Infoseek 楽天

「ジョーカー2」が「賛否両論」なのは、「誤解」が原因の1つにある!【コラム/細野真宏の試写室日記】

映画.com 2024年10月16日 6時0分

 映画はコケた、大ヒット、など、経済的な視点からも面白いコンテンツが少なくない。そこで「映画の経済的な意味を考えるコラム」を書く。それがこの日記の核です。

 また、クリエイター目線で「さすがだな~」と感心する映画も、毎日見ていれば1~2週間に1本くらいは見つかる。本音で薦めたい作品があれば随時紹介します。

 更新がないときは、別分野の仕事で忙しいときなのか、あるいは……?(笑)

 2024年10月11日(金)から「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」が公開されました。

 先週の全米公開から世界的に文字通り「賛否両論」となっている本作。

 ここでは、「なぜ賛否両論なのか?」や、実際に見てみて「字幕」「吹替」「IMAX」のどれが良かったのかを解説します。

 本作「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」のタイトルにある「フォリ・ア・ドゥ」というのはフランス語です。

 意味は、いわゆる精神疾患の名称で、「1人の妄想が、別の人に感染し、複数人で同じ妄想を共有すること」を指します。

これは、主にジョーカーの存在感が他の人たちに影響を及ぼすことを指しているのでしょう。

 ただ、ちょっと長くて分かりにくいので、本稿では通称「ジョーカー2」と呼びます。

 「ジョーカー2」が賛否両論となっているのは、何と言っても前作「ジョーカー」の出来が良すぎた、というのが間違いなくあると思います。

 「R指定」を受けながら世界的に大ヒットし、R指定映画で史上初の「世界興行収入が10億ドルを突破した作品」なのです。

(現在では、2024年の「デッドプール&ウルヴァリン」が「R指定映画の世界興行収入1位」を記録して、「ジョーカー」は「R指定映画の世界興行収入2位」となっています)

 また、アメコミを原作とした作品にもかかわらず、2019年の第92回アカデミー賞では、「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「脚色賞」など最多11部門にノミネートされたのです!

 そして、ジョーカー役のホアキン・フェニックスが「主演男優賞」に輝きました。

 「ジョーカー」の成功の要因に、圧倒的なリアリティーがあります。

 ある意味で荒唐無稽なアメコミの作品を、生身の人間が圧倒的な演技力で体現してみせたのです。

 そして、「ジョーカー2」では、物語を発展させるために「ミュージカル」的なシーンを加える手法で作られています。

 本来的には、この「ミュージカル」的なシーンは、妙案と言えます。

 というのも、主役のホアキン・フェニックスは歌がとても上手いからです。

 「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」(2005年)という(カントリー・ミュージシャンの)ジョニー・キャッシュの伝記映画に主演したホアキン・フェニックスは吹替なしでジョニー・キャッシュの歌を見事に歌い上げていたのです。

 ジョニー・キャッシュの妻をリース・ウィザースプーンが演じて、アカデミー賞の前哨戦のゴールデングローブ賞でホアキン・フェニックスが「主演男優賞」、リース・ウィザースプーンが「主演女優賞」のW受賞に輝いたのです!

 ところが、アカデミー賞では、2人は当然「主演男優賞」「主演女優賞」にノミネートされましたが、受賞はリース・ウィザースプーンの「主演女優賞」だけでW受賞にはなりませんでした。

 いずれにしても、ホアキン・フェニックスと歌は相性が良いのです。

 そして、ジョーカーが出会う謎の女“リー” 役としてレディー・ガガが抜擢されています。

 ホアキン・フェニックスもレディー・ガガも歌は上手いので、難なく名作に昇華されても良いはずでした。

 ところが、この「ミュージカル」のような場面が本作の混乱を生んだのです。

 前作では圧倒的なリアリティーが作品のクオリティーを高めていたのですが、「ミュージカル」のような場面は妄想も含まれてしまうため、このシーンが多く入ると、それだけ混乱を生むことになるわけです。

 具体的には、一体どのシーンが現実で、どのシーンが妄想の世界なのかは、かなり考察をしないと見抜けないようになっているのです。

 このようなトリック的な作風であることが、ほぼ伝わっていなく、前作のような目線で見ると、不満が多く出ることになるわけです。

 ここに、本作が「賛否両論」になっている根本があるのです。

 つまり、「ジョーカー2」は、前作とは異なり、妄想も入り乱れた考察系の作品となっているのです!

 ネタバレは良いとは思わないので、ぼやかしながら、注目すべき箇所を書いてみます。

 実は、本作でトッド・フィリップス監督は、(特にクリストファー・ノーラン監督作の)過去作とのリンクを巧みに仕組んでいるのです。

 例えば、終盤に大掛かりなシーンがありますが、そのシーンのハービー検事の姿に注目しておくと“あること”に気付くはずです。

 また、本作のキャッチコピーは【ジョーカーになった男のその後――ラストに備えよ】と、ラストの展開が重要であることを示唆しています。

 実は、ここにもトリックがあって、確かにラストは衝撃的です。

 ラストシーンには“ある2人”が登場します。ネタバレのため、その2人が誰なのかの詳述は避けますが、どうしても「主役」に目や神経が集中してしまいます。

 つまり“もうひとりの人物”に注目する人は、ほぼいないと思いますが、ここに、とても重要な作品のカギが隠されているのです…!

 このように、本作を前作の流れで判断する人が圧倒的に多いのは、実はトリックのようなもので、必ずしも的を射ているわけでもなかったりするのが本作の興味深いところなのです。

 私は、字幕版、吹替版、IMAXと3パターンで見てみましたが、最初に字幕版を見た時に、「あ、これは前作のイメージで見るとダメな作品だ」と気付きました。

 その点で吹替版は、英語の歌はそのまま流れていて、会話だけを吹替えしているのも良かったです。

 割と歌の歌詞が重要な要素になっていたりもするので、使い分けができて分かりやすい吹替版は、本作に合っていると思いました。

 そして、やはりベースの映像は前作同様にクオリティーが高く、IMAXで見る価値がありました。

 特に、トリックのまとめを頭でする際には、大きく精巧な画面で見られると、より答え合わせをしやすく良いと感じました。

 以上のように、「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、よくある「賛否両論の作品」とは異なる深い作品となっているのです。

この記事の関連ニュース