「次のアン・リーが現れた!」
シンガポール出身の監督アンソニー・チェンは、デビュー作「イロイロ ぬくもりの記憶」で中華圏の映画業界に衝撃を与えました。その後はゆっくり時間をかけて、1本1本丁寧に作品を作っていくスタイルを貫き、2作目の「熱帯雨」も絶賛されました。順調にアジア各国で企画を開発していましたが、コロナの襲来が彼に大きく影響を与えました。
「私が作った映画を、まだ見たい人はいるのだろうか」。そんな思いを抱えながらも、中国でも“極寒”の東北地方へ赴き、初の中国映画「国境ナイトクルージング」(公開中)を完成させました。
この作品は、間違いなく“アンソニー・チェンの新境地”とも言える仕上がり。今回はオンラインインタビューの内容を通じて、製作秘話をお届けしましょう。
【「国境ナイトクルージング」概要】
中国と朝鮮半島の国境に位置する街・延吉を舞台に、偶然出会った男女3人が街をクルーズ(ぶらぶらと観光)するなかで起こる心情の変化を、繊細な映像美と抒情的音楽でつづった青春映画。
友人の結婚式に出席するため冬の延吉にやって来た青年ハオフォンは、上海へ戻る翌朝のフライトまでの暇つぶしに観光ツアーに参加した際に、スマートフォンを紛失してしまう。観光ガイドの女性ナナはお詫びとしてハオフォンを夜の延吉に連れ出し、男友達シャオも合流して飲み会で盛り上がる。翌朝、寝過ごしたハオフォンはフライトを逃し、シャオの提案により3人でバイクに乗って国境クルージングに出かける。
「少年の君」のチョウ・ドンユイがナナ、「唐人街探偵」シリーズのリウ・ハオランがハオフォン、「流転の地球」のチュー・チューシャオがシャオを演じた。
――「国境ナイトクルージング」の企画経緯を教えていただけますか?
この映画はコロナ禍に「企画のスタート」「ストーリーのブラッシュアップ」「撮影」の全てが行われました。コロナは、私に大きな影響を与えました。その時は、ずっと悩んでいました。この監督人生に未来はあるのか?と。なぜかというと、私はずっと静かな映画を撮っていました。ところが、コロナ期間中は誰もがショート動画や配信作品に慣れてしまった。「もう私の映画は必要ないんじゃないか?」と思うようになっていたんです。
だからこそ「自分には何ができるのか」ということを、いつも以上に考えていました。そこでいままで自分が挑戦したことのない作品に挑戦しようと思ったんです。「イロイロ ぬくもりの記憶」は家族について描きました。「熱帯雨」は、40代の女性に焦点を当てました。そこから“若者の映画を撮っていない”と意識し始めたんです。コロナ期間中、さまざまな記事を読み漁りました。特に若者関連の記事は非常に印象深かったですし、共感することが多かったんです。
そこで“若者の物語”を撮ろうと思いました。それはシンガポールではなく、他の場所で挑戦したかった。自分は英語と中国語しか喋れませんし、中華圏の映画人と長年付き合っているので、いつの日か“中国で映画を作りたい”と思っていました。中国で撮るなら、自分が行ったことのない町、そして自分が体感したことのない温度の中で撮りたいと考えました。私は子どもの頃からずっとシンガポールで暮らしています。年間平均気温は24度~32度。寒さというものを知らなかったです。ですから、中国で映画撮るなら、一番寒いところで撮れたらいいなぁと思いました。
――本作の前に、オムニバス映画「永遠に続く嵐の年」に参加されていますね。その中の1本「隔愛」を製作していますが、この作品の創作は「国境ナイトクルージング」と関わっていますか?
「隔愛」は、私にとって非常に重要な作品でした。2020年のパンデミックになったばかりの頃、アメリカの映画会社NEONから、世界各国の監督を招き、コロナについて映画を作りたいと連絡が来ました。ちょうどその頃は、イギリスにいました。この企画に参加するなら、西洋的な視点ではなく、東洋的な視点でコロナの作品を撮りたいと思いました。そこで中国を舞台に作品を作ることにしました。ですが、当時のコロナを巡る状況は本当に大変で、中国に渡航することは不可能。ですので、リモートで作品を作りました。ロケハンからリハーサル、さらに現地の撮影まで、全部リモートで完成させています。
あの時は本当に大変でしたが、チョウ・ドンユイと一緒に仕事できたのは非常に楽しかったです。ですから「国境ナイトクルージング」の脚本もまったく完成していない段階で、すぐに彼女へオファーしています。
――メインキャスト3名との共同作業はいかがでしたか?
良い信頼関係を築けたと思いますし、撮影期間は本当に楽しかったです。脚本が完成していないのに「全員出演OK」となったんです。皆さんは映画を見て“3人の若者の物語”だととらえるはずですが、私から見ると、ある意味、今回は“私と彼ら3人の旅”だと感じています。
――「イロイロ ぬくもりの記憶」「熱帯雨」はどちらかというとリアリティを追求する作品。本作では“主人公の情緒の変化”をもっとも描きたかったのではないでしょうか?
撮影前、カメラマンのユー・ジンピンさんと色々話しました。いままでの作品はリアリティを追求する作り方でしたが、今回はかなり衝動的な部分もありますし、リアリティを保ちつつも、少し幻想的な雰囲気も作りたいと考えていました。舞台の延吉は、とても魅力的で独特な町でした。中国の町ですが、町中にハングルが見られますし、周りに韓国語を喋っている人も多かった。まるで異郷にいるような感じです。
これまで中国の東北地方を描いた作品は、基本的にダサくて、寒いイメージが強かったんです。町の発展が止まっている“旧型の工業都市”として描かれることも多かった。でも、実際に行ってみると“色”があると感じました。密度から言えば、延吉のカフェ・喫茶店の数は、中国国内においては上海よりも多いです。韓国文化の影響でいまの延吉は素敵なカフェの街となり、若者もみんなオシャレで、ダサいといったイメージはまったくなかった。だからこそ、この町は「国境ナイトクルージング」の物語に一番ぴったりだと思いました。若者の情緒をとらえるには“最高の町”なんです。
――私の友達の多くも、本作の主人公たちに共感しています。「男2、女1」という組み合わせはある意味王道ですよね。映画ファンであれば、すぐにフランソワ・トリュフォー監督作「突然炎のごとく」を連想すると思いますし、日本映画「きみの鳥はうたえる」(三宅唱監督)を思い出す人もいるはず。この「男2、女1」の設定にどのような思いを持っていますか?
「きみの鳥はうたえる」はまだ拝見できていなくて、いつか見たいと思っています。私はいままで若者の映画を撮ったことがないので、物語をどう描くのか、色々と考えました。すぐにフランソワ・トリュフォー監督作「突然炎のごとく」が出てきました。あの映画は若者の情緒、精神状態を完璧に撮っています。もう1回「突然炎のごとく」を見直すことはありませんでしたが、「男2:女1」の設定にすることを決めました。ただし、本当に設定だけなので、物語の構成は全く異なると思います。私が最初に考えたのは「この物語は4日間という短期間の話にしたい」ということ。なぜなら、若者主軸で“長いストーリー”を書ける自信がなかったからです(笑)。
もうひとつの理由は、“氷”を描きたかったから。冬の映画に関しては“雪”が登場しすぎていると思ったので「もういいかな」と。逆に“氷”はあまり注目されていませんよね。氷は本当に不思議な存在。水から氷になるまでは、そんなに時間がかかりませんし、その逆も然りです。短い瞬間に起こったことは衝動的であり、その一瞬の情緒は今後の人生にも大きく影響を与えていく。ある意味、これが一番描きたかったものなんです。
――“動物”の存在も、多くの評論家に評価されています。是枝裕和監督も同様のシーンを絶賛していましたね。
脚本を書いていた時、ラストは「都市から自然に戻る」ことを意識していました。ですから、延吉やその周辺を色々探索して、その結果「長白山」を見つけました。地理的には半分が中国で、半分が北朝鮮という独特な存在で、面白いエピソードがたくさんありました。その中に古朝鮮の建国神話がありました。ある虎と熊が、人間になれることを祈っていますが、1カ月間蓬(よもぎ)と蒜(にんにく)しか食べられないと告げられると、虎は我慢できずに途中で諦めてしまいます。一方、熊は最後までやり遂げて熊女となる。ですから、朝鮮においてクマは母なる神の象徴となる動物。私が作った話ではないんです(笑)。撮影オフの日、延吉の動物園に見学に行きました。なかなか不思議な体験で、非常に印象深かったです。ですから、動物の話を映画の中に入れたんです。
――最後に次回作についてお聞きしたいですが、「イロイロ ぬくもりの記憶」「熱帯雨」を含めた“成長三部作”の第3弾の製作は進んでいますか?
えぇ、“成長三部作”の3作目はすでに準備しています。来年の2、3月あたりに撮影を行う予定です。もちろん、同じくコー・ジャールーとヤオ・ヤンヤンが出演します。「イロイロ ぬくもりの記憶」のとき、コー・ジャールーはまだ11歳でしたが、いまはもう22歳、兵役も2年務めて、大人になりました。そろそろ3作目を完成させないと考えたんです。その他には「パラサイト 半地下の家族」のプロデューサーとともに、韓国映画を1本企画しています。