国立映画アーカイブで開催中の「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」の招待作品部門「生誕100年 増村保造新発見!~決断する女たち~」内のプログラム「動脈列島」「曽根崎心中」の上映が9月15日に行われ、両作に出演する梶芽衣子が増村監督との思い出を語った。
本企画は、8月25日に生誕100年を迎えた増村保造監督の未配信作品8作品を含めた13作品を紹介する特集上映。この日の聞き手は第5回大島渚賞を受賞、梶が出演した「鬼平犯科帳」「剣客商売」にもスタッフとして関わったことがある工藤将亮監督が担当した。
新人時代から「どの作品でも違う役を演じきることができる」女優の若尾文子を尊敬していたと語る梶にとって、若尾との名コンビで知られる増村監督の映画は「憧れ」だったという。その後、若尾を担当していたスタッフが梶の所属する事務所に入ってきたことにより、増村監督との顔合わせが叶い、梶主演での映画製作の話がまとまった。
その間に出演した「動脈列島」「大地の子守歌」は、「あれはカメラテストだったわね」と笑う梶。そうした中でようやく製作費の目処がたち、いよいよ主演作「曽根崎心中」の企画がスタートとなる。だが撮影日数は19日という低予算映画。それでも梶は「お金じゃないのよね。貧乏は全然平気だから」と思ったというが、準備・撮影・公開に至るまで約3年間。「やると決まってからはなるべく仕事は入れないようにしました。そうは言っても食べていかないといけないですからね。でも日活時代からレコードを出していたので。その間は歌で稼ぎました。畑の中に『梶芽衣子さん来店!』という旗がなびいているようなところにあるキャバレーで歌ったこともあります。そういうところで3年分稼ぎましたよ」と笑いながら振り返った。
「新入りのとき何がつらいかって、台本の読み方が分からないの。ト書きとセリフしかないのに、自分の役がどういう役なのかなんて、入ったばかりの子が分かるわけない」と振り返るなど、日活に入社したばかりの頃は挫折の連続だったという。だが負けず嫌いだったという彼女は、悪口を言う先輩やスタッフに対しても「あなたたちは最初からそういうことができたんですか!」と言い返していたそうで、「すごい新人が入ってきた」という噂は日活のみならず、別会社である大映撮影所にも届いていたという。「(当時、大映に所属していた)増村監督もその噂は聞いていた?」という工藤監督の質問には、「増村さんは知らないんじゃないですか?」と笑う梶。ちなみに渡哲也さんは日活の同期だったそうで、撮影所からの帰り道で「もっと可愛がられるようにしろよ」と諭されることもしばしばだったという。
話はどんどん脇道に逸れながらも、興味深い話が次々と飛び出し、会場も興味津々。台本の読み方が分からずに女優としてのジレンマを抱えていたという梶は、「青春前期 青い果実」で母親役を務めた名女優・山岡久乃の自宅へ行き、「台本の読み方を教えてください」と直訴したこともあった。秘訣を簡単に教えてもらえるわけもなかったが、「教えてくれるまで帰りません!」としばらく立ち続けていたという。
しばらく経って、その様子にあきれ果てた山岡が「あんた、お腹は?」。そんなやり取りを経て、ようやく台本の読み方を教えてもらったという梶。「山岡さんってものすごいおっかない人なんですよ。でもその怖さの中に愛がある人で。そこにつけ込んだんですが、やっぱりわたしの目に狂いはなかった。でもここではその秘訣は教えないわよ。わたしが苦労して教えてもらったんだから」と会場に宣言し、会場を笑わせた。
そして話は再び増村監督の話題に戻っていく。東京出身の梶が大阪弁と廓詞(くるわことば)に苦労し、音楽のリズムとして覚えたという話。そして低予算であることを感じさせない美術、撮影、照明の素晴らしさをせつせつと語る梶は、「モントリオールの映画祭でも、みんなあ然としてましたね。(完成した)映画を観ているから。どう見ても低予算、少人数で撮ったとは思えないと。それとタランティーノが『キル・ビル』で来た時にもその話をしたんだけど、あの人も言葉が出てなかったね」と笑いつつも、「でも日活で撮った映画は、ほとんどが2週間くらいだったから。だから19日でもありがたかったわよ」と冗談めかしながら付け加えた。
「増村監督とのやり取りで思い出されることは?」という質問には「あの人はヒマさえあれば『はいヨーイ』『はいヨーイ』って言うんですよ。でもこっちは気が急くし、まだライティングもやっているわけだから。やめてくださいよと言っちゃいましたね。そうしたらものすごく不機嫌そうな顔をして。増村さんはいつも同じチノパンをはいていて、お尻のところにぞうきんを入れているんだけど、わたしがそう言ってやったら歯ぎしりをしながら床を磨いていたの。『ざまあみろ、やっつけてやった』と思った」と明かし、会場を笑わせた梶だったが、「でもね、あるときに『なんで本番の芝居では、あの元気さが出ないんだ』と言われて。やっぱりやられるのよね」と笑いながら付け加えた。
その後も増村監督とやり合うエピソードの数々を披露し、会場を沸かせた梶だったが、「何をされても愛情に感じました。ただ新人の時は気付かないのよ。だからいちいち逆らっていた。残念なことに、それが愛情だったというのはキャリアを積んでから分かる。最初は台本の読み方も分からなかったんだから」と述懐する。
だが実際に「曽根崎心中」が完成し、試写を観た時に、撮影現場で増村監督が指摘していたことが次々と思い出されたという梶。自分に打ちひしがれ、席から立ち上がれなかったという。そこで梶は、増村監督に「これからのわたしはどうしたらいいんでしょうか?」と尋ねると、その答えは「歌舞伎だな」とひとこと。
「でもどうして歌舞伎なんですか、なんて聞いたらぶっ飛ばされるから聞けない。だからそれからがむしゃらに歌舞伎を見続けましたよ。それでようやく分かったのが“芝居の間”でした。やはり間って真似もできないし、人に教えることもできない。これは自分の感性だから。わたしは感性を出し切っていなかった。そういう意味でも(『鬼平犯科帳』で共演した中村)吉右衛門さんというのはパーフェクトでしたね」。
その後も増村監督ともう1本一緒にやろうと映画の企画を立てるも、それが実現できずに悔しい思いをしたこともあったようだ。そして次第に映画からテレビに軸足を移すようになった梶。そんなある日、増村監督から「一緒にご飯を食べないか」と誘われ、一緒にカラオケに行く機会があったと明かす。増村監督から「梶さん、歌ってください」と促され、リクエストされたのが内藤やす子の「弟よ」。「わたしもあの歌い方が大好きで。たまたま知っていたので歌ったんですよ。そうしたら増村さんから『あなた、歌う使命感を持ちなさい』と。そんなことを言うなら詞を書いてくださいよ」ということで、手紙と一緒に送られてきたのが「恋は刺青」と「真ッ紅な道」という歌詞。
「気に入らないなら、ほかに3曲くらい書いてあるというんだけど、さすがにずうずうしいからそれもくれとは言えなかった」と笑う梶。その詞を形見のように思い、いつか曲にしたいと思い続けていたというが、「作詞:増村保造」という響きに、恐れをなす作曲家が続出。それから40年ほどの時を経て、いよいよ曲が完成。今年の3月にLPで発売された(配信は2月発売)梶のアルバムの「7(セッテ)」に収録されているそうで、「でもこれは本当に増村さんの形見というか、わたしの宝物です」としみじみと語った。
「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」は、9月21日まで国立映画アーカイブで開催(月曜休館)。