北海道の大自然を背景にアイヌと和人(日本人)との歴史を描いた映画「シサム」(9月13日から公開中 ※ムは小文字が正式表記)で初共演を果たした寛一郎と坂東龍汰。実はプライベートでは5年ほど前からの仲だといい、「ついに共演できる」と喜び合ったという。撮影舞台裏のほか、お互いの役者としての魅力を聞いた。(取材・文/編集部、撮影・山口真由子)
【「シサム」あらすじ】
江戸時代前期。北海道南西部に位置する松前藩は、アイヌとの交易品を主な収入源としていた。松前藩士の息子である孝二郎(寛一郎)と兄の栄之助(三浦貴大)は、アイヌとの交易で得た品を他藩に売る仕事をしている。ある日、栄之助は使用人・善助(和田正人)の不審な行動を見つけるが、そのせいで善助に殺されてしまう。復讐のため善助を追って蝦夷地へ向かった孝二郎は、そこで異なる文化や風習に触れ、それを理解することで自身の人生を見つめ直していく。
主演の寛一郎は主人公の孝二郎、坂東は和人に反発心を抱くアイヌの青年・シカヌサシを演じており、劇中では対立するシーンがある2人。インタビューでは互いの発言に笑い合い、信頼できる役者仲間でありながら、気心の知れた友でもある関係性が伝わってきた。
――本作に惹かれた一番の理由を教えてください。
寛一郎:小学生のときに、アートなどいろいろ学べる学習塾みたいなところに通っていたのですが、そこの行事の一つとしてアイヌの集落に2週間ほど滞在しました。そこから20年くらい経ってこういう作品のオファーをいただいたことは縁だなと思いましたし、アイヌの文化についてもっと知りたかったという思いもありました。
坂東:僕はもともと北海道に15年くらい住んでいて、家族で自給自足のような生活を送っていました。自分たちで肥料から作って野菜を育てたり、そういうサイクルのなかで生きてきたので、アイヌとも小さい頃からつながりがありました。ポロトコタン(編集部注 アイヌ民族の文化を紹介する施設)に家族で行ったり、父親がチセ(アイヌの伝統的な住居建築)を作るのが好きで実際に建てたりもしていました。あと、一番の出演の決め手は主演が寛一郎だったからです! 出ないっていう選択肢はなかったですね。
――今回が初共演ですが、以前からお知り合いだったんですね。
寛一郎:もともとは共通の知り合いが多かったんです。
坂東:かれこれ5年くらいの仲ですね。オーディションでかぶったりもして。
寛一郎:彼の魅力はもとから知っていたので、今回共演できて嬉しかったです。
坂東:まさかのアイヌ語と日本語でのやり取りだったね。「やった、ついに寛一郎と共演できる!」と思って喜んだのもつかの間。いただいた台本を開いたら、僕のセリフは全編アイヌ語だったのでぞっとしました(笑)。最初、台本には日本語でセリフが書いてあって、後にアイヌ語になりますって書かれていました。そんなに多くはなかったので、いけるかもしれないと思ったのですが、アイヌ語に直訳するとものすごい量になって。2行のセリフが5行くらいに増えました。
寛一郎:日本語では一言でも、アイヌ語に訳すと3倍くらいになるんです。
――お2人がそんなに仲良しだったとは知りませんでした。
坂東:周りの人から聞いた印象だと、寛一郎とは仲良くなれないだろうなって思っていました。でも、意外と仲良くなれました。
寛一郎:僕も周りの人から「坂東のこと苦手だと思う」って言われていました(笑)。でも、会ってみたら全然そんなことなかったです。
坂東:会う前の寛一郎は、人を見抜く力があって、一定の距離がちゃんとある人っていうイメージでした。本当に仲いい人とはすごく仲いいけれど、そうじゃない人には興味がなくて、寛一郎にとっての興味がある人になれる人はあんまりいないんだろうなぁって。
寛一郎:そのイメージは当たっていると思います。彼(坂東)とは近しいところもありますが、外から見た印象は真逆に見られることが多いです。そういった意味では、彼の人の懐にすぐ入れるところは僕にはない才能なので、魅力的だなと思います。知り合う前からみんなが彼のことを知っている状態だったので、当時は「坂東って一体何者なんだ」って思っていました(笑)。
坂東:そうだよね(笑)。当時僕は芸能界に入りたてで、活動を始めるのが遅かったこともあって、いろんな人とつながることに必死だったんだと思います。まだ“自分”というものができていなくて、いろんな人に興味がありました。役者って何?っていうのを人から摂取したかったんだと思います。
――お互いに気心知れた相手が現場にいて、嬉しかったのでは?
寛一郎:嬉しかったですね。
坂東:でも、寛一郎は3日くらいで僕に胃もたれしていました。撮影後に毎日、寛一郎の部屋に行って、何もしないのにだらだらいて。そしたら、やめてほしいって言われました。「もういい」って(笑)。
寛一郎:僕は極端にあんまり人と会わなくてもいいタイプなのですが、彼はありがたいことにずっと一緒にいてくれるんです(笑)。だから、「一回休憩しよう」って言って。
坂東:そこからちゃんと自分の部屋にこもるようになりました。
――俳優としてはお互いにどんな印象を抱いていますか?
寛一郎:坂東君はふわふわっと見えて、すごく真面目なんです。感覚的なことも鋭いですし、論理的にもできる。一緒にやっていてすごく助かりましたし、バランス感覚が素晴らしいなと思っています。
坂東:(照れ笑いをしてから)僕も寛一郎はバランス感覚がすごいなと思っています。「シサム」でも、それ以外の出演作品を観ても、役に一貫性があってぶれない。今回、寛一郎は主役でしたが、長時間スクリーンに映っていて、ここまで飽きさせない魅力がある人はそんなに多くいないと思うんです。現場でも感じていましたが、映画館で「シサム」を観て、改めて寛一郎の役の組み立て方が勉強になりました。こういう主演が真ん中にいるから、周りの人が生き生き演技できるんだなと思います。
――坂東さんのセリフは全編アイヌ語でした。かなり練習されたと思いますが、覚えるまでの苦労や、発音の難しさはありましたか?
坂東:撮影の2週間前くらいからアイヌ語に取り組み始めました。最初は音源だけを聞いて覚えて、現場に行ってからはアイヌ語をずっと研究されている藤村(久和)さんという方に教えてもらえました。
アイヌ語は文法の情報が少なく、セリフを覚えるときには、日本語とアイヌ語を見比べていって、現代語として理解できるブロックと、音と響きでなんとなく意味を理解できるブロックに分けて、気持ちを込められるよう準備しました。それ以外は歌を歌っているような感覚に近かったかもしれないです。孝二郎とぶつかる役だったので、ちゃんと自分の気持ちをのせられないと困るなと思っていました。
――撮影は1カ月半ほど白糠町で行われたそうですね。
坂東:普通の撮影とは全く違うので、印象的なことだらけでした。アイヌの衣装も当時に近いものでしたし、近くで熊が出るかもしれないとも言われていました。
寛一郎:定期的に爆竹を鳴らしたり、撮影所にご飯は持っていかないよう対策をしたり。
坂東:虫もすごくて、いろんなものと戦っていました。でも、とにかく料理が美味しくて。
寛一郎:毎日みんなでご飯を食べて、地元の皆さんと交流していました。7月に撮影していたのですが、気候も素晴らしかったです。白糠の宿には冷房がないくらい涼しかったので、ロケがしやすい環境でした。
坂東:あとは、寛一郎が筋トレ器具をたくさん買って、部屋がジムみたいになっていました。
寛一郎:武士の役なので、体を鍛えないとなと。
坂東:寛‘sブートキャンプみたいになって、男4人くらいで部屋に集まって筋トレをして。みんなすごく仲良しでしたね。
――お2人とも映画、テレビと広く活動されています。忙しい毎日を過ごしていると思いますが、役者を続けていくうえでどんなことがモチベーションになっていますか?
寛一郎:いい作品と良い人に出会うことはモチベーションの一つになっています。そもそも、自分が観たいと思う映画がそんなに多くはないので、そういった作品を観るために自分が作る。あとは、「シサム」のような作品を通して、歴史や文化を知ることも好きです。
坂東:どんな役をやっても、常に満足することがまだないです。やってもやっても、どこか埋まらない感じに突き動かされるのかなと思います。きっと、何歳になってもそれを埋められるよう頑張り続けるのが役者なのかなとも思います。僕はすごく飽き性なんですが、まず7年もこの仕事を続けられると思っていなかったです。続けられたのは、寛一郎みたいに、芝居という共通言語があって、同じ方向を向いてくれる役者仲間がいてくれたからかもしれないです。そういう人たちから「残念だな」って思われるような芝居をしたくないっていう思いも強いです。指摘してくれる人はどんどんいなくなっていきますし、そういう人たちにがっかりされたくないからもっと頑張れるんだと思います。
――貴重なお話をありがとうございました。最後に、お2人が何度も繰り返し観るくらい好きな映画、ずっと心に残っている映画を教えてください。
坂東:最近何回も観ているのは「レインマン」です。ここ半年で5、6回は観ました。緻密に作られているなって思うので、一か所観ていいなって思ったら、もう一回観直しています。すごいって思うシーンが毎秒あって勉強になります。
寛一郎:定期的に観たくなるのは、「L.A.コンフィデンシャル」です。役者もすごくて、ケビン・スペイシーが輝いていて、画もかっこいいので好きです。