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タフにサバイブしていく沖縄人のウィット。写真家・石川真生さんの強さと愛を見つめた「オキナワより愛を込めて」砂入博史監督に聞く

映画.com 2024年9月1日 21時0分

 沖縄を拠点として活動する写真家・石川真生さんを追ったドキュメンタリー「オキナワより愛を込めて」が公開となった。石川さんのルーツをたどりながら、作品の背景となった歴史、政治、人種差別、それらを乗り越えるパワーを写真とともに映し出していく本作監督、砂入博史氏に話を聞いた。

 1971年11月10日、米軍基地を残したまま日本復帰を取り決めた沖縄返還協定をめぐって、沖縄の世論は過熱。ストライキを起こした労働者と機動隊の衝突は警察官1名が亡くなる事件へと発展した。当時、この現場を間近で目撃した10代の石川さんは人間同士の衝突に疑問を抱き写真家の道に進む。そして、1975年から黒人向けのバーで働き始め、そこで働く女性たちや、黒人たちとともに時間を過ごしながら、日記をつけるように写真を撮り続けた。2024年、石川さんは沖縄出身の写真家として初の文部科学大臣賞、そして土門拳賞を受賞した。

 砂入監督は、ニューヨークを拠点に、映像やパフォーマンス、写真、彫刻などさまざまな分野で創作活動をしており、2010年、学芸員の友人からの紹介でクイーンズの美術館で開催された展覧会で真生さんを知った。その後2017年に写真集『赤花 アカバナー 沖縄の女』再出版で再びニューヨークを訪れた真生さんの、過去の仕事に驚いたことが、本作制作のきっかけとなった。

 「2010年の展覧会は米軍の基地の記録写真だったので、やや無機質な感じで、そこまで強い印象を受けたわけではなかったのですが、『赤花 アカバナー 沖縄の女』にすごく驚いたんです。普段から真生さんはSNSで沖縄や政治について発信されているのは知っていましたが、こういった写真を撮られていたことは全く知らなくて。生き生きとした構図の取り方、生々しさ、人が生きたそのままが映ってるような感じが素晴らしく、当時の日常、音や会話も聞こえてくるような印象を受けました。それで、ニューヨーク大学での真生さんの講義を聴きにいきました」

 「その時のシンポジウムで、最初に話をした東アジア研究家の助教授の方が、真生さんの写真を見せながら『これは沖縄の女性の闘い』と紹介したんです。そうしたら、その場にいた真生さんがうずくまってしまって。その年にガンが発見されたことを知ってたので、体調が悪いのかと心配していたら、怒りとともにこう発言されたんです」

 「まずは真生さんの写真を許可なく使ったということ。もう1つは、真生さんが撮った写真は、『愛についてであって、闘いや政治じゃない』と仰いました。そして、写真を撮った動機について説明されました。子供の頃から当たり前のように米軍がいて、ノイズがうるさかったり、誰かがレイプされたり殺されたりしたことも……そういう事件をよく聞いていたそうです。1945年から1972年の日本復帰まで、琉球警察が米軍に対しては取締りを行えない状況だったので、特に45~47年頃は性犯罪が数えきれないほど起こったそうです。真生さんは大人になってからも勉強し続け、こういった問題を放置している日本は何なんだ、と、そこで湧いてきた怒りが彼女の活動の根底にあるんです」

 琉球王国が日本に併合され、その後アメリカに統治され、そしてまた日本に……という沖縄で生まれ育った複雑なアイデンティティも、真生さんが写真を用いて思いを表現する原動力となった。そして、この映画でも語られる、アメリカと米軍の実体を自分の目で見たい、とその環境に自ら飛び込んだ実体験をその講義で語ったという。

 「当時、アメリカでは、ブラック・ライブズ・マター(略称:BLM)が盛んで、とにかく、アフリカ系アメリカ人ではない人たちが、黒人に対して言及をする時に、非常に配慮し、ものすごく言葉を選ばなければいけない緊張感が社会の中に広がっていました。真生さんの豪快な、偏見とも捉えられてしまうような発言は、アメリカ人には絶対できないんです。そういう発言もありながら、最後は1人1人の人間として理解していった、それがものすごくフレッシュに感じましたし、真生さんが沖縄から来ているからこそ、言えるという状況があり、アメリカの統治時代を知る女性でもある。そういうパワーの入り組んだところに立っている彼女のトークを記録したいと強く思い、講義が終わった途端に真生さんにドキュメンタリー制作の申し出をしました」

 石川さんから許諾を得るも、沖縄は高校時代の修学旅行で1度訪れたのみだったという砂入監督。撮影に3年かけ、毎年2週間から1カ月ほど滞在し、真生さんの記録を残した。「2017年は真生さんのガンの手術があり、ちょうど手術が終わった時に沖縄に行っても、2週間のうち1日しか会えなかった時もありました」と振り返る。

 既にニューヨークで真生さんの講義を聞いていたからこそ、このドキュメンタリーで敢えて何かを話してもらおうと誘導することはなく、また、真生さんからも、撮影にあたって何の制約も受けなかったという。

 「長回しをしてたら、真生さんが、ニューヨークでお話されたことにいろんなことを足して話してくださって。その話も、どこへ行くのかな……と思ったらまた帰ってきたり。足した部分に、女性の仕事の自由や権利の話、東京で開催した個展で、“売春婦が撮った売春婦”のように言われたなど、そんな話題も出てきて。もともとはニューヨークの講義同様、黒人兵たちとのかかわりをお話してもらう予定でしたが、そのほかにも僕が知らなかったことがたくさん出てきて、そのすべてが印象深かかったので、撮り続けました」

 映画では、真生さんがかつて働いてたバーを探し、真生さんの記憶から、当時の思い出が鮮明に語られる。「胡座や金武に行こうって言い出したのも、どっちか覚えてないぐらい、自然に発生するような感じでした。金武に行ったのは、撮影の終盤で、タコライス食べている場面も、お互いそれまでに撮ったものもよくわかっている状況でした」

 現代美術家、写真家、映像作家として活動する砂入監督。広島県出身で、米国で美術教育を受け、現地で教鞭もとるアーティストだ。ドキュメンタリー映画を撮り始めた理由をこう語る。

 「アメリカに行こうと思ったのは、高校時代に 映画『スタンド・バイ・ミー』がすごく好きで、ああいう田舎町に憧れたんです。もちろん、広島生まれで、平和教育を受け、親族の被爆の話も当たり前にある環境で育ちましたが、実はアメリカでそういうことを一生懸命考えようと思ったわけではなくて。でも、ゾウの彫刻作品を作ろうとした時、最初は違う素材で作る予定だったのですが、美術館から被爆樹木を使うことを提案されて、すごく美しくできたんです。自然な、ゾウのような見た目になって、結果的にはこっちの方が良かったんだなと思ったり。こういうアイデアの移行や物事の変化があっても、アート作品は最後に作ったものを見せるだけなんです。一方で、ドキュメンタリーはそのプロセスまで映すことができる。そういった意味で映像は、いろんな葛藤や、小さくとも何か大事なことも残すことができる、そこが魅力だと思うのです」

 1945年、沖縄戦に原爆投下と太平洋戦争時にとりわけ大きな傷跡を残した都市に生まれたふたりが、アメリカを通して歴史を見つめ直す作品でもある。「真生さんには僕の話はほとんどしていません。僕は大学からアメリカのアート界に入って、そこはインテリでリベラルな人が多かったです。でも、コロナ禍に田舎に行ってトランプ支持者たちと話す機会がありました。もちろん、当時アメリカがあの選択をしなければ戦争は終わらなかった、という教育の文脈が大きいと思いますが、広島に対してはひどかったのではないかと僕が話すと、涙ながらに納得してくれたことがあって。きちんとお互いに話をしたら、理解しあえるんだなとわかりました」

 そして、同じアーティストとして真生さんをどのように見るのだろうか。「作家として、ここまで明快に意図を持って、沖縄を追い続けていることが素晴らしいです。真生さんは写真を撮り始めてから、さまざまなテーマで沖縄をいろんな視点から料理している。アーティストとして多才で、自分が経験することで理解していく、そういうやり方での作品作りが僕とは違うところ。例えば、伝統民謡に携わる方々を4年間ぐらい住み込みで撮影したり、その次は漁師をテーマにして、その時は実際に漁師の男性とお付き合いして、その方が経営する飲食店で働いて、そこに来る人々と交流していたそうです。真生さん自身が体をぶつけて、そこから見えてくるものを記録していく、そういう作家性ですね」

 そんな風に、自身の精神も肉体をさらけ出す真生さんは、自身の性愛についても赤裸々に語り、カメラの前で躊躇なく着替えをし、手術後の傷の手当を自身で行う。

 「韓国で一度上映しているのですが、韓国の女性観客もすごくそこに驚いていました。儒教の国なので、性に対してはかしこまったところがあり、真生さんのように豪快に、っていうのが自分にはできないけどすごい。みなさんそんなことを言ってました」

 「着替えのシーンは、真生さんから撮影を提案されたんです。おそらく彼女は、写真家としての人生の間に、自分自身を暴くというか、自分をさらけ出そうと考えていたのではないでしょうか。そんな時に、ちょうど僕が現れたというか。で、こいつは悪い奴じゃないだろ、って理解してくれて、真生さんが先輩で、僕は後輩、そんな関係性でした。そして、ガンになったことも大きかったと思います。ガーゼを自分で取り換えるところを『撮るか?』って。僕は、そういう彼女の大きな意思をただただありがたく受け取り、大きな愛を授かったという状況でした」

 この完成された作品に対しての真生さんの感想は――「一言、『上等さ』って言ってくれました。あと、僕のグラフィック系の仕事をすごく気に入って、センスがいいとか言ってくださって。内容に関しては、彼女にとってはもういつも自分が言っていることを見るような感じでしょうから」

 タイトル「オキナワより愛を込めて」については、「すぐに浮かんできたんです。もう、これは愛についての話でしかなく、ほかのタイトルが浮かんでこなくて、これしかないな」と即決したという。最後に、これから映画を観る観客にメッセージを寄せた。「まずはアメリカ、米軍があって、そして真生さんの体験がある。そして、良いこと、悪いこともその状況を作ってるのは日本です。そこをタフに、サバイブしていく沖縄人のウィット。それが真生さんの強さであり、愛なんです。そういったものを見ていただき、もう1度、沖縄について考えていただけたらなと思います」

 写真家・石川真生さんの強さと熱い生き方、それを受け止め、観客に愛を持って伝える砂入監督の情熱を是非スクリーンで見つめてほしい。

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