面倒見がよく優秀な姉に統合失調症の症状が現れた。父と母は玄関に南京錠をかけ、彼女を閉じ込めた――家族という他者との20年にわたる対話の記録をとらえたドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」の本予告編が、このほど公開された。あわせて、本作を鑑賞し「どうすればよかったか?」という問いに向き合った人々のコメントが披露された。
本作は、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親を、弟である監督自身が記録していく。カメラを通した家族との対話は20年に及び、“どうすればよかったか?” という正解のない問いが容赦なく響きつづける破格のドキュメンタリーとなっている。山形国際ドキュメンタリー映画祭2023や、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル2024で上映されるやいなや大きな話題となり、劇場公開を待ち望む声も多く聞かれた作品だ。
面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(本作の監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。
特報予告編は、YouTubeへのアップから1カ月で17万回以上の再生回数に。今回披露された本予告編では、より深く家族の葛藤に切り込み、解決への糸口がなかなか見えない現実が露わになっている。
「どうすればよかったか?」は、12月7日よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町、第七藝術劇場、12月14日よりシアターキノほか全国順次公開。
【青山ゆみこ(編集・ライター)】
家族の映像を記録し、公開することの可否を、息子に問われた老いた父の返答に、複雑な感情でなんともいえず胸がきゅうっと詰まった。
どこかほっと安堵したような気持ちにもなったわたしは、もしかするとその返答を「正解」だと感じた、あるいは「受け入れた」のかもしれない。
わたしは、いつも「正解」を求めてしまうのだな。自分にも、誰かにも。
【伊藤亜和(文筆家)】
「どうすればよかったか?」という問いに正解を答えるのは、決して難しいことではない。
それでも人は必ずしも正解を選ばない。どうすればよかったか、みんな本当はわかっているはずだった。
鎖のかかった扉の内側から家族を見つめる静かな視点。
終わっていく物語は私たちにもういちど問う。一体、どうすればよかったか、と。
【インベカヲリ★(写真家、ノンフィクション作家) 】
姉の病気を認めないことで成立する「家族」のあり方。おそらく多くの機能不全家族にも通じる矛盾であり、その矛盾をはっきりとカメラに残したドキュメンタリーである。
【瀬尾夏美(アーティスト、詩人)】
姉、弟、父、母。
一緒に暮らしているがゆえに、どうしようもなく孤立していく人たち。
聞いてる? 聞こえてるよね。
25年間にも及ぶ、すれ違う会話の集積が問いかける。
では、家の中に閉じ込められた困難に、社会は、他者は、何ができるのか。
どうすればよかったのか。――わたしたちはこの映画から、対話を始めたい。
【想田和弘(映画作家)】
解釈を拒む奇妙で厳しい現実を、そのままゴロっと差し出したような映画である。だからか、どう評していいのか分からない。観た後しばらく茫然とするしかなかった。
【永井玲衣(哲学者)】
映像はふるえている。目もくらむ年月を重ねたままならない日々と家族が、そこにうつっている。求めることができなかった助けの声が、問いのかたちとなって社会に手渡された。映像を観たいま「あなたたちはこうすればよかった」ではなく「わたしたちはどうすればよかったか」という思いが離れない。
【星野概念(精神科医など)】
ある時点よりも先の未来の物語には、常に無数の筋があります。
その時点での環境、不安、希望、知識、出会いなど、様々なものに影響されながら、その人や周りの人たちは一つの筋の物語を紡いでいきます。
人生の物語はどの時点でも道半ばで、いくらでも振り返ることはできるけど、歩んでいる筋のよしあしに正解はきっとありません。
どうすればよかったか?
問いは壮大。考え続けることは楽ではない。
けれど、とても稀有な記録、記憶をたどりながらそれを一緒に考えるような鑑賞体験は、とても貴重で意義ある時間に感じられました。
【松尾潔(音楽プロデューサー・作家)】
これは私たちの映画だ。「両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めた」と聞けば、常識的ではない家族の記録と早合点しそうになるが、事はそうシンプルではない。統合失調症の「姉」に大多数の人と異なる点があるのは確かだが、常識的ではないかといえば違う。そろって医者の「両親」は常識人であることに執着し、常識的ではない日々にたどり着いた。では、そんな家族を撮りつづけた監督のふるまいは常識的といえるか。誰にとっても他人事ではない人生がここにある。
【森達也(映画監督、作家)】
観終えてずっと考えている。どうすればよかったのか。でも答えはまだ見つからない。早く医療に繋げるべきとか拘束すべきではないとかのフレーズは浮かぶけれど、それが根源的な解だとは思えない。きっと他にある。だからもう少し考え続ける。
【森直人(映画評論家)】
カメラを持った男――弟であり息子でもある彼は、「撮る」ことでいかに自らの家族と、そして世界と切り結ぼうとしたのか。
記録されることがなかったかもしれない場所で、「ともちゃん」と呼ばれる男から、人間探究の目が立ち上がってくる。我々はこの目の発動を映画と名付けているのではないか。カメラの前で老いた父親と真っ直ぐ向き合う藤野知明監督の姿が、この映画の決定的な余韻として残っている。