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【「不思議の国のシドニ」評論】日本映画へのオマージュにも溢れた不思議な旅による愛の再生

映画.com 2024年12月15日 9時0分

 邦題の通り、何とも不思議な映画であり、過去の映画と日本に対するオマージュに溢れた作品である。異国を旅して自身を見つめ直す物語はこれまでにも数えきれないほど映画で描かれてきたが、本作で日本を旅するのはシドニという役名のフランスを代表する国際派女優のイザベル・ユペールだ。見知らぬ国、日本の大阪から京都、奈良、そして直島を旅するその様子はまるで少女のようであり、まさに不思議の国の“アリス”である。

 本作がオリエンタリズム、日本の異国情緒に浸るよくある感傷的な映画に陥らないのは、喪失を抱えたフランス人作家を、ジャン=リュック・ゴダール、ミヒャエル・ハネケ、ホン・サンスなど多くの名監督たちの作品に出演してきたユペールが確かな存在感で演じており、エリーズ・ジラール監督が日本を初めて訪れた時に体験した感情が物語の中に息づいているからだろう。

 また、日本でシドニを迎え、各地を案内する編集者の名前が“溝口健三”というのも映画ファンの心をくすぐる。「雨月物語」(1953)などの溝口健二監督へのオマージュは明らかであり、大阪の街を一望するカメラがゆっくりとパンしていく冒頭から、直島の海を捉えたショットなど要所に溝口作品を想起させ、京都、奈良の寺社仏閣でのシーンや、老舗旅館の階段や廊下、部屋の畳には、「東京物語」(1953)などの小津安二郎作品にまで思いを馳せさせる。

 そして、この溝口健三を伊原剛志が全編ほぼフランス語で演じ、寡黙ながらも次第にシドニと心を通わせていく男をユペール相手に好演。日本で出会った二人は黒い服を着て各地を訪れ、それはまるで喪服のようであり、歩き回る様は時に死後の世界のようにも見えてくる。さらに、シドニの最愛の夫アントワーヌを幽霊(幻影)として登場させてしまうに至っては、本作が亡き者へ思いを巡らせる哀悼の作品であり、溝口監督「雨月物語」の終盤の有名なシーンと重なることに気づく。

 日本文化と伝統に触れることで、信仰と死者との関係をシドニは次第に受け入れていき、愛するものを失った深い喪失感と、自分だけ生き残ってしまったという罪悪感や後悔が健三と共鳴。夫の死から長らく執筆できずにいたシドニは、異国の地で彼を“あちら側”へ改めて見送ることで、止まっていた時間が動きだし、新たな一歩を踏み出そうとする。

 青空の下の満開の桜、鹿と触れ合える奈良公園、苔庭の法然院など、美しき日本のこの世と“あちら側”へ迷い込んでしまったような旅を続けながらも、アントワーヌと似ている大きな手を持つ健三と触れ合うことで、生き残った者同士が互いの存在を確かめ合う。重くなりがちなテーマでありながら、シドニのチャーミングさと健三の無骨さがユーモアとなり、映画愛にも溢れた世界を我々は一緒に旅することになる。

(和田隆)

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