チャイコフスキーの妻アントニーナ・ミリューコヴァは、ハイドンの妻、モーツァルトの妻と並ぶクラシック界3大悪妻のひとり。ただし、夫の仕事を理解せず性格に問題があったハイドン妻や、浪費家で浮気性だったモーツァルト妻と比べると、アントニーナは、別の男性と結婚していたら良妻になっていた可能性を秘めている。キリル・セレブレンニコフ監督が描くのは、そんな相性の悪さに人生を狂わされた女性の物語。チャイコフスキーが同性愛者だった事実を明確に提示することで、異性を愛せない男に報われない愛を捧げた女の悲劇として作品を成立させた。
アントニーナ(アリョーナ・ミハイロワ)とチャイコフスキー(オーディン・ランド・ビロン)の不幸な結婚を暗示する2つの場面が強い印象を残す。ひとつは、チャイコフスキーに対してストーカーもどきの片思いを募らせるアントニーナが、教会の前で錯乱した女に絡まれる場面。女が口走る結婚や夫への恨み言は、そのままアントニーナが通って行く道を示している。もうひとつの場面は、同性愛の隠れ蓑にするべく結婚を決意したチャイコフスキーの心情がよく表れた結婚式。早くも後悔の表情を浮かべるチャイコフスキーの持つロウソクの炎が消えたり、結婚指輪が入らなかったり。呪われた感がめいっぱい漂う。
結局、2人の結婚生活は数週間で破綻し、チャイコフスキーはモスクワから逃亡する。このときのアントニーナの最大の誤算は、ありったけの愛を注げばチャイコフスキーの性癖が変わり、自分の元へ戻って来ると勘違いしたことだろう。同性愛を理解できない彼女は、「彼は天才で私は凡人だから愛されない」と思い込み、見当違いの苦悩を深めていく。不憫と言うしかない。
チャイコフスキーに遠ざけられれば遠ざけられるほど、崇拝の念を強めていくアントニーナの心情について、「アントニーナにとってチャイコフスキーは偶像のような存在であることが重要でした。彼女にとって最も重要な神はチャイコフスキーでした。彼女はいつもチャイコフスキーと結婚できるよう神に祈っていましたが、神の座がチャイコフキーになってしまったことを示すことが私には重要でした」と、セレブレンコフ監督は説明する。信仰を捧げた神に「毒蛇」と罵られるアントニーナの心中はいかなるものだったのか。彼女の葛藤と孤独、満たされない欲望を、全裸の男たちとのダンスで表現した演出が鮮烈だ。
(矢崎由紀子)