オリジナルのデンマーク映画「胸騒ぎ」(2022)の結末にゲンナリさせられた者は、いかなる表情で劇場を後にするのだろう? そもそも、あんな救いのない展開を追体験したくないという人が今回、積極的に足を運ぼうとするのか? そこは安心して挑まれたし。本作の後半部は「胸騒ぎ」とは別の轍を踏み、同名異作のレベルで印象を異にする。
ロンドンに住むルイーズとベンのダルトン一家は、旅行先のイタリアで出会った気のいい英国人パトリック&シアラの夫妻から、人里離れた住まいに招待される。せっかくだからと二人は幼娘アグネスを連れて遠路はるばる訪れ、パトリックたちからホットな歓待を受けるのだ。
ところが、しばしの滞在を経て交流するにしたがい、パトリックらの“おもてなし“に不審な点が見え始める。初めは生活環境の違いによるものと解釈していたが、コミュニケーションは次第に強い攻撃性を帯びていく。挙句、その不審が命の危険につながることを、ダルトン一家はある病(!)で喋ることのできないパトリックの息子・アントから身振り手振りで知らされることになるのだ。
「旅先で遭遇した一家が凶暴な殺人集団で、その毒牙にかかった人々の受難」という基本プロットを、本作は「胸騒ぎ」からまるっと譲り受けている。結果、同作が米リメイクされるなら、こうなるだろうという予測に忠誠的だ。主要キャストを演技力の立つスター俳優に置換し、タブー視される要素を巧みに回避し、グローバルに配慮した加工がなされている。後半の独自展開も、ハリウッドの映画コードや規範からすれば想像のつくアレンジだ。
だが、それが作品の持ち味を損ねているかといえば、改変も味のうちと面白く観られる。オリジナルを知る人には、異同に頷いたり釈然としないものを覚えたりと比較の愉悦に浸れるし、本作の、いわゆる「田舎ホラー」のサブジャンルに沿ったハリウッドナイズに瞠目し、「胸騒ぎ」にあたってみるかと反復行為に至らせてくれるだろう。ただ勘のいい人は、劇中で引用されているチャック・ノリスの「地獄のヒーロー」(1984)で本作の向かう先を早々と予測するだろうし、配役もタイプキャストな狙いが至妙で、かつて「ターミネーター ニュー・フェイト」(2019)でハイブリッドなマシン兵士を演じたマッケンジー・デイヴィス(ルイーズ役)なんか、恐怖に萎縮する絶叫ヒロインで終わるはずがない。
それを承前のうえで、ジェームズ・マカヴォイのパフォーマンスは観ていて楽しい。彼が演じるパトリックは負のカリスマ性に満ち、「シャイニング」(1980)のジャック・ニコルソンや「アオラレ」(2020)のラッセル・クロウと同種の、狂気を嬉々として演じている感がたまらない。マカヴォイもまた「スプリット」(2017)に始まるヒールな演技の布石があるので、ファンには釈迦に説法かもしれないが。
(尾﨑一男)