、そういう経験をしていない人でもわかるというか、最後まで桃子に寄り添って読むことができる面白さがありました。ただ「これをどうやって映画にするんだろう?」とは思いました。
――映画化に際してカットされたシーン、登場人物も多かったかと思いますが、どのように脚本を組み立てていったのでしょうか?
森ガキ監督:やはり上・下巻の長い小説を約1時間半の映画にするというのはメチャクチャ大変でした。「この描写は入れる?」「これはカットする?」というのを横山蘭平プロデューサー、脚本家(山﨑佐保子/鈴木史子)と話し合いました。
そうやって短くした脚本を一度、吉田修一さんにお渡ししたんですが「良くなっています。でもキャラクターをもっと活き活きとさせてほしいです」という注文をいただいたんです。そこからさらに手を加えて、吉田さんにも何度か読んでいただいたんですが、吉田さんは「面白くなってきましたね」、「もっと面白くなります」と背中を押してくださるような感じでした。一度「こんなに原作から変えてしまっていいんですか?」と尋ねたら「森ガキさんが描く『愛に乱暴』をつくってください」と。吉田さんにそう言っていただけて、僕も桃子に関して、よりウィットに富んだ、でも繊細なキャラクターにしたいと思ってつくり上げていきました。
――江口さんは映画の脚本で描かれる桃子に対してどのような印象を持たれましたか?
江口:原作を読んでますからね。その中で「こういう人物だな」というのがあったわけですけど、映画の脚本を読むとかなり削ぎ落されていて、そこは「すごく難しいな」と思いました。ものすごく静かな映画になってしまうんじゃないか? という不安はありました。現場に入ってから、いろんなものを見つけていけたらいいなという感じでした。
●“桃子”を生み出すために――江口のりこ「風吹ジュンさんの存在がすごく大きかった」
――桃子は、決して失っていくだけの弱い女性ではないと感じられる描写が映画の序盤から随所に見られます。
森ガキ監督:そうなんですよね。生きていく上で、何度も何度もトライしていく強さを持っていると思います。ラストに向けて、さらにもうひと皮むけていくようなところがあって、そこは現場でも江口さんとお話しさせていただきました。「女性ってもっと図太いよね」とか「繊細なだけではないよね」と。ラスト近くで桃子がアイスを食べるのも江口さんとの話し合いの中で生まれたシーンです。原作から脚本にする段階で、一度、自分でキャラクターをつくり上げたけど、現場で江口さんに桃子に憑依してもらうことで、さらに新しく桃子が見えてくる部分がたくさんありました。
――お話に出たアイスやスイカ、さらにチェーンソーなどのアイテムが桃子の心情を浮き彫りにする役割を担っていますが、江口さんは、小道具や共演者の存在が桃子を演じる上で助けになったと感じる部分はありましたか?
江口:それはすごくありましたね。特に風吹ジュンさん(離れに暮らす義母の照子役)の存在がすごく大きかったです。風吹さんと一緒の時間を過ごす中で「あぁ、映画の『愛に乱暴』をつくればいいんだ」と良い意味で割り切れたといいますか。「ここに風吹さんが演じるお義母さんがいる。この人とお芝居をしていけば、映画の『愛に乱暴』がちゃんとできるはずだ!」と思えたんですよね。それまでは「いまの自分で足りているのか? 面白い映画になるのか?」という不安もあったんですけど。
――チェーンソーを扱うことは、プライベートはもちろん、映画でもめったにない経験だと思いますが、いかがでしたか?
江口:大道具さんが使い方を指導してくださって、おかげで現場では何の問題もなくできましたし、すごく気持ちよかったです(笑)。
●あえて表情が映らない方向で勝負をかけた 予告編でも確認できる重要シーンの秘話
――予告編にもある桃子と真守の会話で、桃子が「違う、違う! 私ね、わざとおかしいフリしてあげてるんだよ」と言うシーンがありますが、ここでカメラは桃子の表情を映さないという選択をしています。最初の段階からそう決めていたのでしょうか?
森ガキ監督:脚本をつくって「これをどう撮ろうか?」と考えた時は、普通に引きで撮りつつ、セリフを言う人を正面から捉えたカットを繊細に丁寧に撮れたらいいかなと思っていたんですけど、それだと新しいものが生まれないな…と思いまして。
ある種の“昼ドラ”感のあるカットをより映画っぽくするには、ワンカットでずっと江口さんに付いていくようなカメラワークにしたら、面白くなるんじゃないかと思って、これは江口さんにも話してなかったですけど、江口さんに脚本をお渡しする直前に変えたんです。
桃子、桃子、桃子…という感じで、江口さんの裏からカメラが追いかけるような感じで、あえて表情が映らない方向で勝負しようと決めました。最初は横山プロデューサーも戸惑っていましたし、普通なら「それはちょっと…」と止めていると思います。顔が見たくなっちゃいますよね? それをあえて見せないという演出――やっぱり、わかりやすさを優先して面で見せて切り返し、切り返し…とやってしまうと、想像力がなくなっちゃうんですよね。そうじゃなくて、顔は見えなくとも江口さんのフォルム全体で表現したいなと思いました。かなり勇気のいる決断でしたけど。
江口:私は現場では何にも意識してなかったので、完成した映画を観て初めて「あ、ここは孝太郎さんの表情で見せるんだ」って気づきました。でもやっぱり、ワンシーン、ワンカットの撮影がほとんどだったので、ずいぶんと大胆なことをしているなという思いはありました。シーンの中で「ここは絶対に伝えたい」という部分があるじゃないですか? それがワンカットでうまく情報を伝えることができるのか? という不安があったんですけど、完成した映画を観ると、ちゃんと伝わってきたし、それはすごいなと思いましたね。
●“主演女優”と“監督”という関係で映画を撮る
――これまでお2人は2019年のドラマ「時効警察はじめました」(第4話)やCMでもお仕事をされていますが、主演女優と監督という関係で映画を撮られてみていかがでしたか?
森ガキ監督:「時効警察」の時はね、ちょっといろんなことがあり過ぎて大変で…(苦笑)。
江口:そうですね(笑)。それは森ガキ監督が悪いわけではなく…。
森ガキ監督:僕は江口さんともっとお話ししたかったんですけど、ちょっとそれどころではなくて…。それで逆に江口さんのことをもっと知りたいと思って、その後にCMのお話(明治プロビオヨーグルトR-1)をいただいた時は、企画段階から「江口さんとやらせてください」と言いました。そのCMの時に「次は映画でご一緒したいです」という話をさせていただいてたんですよね。
江口:でもね、「時効警察」の時も、大変なのに監督はあきらめないんですよね。それが本当にすごいなと思って。「監督のためなら、どんなことでもやろう!」と思わせてくれる何かがあるんですよね。
森ガキさんは現場のみんなが楽しくいられることをすごく大事にされるんですよ。誰かが退屈そうにしていたら、声をかけるし、私がボーっとしててもすぐに近づいてきて、しょうもない話をしてくれるんです。「いまはちょっとそっとしておいて…」というタイミングもあったんですけど(笑)。
でも、ちゃんとシーンごとにポイントを伝えてくださるし、細かい演出もしてくださったし、あとは完成した映画を観て初めて気づくことがすごく多かったですね。映画を観て「あぁ、これは本当に森ガキさんの映画なんだ」と思いました。正直、撮影が終わってから自分の力不足を感じるところ、「あのシーンはもう少し、桃子の心情を出しておけば…」とか考えてしまうところがあったんですけど、完成した映画を観ると、心情がきちんと描かれていて、そういうところは監督の力量で助けていただいたんだなと思います。
●“ダークな小泉孝太郎”はどう生まれた?森ガキ監督「“ジョーカー”のような存在にしたいと思って――」
――本作を語る上で、欠かせないのが夫の真守の存在です。そもそも、映画を観始めて、しばらく真守役が小泉孝太郎さんであることに気づかない人も多いんじゃないかと思います。
森ガキ監督:そうなんですよね(笑)。真守はサイコパスのようなタイプの人間ですけど、そういう役をやったことのある俳優さん、「この人はやれそうだな」という俳優さんにお願いするんじゃ面白くないなと思っていました。横山プロデューサーと話している中で小泉さんの名が挙がって「小泉さんはいつもニコニコ笑っているイメージだけど、あの裏に何があるんだろう…?」という話になって、小泉さんにお願してみようとなりました。
髪型に関しても、普段すごくさわやかなイメージなので、今回は誰なのかわかんない感じで、“ジョーカー”のような存在にしたいと思って、小泉さんにお願したんです。最初は戸惑っていらっしゃいましたけど、承諾していただいて、話し合いを重ねながらあのキャラクターをつくっていきました。
江口:孝太郎さんと2人で芝居するシーンはすごく難しかったです。それは私だけでなく孝太郎さんもそう感じていたと思います。でも、桃子は真守に合わせて生きている人間なので、芝居を孝太郎さんに合わせてみよう、と。そうするとお互い息が合いはじめました。
普段から、孝太郎さんって愛嬌もあるし、すごく面白い人なんです。だから大胆なキャスティングだなと私も思いました。不思議なことに、十数年前にテレビのドラマ(「名もなき毒」)で、私は孝太郎さんのストーカーの役を演じてまして(笑)。だから今回も「また孝太郎さんを追いかけるのか…」って思いましたね(苦笑)。
●多くのシーンを“順撮り”にしたことで得たもの
――多くのシーンが順撮りで撮られたそうですが、それもこのご時世では、予算やスケジュールの関係でなかなか簡単なことではなかったかと。桃子のちょっとした心情の変化や機微を表現する上で、それが活きたのではないかと思います。
森ガキ監督:そうですね。桃子の機微みたいな部分について話し合う中で、これは順撮りで撮ることが大事だなと感じて、スタッフに「なるべく順撮りでできるように組んでほしい」とお願いしました。大変だったと思いますが、それを実現してくれたスタッフに本当に感謝です。
少し前にあるドラマ(「海の見える理髪店」)を柄本明さん主演でやらせていただいた時も僕がなるべく順撮りでとお願いしたんですけど、その時に柄本さんが役をつくり上げていく姿を見せていただいて、今回もこういう感じで江口さんと一緒にやれたらと思ったんですよね。
役者さんもそうだと思いますけど、僕自身も日常の繊細だけど何気ないシーンから入っていくことで、少しずつ見えてくるものってすごくあったと思います。
江口:やっぱり順撮りにしたからこそ、その後に控えているシーンについて、特に後半にかけて監督と話し合う時間が多くなりましたね。「台本ではこうなっているけど、こうしたほうが…」とか、ラストに関しても「桃子はどうするのか?」という話もしました。そうやって順撮りで進めていくことで、私たちの中でこの映画をつくることがすごく楽しくなっていきました。
森ガキ監督:江口さんにすごく助けられたシーンがあって、映画の中でたびたび携帯電話が出てきますけど、本を書いていたり、撮影をしているとつい“道具”になってしまうんですよね。でも江口さんが桃子を演じる姿を見て、それが単なる小道具ではない存在なんだってことに気づかされました。最後にこの携帯電話をどうするかということで、話し合いの末に携帯を捨てるシーンを入れることになったんですけど、編集の段階で「このシーンがなかったら、わかりづらい映画になっていた」と思って、本当に江口さんに助けていただいたなと思いました。
●“捨てる”という行為 江口のりこ“提案”の裏にあった意図を明かす
――原作小説では、日記帳であったのが、映画では時代やメディアに合わせて携帯電話になっています。日記帳と携帯では精神的な“重み”のようなものにどうしても違いがありますが、江口さんの演技、挿入されたシーンによって、その重みがしっかりと伝わってきます。
森ガキ監督:そうなんです。現場で江口さんから提案をいただいた時も「あぁ!そうだよなぁ」と思ったんですけど、携帯電話がただの道具ではなくなる瞬間で、海外の方からのあのシーンについての反響もすごくありました。
江口:普段、私はそこまで現場でいろいろ提案するということはあんまりないんですけど…。携帯電話に関しては、たびたび「携帯電話を見る」という描写があったんですけど、それは桃子自身のためであり、この映画を面白く観ていただくため、お客さんのためでもあるんだという思いがどこかにあったんですよね。でも同時にそれをどこかで「捨てたい」という思いもありました。「これはお客さんのものではなく、桃子のものなんだ」ということを示すためにも、桃子自身が捨てなきゃいけないんじゃないかと。そんな思いで提案させてもらいました。
森ガキ監督:ラストシーンに関しても、現場でいろいろ新しく加えることができたのは順撮りをしていたからだし、そうやって役者さんと一緒に少しずつ築いていくという作業にハマってしまいまして、「次の映画も必ず順撮りでお願いします」ってスタッフにお願いしています(笑)。