香港映画界を代表するサモ・ハンが11月1日、東京・丸の内ピカデリーで行われた第37回東京国際映画祭の企画「サモ・ハン マスタークラス/『おじいちゃんはデブゴン』」に登壇。変化する映画業界に対する意見、今後の作品づくりで大切にしていることなどについてトークを繰り広げた。
1952年生まれのサモ・ハンは、10歳のころに中国戯劇学院に入学し、約8年間京劇を学んだ。同学院へ入学した直後に「愛的教育」(61)に出演し、映画デビュー。同学院で「(京劇の)動きは全部叩き込まれました。自分の動きはそこで作り上げた」そうで、「卒業すれば、大概のことができるようになります」と述べた。
「燃えよドラゴン」(73)では、ブルース・リーとアクションシーンを演じた経験も。リーの出演作に「大きな影響を受けていた」と明かし、「だからこそ、亡くなったときは本当に心が痛みました。香港のみならず、世界中が衝撃を受けました。ファンの方、崇拝していた方はみんな悲しんでいたと思います」と振り返った。
スタントマン、アクション俳優にとどまらず「少林寺怒りの鉄拳」(77)では監督デビューも果たし「燃えよデブゴン」(78)、「五福星」(83)などを製作。「映画の仕事がすごく好き。どのセクションもちゃんと勉強したい気持ちがあったので、カメラの助手、武術指導、俳優などすべてやりました」と述懐し、影響を受けた監督を聞かれると「どの監督ということはない。全部の監督から教わった」と謙虚な姿勢をのぞかせる。
精力的に活動していた80~90年代に休みはなかったのでは、という質問には「なかったです」と答え、「でも、休んでいるより、映画を撮っているほうが楽しかった。だから、前世は牛だったのかなって。常に畑を耕していないといけなかった。そうだったのかもしれません」と言い、会場の笑いを誘った。
当時と現在の映画の変化については「AIやCGを使うのはいいと思う」と持論を述べ、「でも、いかんせん自分は使えないので、撮るとしたら必死になって身体を使って戦ってもらうことになる。もっと頭が良くて、AIなどの使い方をちゃんと覚えたら、自分が楽できるのになって思います」と笑みを浮かべた。
今後の作品づくりにおいては「まず健康であること。毎日うれしいこと、楽しいこと」を大切にしていると言い、さらに「もっと大事なことは、もっといい作品をつくってみんなに見てもらうこと。見てくれて喜んでくれれば、自分もうれしくなる」と言葉に力を込めた。
香港映画が今後注目されるためには「観客が興味を持って応援して、支えてくれるようにならないといけない」と見解を示し、「観てくれないとどんなに頑張っても輝きを取り戻すのは難しい。応援が大事だと思っています」と呼びかけていた。
最後に、この日の感想を「マスタークラスということがすごくうれしかった。ファンの方々と話すチャンスはなかなかないので。ファンのみなさんがずっと昔から今まで応援してくださっていることに、心から感謝しています」と頭を下げ、「新作が出たらぜひ応援してほしい。多くは望まない、20回観てくれ」と冗談を飛ばし、客席を喜ばせていた。
マスタークラスには、映画評論家の江戸木純氏も出席した。
第37回東京国際映画祭は、11月6日まで開催。