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【「バグダッド・カフェ 4Kレストア版」評論】映画演出の禁じ手をあえて実践することで導かれた個性的な映像

映画.com 2024年12月21日 21時0分

 ヤスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)が、給水塔を長いデッキブラシを使って清掃する印象的なショット。アートディレクターの角田純は、僅か2秒ほどに過ぎない劇中映像を切り取り、ポスターデザインに採用することで、観客に対して「バグダッド・カフェ」(1987)という映画のイメージを定着させた。日本では1980年代のミニシアター・ブームを牽引した作品のひとつだが、日本先行となったこのメインビジュアルが見事であることは、ドイツ国内外で制作された群像コメディを想起させる楽しげなデザインのポスターやDVDのパッケージと比較するとよく判る。それは、角田純の構築した作品イメージが、「このショットを見れば、この映画だとわかる」という好例のような恒久的デザインになっているからでもある。

 「バグダッド・カフェ」は、ドイツからアメリカ旅行にやって来たヤスミンが旅先で夫と口論となり、砂漠の寂れたモーテルに辿り着くところから始まる。タイトルの<バグダッド・カフェ>とは、そのモーテル兼カフェの名称。不機嫌な女主人のブレンダ(CCH・パウンダー)や、カフェに集う個性的な面々が、ヤスミンの登場によって心が癒やされてゆく姿が描かれる。本作における、それまで見たこともないようなパーシー・アドロン監督の演出は、初公開当時高く評価されたという経緯があった。

 例えば、水平を無視した斜めの構図や、粒状性が強調された粗い映像。或いは、カラーフィルターを重ねた斬新な色彩感覚に加えて、時にはイマジナリーラインを無視した編集まで施された「バグダッド・カフェ」の演出は、禁じ手をあえて使うことが作品のトーンになり、作品のルックやスタイルにもなっている。また、反復する「コーリング・ユー」のメロディに映像が漂うかのように、緩いハイスピード撮影とノーマルスピードでの撮影とを巧みに使い分けながら、フィックスと移動撮影とを組みわせることで作品のリズムが生み出されていることも窺わせる。

 日本で初公開された1989年から35年の歳月が経過した2024年。人種や国籍の異なるふたりの女性が相互理解を経て友情を育む姿には、時代を経たことで初公開当時とは異なった感覚を導いている点も重要だ。それは、社会的な<分断>を指摘されて久しいアメリカを舞台にした「バグダッド・カフェ」が、意図せず<平和>や<共存>のあり方をも提示してくれるような映画となっていることに想いを馳せてしまうからである。

 東西冷戦下にあったドイツという国が、西と東に<分断>されていた歴史は説明するまでもないが、撮影当時の1987年には、まだ“西ドイツ”と呼ばれていた国のもとで製作されたという事情があった。それゆえ、ヤスミンとブレンダの相互理解には、当時のドイツに対する未来の希望を暗喩させていたようにも見えるのである。奇しくも日本劇場公開の8ヶ月後にベルリンの壁は崩壊。映画の後半でヤスミンとブレンダが再会を果たし、歓喜の抱擁に至る姿と同じように、西と東のドイツ国民たちが壁を超えて再会する歓喜の姿を、わたしたちは目撃することになったからである。

(松崎健夫)

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