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ある日、家庭内で1丁の銃が消えた――カンヌ喝采のサスペンススリラー、25年2月公開【“命を懸けた”監督の声明文を全文掲載】

映画.com 2024年11月29日 12時0分

 第97回アカデミー賞国際長編映画賞のドイツ代表に選出され、第77回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したサスペンススリラー「The seed of the sacred fig(英題)」が、2025年2月14日に公開されることが決定。あわせて、場面写真とメガホンをとったモハマド・ラスロフ監督による声明文が披露された。

 カンヌ受賞時には12分間に及ぶスタンディングオベーションが巻き起こった本作は、2022年に実際に起き、社会問題となった、ある若い女性の不審死に対する市民の政府抗議運動が苛烈するイランが背景となる作品。家庭内で消えた一丁の“銃”を巡って家族も知らない家族の顔が炙り出されていく。

 国家公務に従事する一家の主・イマンは20年間にわたる勤勉さと愛国心を買われ夢にまで見た予審判事に昇進。しかし業務は、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を課すための国家の下働きだった。報復の危険が付きまとうため国から家族を守る護身用の銃が支給される。しかしある日、家庭内から銃が消えた――。最初はイマンの不始末による紛失だと思われたが、次第に疑いの目は、妻・ナジメ、姉のレズワン、妹・サナの3人に向けられる。誰が? 何のために? 捜索が進むにつれ互いの疑心暗鬼が家庭を支配する。そして家族さえ知らないそれぞれの疑惑が交錯するとき、物語は予想不能に壮絶に狂いだす。

 監督は、本作を含め「ぶれない男」「悪は存在せず」など8本の長編映画を製作、カンヌ国際映画祭やベルリン国際映画祭など名だたる国際映画祭でも高く評価されているモハマド・ラスロフ。だが、ラスロフの映画は「国家安全保障を危険にさらす」と目を付けられ、いずれも検閲のためイラン国内では上映されておらず、監督自身は何度も投獄。そして本作「The seed of the sacred fig」も2022年の投獄中に、ヒジャブの着用をめぐり警察に拘束された女性の死をきっかけにおきた「女性、命、自由」を掲げた抗議運動で、社会的な変化を目の当たりにしたことがきっかけで製作を決意したという。

 治安部隊との激化する衝突など実際の映像もとりいれ、テヘランに住む2人の娘と両親というひとつの家族の姿を描き出した本作。しかし、本作が第77回カンヌ国際映画祭コンペティションに選出されるや、イラン政府はラスロフ監督に有罪判決を言い渡し、出国を禁止。本作の上映見送りを求めて圧力をかけたが、ラスロフ監督は数名のスタッフとともにイランを脱出。28日間かけてカンヌの地へと辿り着いた。

 ラスロフ監督が、2024年5月12日に発表した声明文は、以下の通り。

【モハマド・ラスロフ監督による声明文(全文)】

長く込みいった旅路を経て、数日前にヨーロッパにたどり着きました。

一月ほど前、弁護士から控訴裁判所で禁錮8年の刑が確定し、すぐにも執行されるだろうと知らされました。新しい映画のことが知られれば、刑期がさらに長くなるのは間違いありません。考える時間はあまりありませんでした。収監されるか、イランを脱出するか選ばなくてはなりません。私は重い気持ちで国外脱出を選びました。私は2017年9月、イラン・イスラム共和国にパスポートを没収されています。ですから、秘密裡にイランを出なくてはなりませんでした。

もちろん、国を出ることを余儀なくされた、私に対する不当な判決には強く抗議します。しかしながら、イスラム共和国の司法制度はあまりにも過酷でおかしな判決を下すことが多いため、そこで刑期に不服を申し立てるのが得策だとは思えません。イスラム共和国は抗議者や公民権活動家の命を狙い、死刑を執行しています。信じ難いことですが、私がこれを書いている今も、若いラッパーのトゥーマジ・サレヒが死刑囚として収監されています。弾圧の範囲と激しさは残忍の域に達しており、非道な政府の犯罪が毎日報じられています。イスラム共和国の犯罪装置は、絶え間なく組織的に人権を踏みにじり続けているのです。

イスラム共和国の諜報機関が私の映画製作について情報を得る前に、なんとかイランを脱出することができた俳優も多数います。けれども、今もイランには俳優や映画のエージェントがたくさん残っていて、諜報機関から圧力がかかっています。長い取り調べを受けたり、家族が呼び出されて脅されたりした人もいます。この映画に出演したことで、彼らは起訴され、出国を禁じられました。カメラマンの事務所は強制捜査に遭い、機材はすべて押収されました。音響技師がカナダへ出国することも妨害されました。諜報機関は映画クルーの取り調べの際、私にカンヌ国際映画祭からの撤退を促すよう要求しました。クルーに対し、映画のストーリーを認識しないまま私に操られてプロジェクトに参加させられた、と丸めこもうとしていたのです。

製作中、私と仲間や友人らはたいへんな制約を受けました。それでもなお私は、イスラム共和国政府の検閲による介入を受けない、より現実に近いストーリーを目指しました。表現の自由の制限や抑圧は、たとえそれが創造性を刺激するものであったとしても正当化されるべきではありません。しかし道がなければ、作らなければなりません。

世界の映画コミュニティは、そのような映画の製作者への有効な支援を保証すべきです。言論の自由を守るため、はっきり大きな声をあげるべきです。検閲を支持するのではなく、臆さずに立ちむかう人々は、国際映画団体の支援によってその行動の重要性を再確認します。個人的な経験からいえば、そうした支援が彼らのきわめて重要な仕事を続ける上で、貴重な助けとなるのです。

この映画は、多くの人の助けを借りて製作したものです。私の思いは、彼らと共にあります。彼らの安全、安寧が心配です。

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