ヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンがタッグを組んだ「憐れみの3章」が、9月27日公開となる。愛と支配をめぐる3つのエピソードで構成したアンソロジーで、不穏さと不条理が全編を包み込む、ユーモラスで奇想天外な物語だ。ランティモス監督が今年のカンヌ国際映画祭で本作を語ったインタビューを、映画.comが入手した。
本作は、ランティモス監督「哀れなるものたち」で2度目のアカデミー賞主演女優賞に輝いたストーンをはじめ、同作に出演したデフォーやマーガレット・クアリーが再集結。さらに、プレモンス、ホン・チャウ、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファーらが共演。「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」のエフティミス・フィリップが、ランティモス監督とともに共同脚本を手掛けた。
――「聖なる鹿殺し」(2017)以来の、脚本家エフティミス・フィリップとの作品ですが、いつからこの作品について彼と考えていたのですか?
私たちには休みはなく、ノンストップで動いていました。彼はとても仲の良い友人で、私たちはよく一緒にいて、色々なことを話します。実は、「憐れみの3章」は、ずっと前から時間をかけて書いていた脚本です。もちろん、他の作品を製作している時はいったん止めなければなりませんが、それが終わればすぐこちらに戻る、という感じでした。前回の2人のコラボレーションである「聖なる鹿殺し」の製作が終わってすぐに新しい企画を考え始め、それがこの映画でした。
当初はひとつの物語として始まりました。映画の最初の物語ですね。その後、映画の構造を変えたいと思い始め、それで「3部構成にしてみたらどうか」、となりました。そこから、最初のストーリーを書き始めて、他のアイディアのリストを作りました。直観的に、最初の物語と同じ世界に属していると感じるものを2、3選び、さらに同じ俳優が別の役を演じるという別のアイディアを思いつきました。その時は3つの物語が並行して進む形で脚本を書いており、そこにこのアイディアを反映させていきましたが、並行して進めることは難しいと感じました。観る人の混乱を招かないよう物語を並行ではなく、それぞれ分けることにしました。結果的にそちらのほうがより強いものになると感じたのです。また、同じ俳優を起用して、3つの話に一貫性を持たせることができました。
最終的にそこにたどり着くまでに長い時間がかかりましたが、私たちは取り組むことをやめませんでした。そして今、また他の企画に取り組み始めました。ですから、エフティミスとはノンストップのコラボレーションなのです。
――この作品の役作りをまとめ、また3つの物語の間にある必要な結びつきを編み上げていくにあたり、俳優たちとどれくらい会話を重ねましたか?
プレスインタビューでの彼ら(俳優たち)の話を聞いていると、彼らの多くは「信頼」を持たねばならなかったようです。3つの短い物語の構成上、彼らにもあまり情報がなかったので、盲目的に物語の構成を信じて、見つけるべきものを見つけ、そこにあるものに忠実になっていました。俳優同士、適応したり、サポートし合ったりして、お互いに必要としていることを養い、養われる関係性だったと思います。
この映画は、俳優同士のセリフから見出すものが多く、俳優個人が「このキャラクターはこうだ、このように演じるべきだ」と考えたり、分析的になったりするのではなく、文字通りでもなく、お互いのコラボレーションで進めていくような感じで、「さぁ、なぜか分からないけど、こんな状況になった、でもどんなことがあってもお互いサポートしあっていこう」、という俳優の勇気が必要とされていました。物語の背景も、詳細な情報もあまりない状態で、彼らは自分で判断せずにその場に立たねばならなかったのです。そして彼らはそれを成し遂げてくれましたから、私は感謝していますし、楽しんでくれていたと思っています。なぜなら、今までにない方法での取り組みだったからです。
――あなたが俳優を誘う時に使った言葉が「Play」(遊び/演技)だったと聞きました。監督自身が作った遊び場に遊びに来ないかと誘ったようですね。
はい、小さな役の時は私はいつもそうやって俳優を説得するんです(笑)。「ちょっとした役だけど、遊び(演じ)においでよ、楽しいよ」と。良い関係を構築していこう、私たちに未来を与えてくれるよ、という誘いでもあります。そして彼らの多くが来てくれるのです。
彼ら俳優がもたらしてくれる深みや、同じ人々と何度も同じ仕事をしているからこそ築けた関係性から、これまで探検したことのない場所に行くことができ、信頼も深まり、より多くのことを成し遂げることができるのです。失敗することもあるかもしれませんが、それを補い合うため、お互いが存在しているという俳優たちやスタッフの信頼関係があるのです。スタッフたちは、俳優たちのこともよく知っていて、また、毎回新しいメンバーが加わって家族のようなものになってきています。それが前に進むための理想的な方法だと思います。
――ジェシー・プレモンス、ホン・チャウら、今回は新しいメンバーが増えました。
私はしばらくホンやジェシーを見ていまして、単純にタイミングだったかなと思います。そしてもう満杯のところにハンターも。誰もが彼女が大好きでした。彼女は私から、「あなたは素晴らしい、私の映画が好きだったら、この作品に遊びに来てよ」と誘った一人です。彼女は喜んで来てくれ、ニューオーリンズでの1日がありました。素晴らしかったです。
私は大抵の場合、オープンであろうとしました。キャラクターの描写や台本でもなんでも。なぜなら私は好きな人たちと一緒に働きたいのです。私が尊敬する人やワクワクする人と一緒に仕事をするために、キャラクターについて持っていたアイディアを微調整する必要があるなら、俳優の役に具体的になりすぎるより、ただそうします。
また、私はプロではない俳優もいつも起用しようとします。ちょっとした役はスタッフだったり、地元の方だったり、プロセスの一部として参加していただくことを楽しんでいます。俳優たちも、定式化していない仕事や演技とは何かという概念を持っていない方々と演じることで刺激を受け、違う道も開くことができることを喜んでいると思います。
――今回の作品は、前作「哀れなるものたち」の編集中に撮影したそうですね。「哀れなるものたち」や「女王陛下のお気に入り」のような、大規模なセットや建造物、多くの可動部を持つ映画に対する解毒剤のようなものだったのでしょうか?
確かにそうですね。でも同時に、計画されたものでもなかったのです。行き当たりばったりで起こったものでした。ちょうど(「憐れみの3章」の)台本が完成した時に、「哀れなるものたち」のVFX編集を行っていて、それを待っている間に撮影に行ってしまおう、ということになったのです。
この撮影はシンプルになるだろうと思ってのことでしたが、ご存じのように、映画製作においてシンプルなものは何もありません。「哀れなるものたち」のように巨大なセットと照明や物流管理はなかったので、シンプルに進むと感じていましたが、実際ロケに出ると何千もの問題が出てきて、交通渋滞や天気の問題、駐車禁止にしていた場所に停められた車が邪魔で通れないとかあれやこれやと、違うところで複雑な問題が勃発しました。が、結果的に、他の作品よりこちらのほうがシンプルに見えるでしょう(笑)。
――ハンター・シェイファーによると、本物の遺体安置所で撮影していた時に竜巻が襲ってきたそうですね。
そうなんです(笑)。彼女の撮影日は1日だけでしたが、その日が最も波乱に満ちた日でした。そう、竜巻が来たんです。幸いなことに私たちがいた遺体安置所はとても頑丈な建物だったので安全でしたが、音は聞こえました。そしてその後外に出てみたら、車の窓ガラスは割れ、木は倒れていたりしていました。竜巻の後、ハンターは消えてしまったかのようで、私たちは撮影をその後も続けましたが、それ以降彼女を見ていません(笑)。信じられない1日でした。
――このインタビューはカンヌで行っていますが、撮影現場にいたいという、映画を作りたいという欲求は、常に監督の中にあるのでしょうか?
そうですね。私たちはいつも、「少しくらいは休みが必要だよ、もう疲れたよ」と言ったりしていますが、少し時間が経つと、私たちの頭の中に溜めていたものを外に出す必要が出てきます。それが私を押し進める理由になっています。作りかけ途中のものを寝かせ、距離を置いて少し休憩する、ということが出来ず、どうにか完成させなければと思ってしまうのです。その気持ちに駆り立てられるのです。過去に失敗したと感じたものを「今回はもっとうまくやるんだ」とか「もっとシンプルにしよう」とか言って、毎回より良いものにしようとします。上手く行く時もあれば、上手く行かない時もあり、その時はさらにそこに修正を入れ、直していきます。それはより良いものを作るための絶え間ない戦いなのです。ですので、そうですね、休みをとることは難しいですね。
――それは自己批判のようなものでしょうか、批評家が自分の映画についてどう言っているか、観客の反応は気になりますか?
直接深く掘り下げようとは思いませんが、世間の反応は感じています。感じないようにすることは不可能ですしね。ですが、少し偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、私は自分自身がその作品に対してどのように感じているかに重きを置いています。少数の特定の意見や、外に出てみんなの意見を探し回るよりも。もちろん、多くの方に作品を観て楽しんでもらえることは喜びですし、それを自身で楽しまないことはありません。ですが、私はネガティブな反応に対して心配はあまりしません。なぜならば複雑な作品であれば、全員が虜になることはないでしょう。ネガティブな反応は必ずあるものなので、私は受け入れています。
「憐れみの3章」は9月27日公開。