名門校に赴任してきた栄養学の教師の指導の下、生徒たちは「意識的な食事(conscious eating)」に取り組み始める。あろうことかそれは、「何も食べないことが健康的」だという危険な教えだった――。ミヒャエル・ハネケに師事した気鋭監督ジェシカ・ハウスナー(「リトル・ジョー」)が、ミア・ワシコウスカ(「アリス・イン・ワンダーランド」)を主演に迎えたスリラー「クラブゼロ」が、12月6日に公開される。映画.comはハウスナー監督に、この衝撃的で鮮烈な物語について、話を聞いた。(取材・文/編集部)
栄養学の教師ノヴァク(ワシコウスカ)は、「意識的な食事(conscious eating)」という、「少食は健康的であり、社会の束縛から自分を解放することができる」という食事法を、生徒たちに教える。無垢な生徒たちは彼女の教えにのめり込んでいき、事態は次第にエスカレート。親たちが異変に気付き始めた頃には時すでに遅く、生徒たちはノヴァクとともに「クラブゼロ」と呼ばれる謎のクラブに参加することになる。生徒たちが最後に選択する究極の健康法とは? そしてノヴァクの目的とは――?
――本作は、「ハーメルンの笛吹き男」(※主人公は、ネズミの被害に困っていた町で、笛の音色でネズミを退治した男。しかし、町の人々は彼を冷遇してお礼もせず、その男は再び笛を奏でて子どもたちを連れていってしまう、おとぎ話)が出発点になっていると伺いました。同作からどのように物語を膨らませていったのか、教えてください。
「ハーメルンの笛吹き男」は、笛吹き男が、賃金を払わなかった親を罰するために子どもたちを誘拐するというおとぎ話ですよね。ある意味、親を罰するという物語のひとつの形に、興味がありました。親にとって1番怖いのは、子どもを失うことで、それが弱点になりますよね。その笛吹き男はどう子どもたちを誘惑したのか、操ったのかという部分が、おとぎ話と本作の、基本的な共通部分です。本作自体が、操ることについての映画で、主人公ノヴァクが、ハーメルンの笛吹き男のような存在になるわけです。彼女はいかにして、子どもたちを従えるようになったのか。それはすごく現代的なトピックでもあると思います。
――前作「リトル・ジョー」のインスピレーションのひとつは、フランケンシュタインでした。ハウスナー監督は、映画製作・脚本執筆の出発点として、寓話やおとぎ話などから着想されることが多いのでしょうか。またハウスナー監督の作風として、そうした寓話やおとぎ話のような要素がありながらも、前作だと遺伝子組み換え植物、本作だと“意識的な食事”という、どこか未来的なテクノロジーや考え方への懐疑的な視点を持っていらっしゃることも印象的です。
やはりおとぎ話には興味があって、ヨーロッパの作品は道徳に訴える、「こういう風に振る舞うべきだ」というものが多いんです。簡単にいえば、「こういう振る舞いが理想とされていて、そうでなければ罰せられる」というモラルをもった物語ですね。私はそこにもうひとひねり加えたい、と考えたんです。
そもそも道徳の物語というのは、いままでも社会のなかで実際に通用していたかは分からず、少なくとも現代では、全く通用しなくなっています。良いことをしていても罰せられることはある。それほどいまの時代は複雑で、かつてほどシンプルではない。いろんな真実が共存している。ジャンクな大量の情報から、本当の真実を見極めることは難しい。私たちはそういう世界に生きているので、プラスアルファの要素を付け加えて、物語を作り上げました。
――ミア・ワシコウスカさん演じるノヴァクを作り上げるにあたり、カルト教団の元信者たちに取材をすることで、指導者像を明確にしたそうですね。例えば、ノヴァクが生徒たちに対して、成長のステージを設定する描写などが印象的でした。彼女のキャラクター像は、どのような意図をもって作り上げたのでしょうか。
カルト教団のリーダーにはサイコパス系の方もいれば、本当に心から自分の教義を信じている方もいらっしゃいます。ノヴァクの場合は、後者にした方が面白いと思いました。あとはイメージとして聖人のことを調べると、かなり過激なバックストーリーをもっている方も多いですよね。何かを信じて、それが行き過ぎるというような。そんなイメージも、ノヴァクのキャラクターに反映しました。
ミアがノヴァクを演じる時、演技のなかで、子どもたちを操るような怪しい雰囲気を醸し出したことがあったんです。そのときに、私は「そうではなくて、ノヴァクは完全に自分の教義を信じていて、子どもたちのためにも良いことだと心から思っているので、怪しい雰囲気を出す必要はない」という演出をしました。ノヴァクは、自分自身は良い人間で、良い行いをしていると信じているけれど、周囲から見ると、人を傷付けかねないことをしているんです。
何かを信じ始めて、それが行き過ぎてしまうのは、子どもであれ大人であれ、誰にでも起こり得るということを見せたかったんです。特に若い人の方が、こういったものに囚われやすいということも表現しました。
――ノヴァクは、子どもたちの求めているものをすぐに見抜き、「それを手に入れるためには、こういう手段がある」と導いていくところが恐ろしいと感じました。ハウスナー監督が自らオファーされたというワシコウスカさんとのタッグの感想や、素晴らしかった点について、教えてください。
ミアが作品のコンセプトをはっきりと理解してくれたことが、とても嬉しかったです。私たちがこの映画で作ろうとしているのは、個別のキャラクターや心理状態ではなく、原型、ある種のタイプ、典型的な状況でした。ある種の型を、キャラクターとして演じてもらう。例えばバックストーリーはどうか、そのときの細かい感情はどうか、話す必要は一切なかったんです。
自分の作品では、古来のパワープレイを主軸に置いています。誰かが力を持っていて、ほかの誰かが何かを求めていて、キャラクターは自分の本当の目的を隠したり、社会や集団のルールに従わなければいけなかったり……という物語なんです。だから、個人がどうというよりも、型から物語を作っているということを、ミアは理解してくれました。
――前作に続き本作でも、鮮烈ですがどこか人工的な色遣いが特徴的です。例えば生徒たちの制服は、蛍光色のような黄色ですね。ビジュアル面のこだわりを、教えてください。
それがまさに最初に出てきたおとぎ話とつながっているところで、自分の視覚的なスタイルに影響を与えていると思います。先ほどもお伝えした通り、本作では個人というよりも、アイコンや型のようなキャラクターが、社会のいろいろな立場を代表しているんです。それを寓意的に、視覚的な要素を組み合わせて表現しています。
――本作では、断食する生徒たちがやせ細っていく変化を、衣装を大きくしたり、メイクをグレー系にしたりして表現されたそうですね。特にメイクは、黒澤明監督の「どですかでん」にヒントを得られたと伺いました。
黒澤明監督作品は、自分の若い頃に、大きな存在感がありました。(出身の)オーストリアのみならず、ヨーロッパで最も見られていた日本の監督だと思います。16~17歳頃に作品と出合って、様式美のようなものに感服しました。ヨーロッパのスタイルと全然違うので、とても好きでした。
おっしゃる通り、「どですかでん」にも影響を受けています。「どですかでん」のビジュアルは、シンプルさを際立たせるようなものでした。些末な小屋のような場所に2組のカップルが住んでいますが、黄色と赤色の洋服に身を包んでいて、しょっちゅう喧嘩していて、自分は相手とは違うと思っているけれど、結局は同じだということが表現されている。そういう黒沢監督の視覚的なジョークも面白いと思いましたし、ユニークだなと感じました。