ハイブランドのシャネルが是枝裕和監督の協力のもと「CHANEL and Cinema TOKYO LIGHTS」と題したマスタークラスを11月27日、28日の2日間にわたり開催した。
同企画は、映画界の未来を担う若手クリエイターの支援を目的に立ち上げられた新たなプログラムで、厳正なる選考を経て招待された参加者を対象に、学びの機会を提供するもの。
期間中は是枝裕和監督をはじめ、西川美和監督、そしてメゾンのアンバサダーであるティルダ・スウィントン、役所広司、安藤サクラという国内外を代表する映画人たちによる講義と、双方向で実践的なワークショップが行われた。
また、全マスタークラスを修了した参加者には、ショートフィルムコンペティションへの応募資格を授与。上位3作品に選ばれると、「シャネル」の支援により短編映画を制作する権利を獲得することとなり、完成した作品は東京とパリでの上映が予定されている。
初日の11月27日、シャネルのアンバサダーを務めるティルダ・スウィントンによるトークセッションが行われ、自身のキャリア、表現者としての思いを語った。
■国際映画祭は仲間を見つける場
デレク・ジャーマンと「カラヴァッジオ」を作り、1986年のベルリン国際映画祭で初めて国際映画祭の舞台に立ったティルダ。「これこそが私の目指す世界だと思ったのを覚えています。そして、私は旅をしたかったし、共に働く人々がどこの出身であろうとオープンでありたいと思いました。国を問わず仲間を見つけ、自然に友人関係を築き、人が集まる、そういう世界を望みました」と国際映画祭への参加により、自身の進むべき道が決まったと明かす。
カンヌ、ベネチア、ベルリンをはじめとした国際映画祭の常連でもある。映画祭に参加する意義をこう語る。「映画祭のパーティーのような雰囲気は、アイデアを共有するミーティングと同じくらい重要だと思います。仲間と一緒に過ごすことは、映画制作での協力者を選ぶ上で非常に重要なことです。特に、限られた予算内で仕事をする場合は、朝から晩まで一緒に過ごすことになるので、お互いに仲間と助け合わねばなりません。そして、映画が完成したら、世界の映画祭で再会できるのです。ですから、協力者を本当に好きになる必要があります。技術や技能だけで選ぶのではありません。映画祭は仲間となる人として誰と付き合いたいかを選ぶ良い機会なのです」
■作家を夢見ていた10代、デレク・ジャーマンとの仕事とフィルムメイカーとしての歩み
自身を俳優ではなく、フィルムメイカーと定義するティルダ。その理由として、まずは、デレク・ジャーマンとの日々を回想する。「9年間一緒に仕事をしたデレク・ジャーマンが1994年に亡くなったとき、私はどうしたらいいのかわかりませんでした。というのも、映画制作というと、私はただ、彼と仕事をしている自分の姿しか思い浮かべることができなかったからです。私は演技の勉強をしたことはなく、俳優になりたいと思ったこともありません。私が出会った多くの俳優は、自分のテクニックに自信を持ち、その技術を武器にあらゆる環境に自らを投じていますが、私は彼らとは違い、映画とは仲間と一緒に作るものだという意識を持っているので、デレクという仲間を失った時に、自分が映画を作り続けられるかわかりませんでした。しかし、年月が経つにつれて、奇跡的に共に家族のように仕事ができる他の仲間を見つけることができたのです」
幼いころは作家を夢見て、10代は詩を書いていたが、ケンブリッジ大学入学後に「自信を無くし」詩作をやめたと明かす。その後、大学での演劇のプログラムに参加する中で、脚本家の友人らと知り合い、「映画制作のプロセスの中に自分の居場所ができるなんて思いもしなかったし、フレームの中に入るという発想もなかった」ものの、映画の世界の一部になりたかったという強い思いが叶い、その後映画制作の道に進んだ。
「おしゃべりな映画にはあまり惹かれない」という。デレク・ジャーマンとのスーパー8での制作を通し、「セリフはなく、存在感と動き、カメラ、フレームを理解することがすべてで、重要なのはセリフやシナリオではなかった」と、カメラの前に、ただいることの重要性を体感した。「カメラの前にいることは、私にとっては詩作と何らかの関係があります。それがどういう意味なのか説明はできないのですが、‘雄弁に語る必要性がない’ということが持つ、エキゾチックな魅力と関係しています。それは私にとって自由な場所であり、まさに詩を書く感覚に近い、自分を説明する必要のない自由な場所なのです。ただ存在すればいい、そういう始まりでした」
ジャーマンと9年間で7本の映画を制作し、「プロフェッショナルでない、ポジティブな意味でアマチュア的な仕事の仕方を身につけました。私たちはアートキッズで、商業映画界とは無縁でした。それでも、とても力があったし、お金がなかったから好きなことができました。誰にも指図されなかったから、大人たちのために何かを考え出す必要もなかった」と自主映画からのスタートが現在まで大きな影響を与えている。アカデミー衣裳デザイン賞を受賞しているサンディ・パウエル(「オルランド」)、音楽家のサイモン・フィッシャー・ターナーらの例も挙げ、ティルダと同様にデレク・ジャーマンの現場からキャリアを築いていったと話す。
「当時は週末公開初週に何ドル儲けようとか、そういう産業的な話にはまったく興味がありませんでした。それは素晴らしい自由でもありました。私のホームはインディペンデント映画制作の場であり、それは、通常低予算で自由度の高いものです。スタジオ映画については、スタジオというシステムでの映画制作に対する興味や好奇心から参加しています。もちろん映画ファンとしての興味もありますが、。ひとつのアイディアを何百人もの人々、それも驚くべき才能があり知的な人たちが、何年にもわたって持ち続け、その情熱を絶やさないことが可能なのか?ということに興味があります。しかし、そこは私のホームではないのです」
■フィルムメイカーとして企画段階からかかわること
アート系インディペンデント作から、現在はハリウッドメジャーにも出演するティルダ。しかし、かかわる作品の多くは、企画段階から参加している。「俳優は脚本を与えられ、(企画成立から)時間がたった段階でセットに入ってくるという、産業的な仕事のやり方があることは知っています。しかし、私は常に、映画制作の全工程に深くかかわり、私が作ってきた映画のほとんどは、そのアイデアの発端から関わってきたものです。もちろん、誰かがすでに生まれた脚本を持って私のところに来てくれるのはとても嬉しい。でも、私がやらなくても他の誰かが演じられるとも思います。私がかかわる作品は、私たちが一緒に夢見たアイデアか、あるいは彼らが私のところに持ってきたアイデアを私が彼らをサポートしながら、実現するという形です」
「私は映画が生まれる長い時間をとても楽しんでいます。制作前とその後の期間が大好きです。編集に立ち会うのも好きですし、映画を公開し、観客に語りかけることも大好きです。ですから、私は映画制作の全過程にかかわっているのです。私は人生でほんのわずかしか演技をしたことがないし、自分のことを俳優とは呼びません。本物の俳優から『あなたは本物の俳優じゃない』と指さされることを心配しているのかもしれません」
■俳優志望者に対するアドバイス、自身の役作り
俳優志望者に対しては、「プレゼンス」と呼ぶ存在感がなにより重要だと説く。演技力よりもカメラの前での「リラックスした結果としてのプレゼンス、パフォーマーや人物の可能性のようなものをプレゼンスとして捉えたいと思う」と持論を述べ、ロベール・ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」のロバの演技を見習うべきものとして挙げる。「本当にリラックスしたパフォーマーであるからこそ観客は自己投影することができます。そのためには、アーティストがリラックスしていて、何かにとらわれることなく自分がやることを選択できる状態であることが重要」と言い、是枝監督の「誰も知らない」(04)で第57回カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞、当時14歳の史上最年少で日本人として初めてこの賞を受賞した柳楽優弥を「まさに『バルタザールどこへ行く』ロバのようだった」と称える。
長年キャリアを積み重ねるも、「自分の演技の役作りのテニックやメソッドようなものはない」という。「好奇心の金庫のようなものがあって、そこから自分の周りにいる、私をしっかりと支えてくれる海中の錨、ロープのような、実在の人物を探し出すのです。そうすることで、私はその慣れ親しんだ感覚に身を置くことができ、リラックスすることができます」という。自身の母親の話し方や仕草をデフォルメして演じたり、「グランド・ブダペスト・ホテル」では、自身の祖母の口紅の塗り方や態度など細部をモデルにして生かしたという。しかし、「最近、私は違ったやり方でも役作りをするようになりました。自分自身の興味、感覚、経験などをを用いて、自分自身を役柄に反映させるのです。そうして生まれるものはとてもオーセンティックで、このやり方も面白いなと思っています。」と考え方の変化も楽しんでいる。
■映画界の巨匠とは 言語に頼らない演技の重要性
ジム・ジャームッシュ、ポン・ジュノらともに仕事をした監督たちの名をあげ、「私が言うところの巨匠とは、彼ら独自の雰囲気、世界観を作り出しているという意味です。毎回同じ映画を作るという意味ではなく、ひとつの宇宙を作り上げていること」と定義する。そして、短編「ヒューマン・ボイス」と、今年、第81回ベネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞した「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」にティルダが出演したペドロ・アルモドバル監督は、ティルダが考える巨匠の定義において「傑出している」と言う。「彼の23本の映画は大きな書物であり、それぞれの映画は1つの章だと言えるでしょう。繰り返し使われるモチーフがあり、色彩がある。そして彼の住む場所に訪れると、実際に映画の中に登場した芸術品や家具がある。つまり彼は自分の映画の世界そのままの中で生きているのです。そんな彼の世界を知り、そこの入り込むことは得難い体験」と説明する。
もう一人の巨匠として名を挙げたタル・ベーラ監督の「倫敦から来た男」でのエピソードから、3人の演者ががチェコ語、ハンガリー語、英語でけんかをするシーンについて触れ、「何語で怒鳴っているかは関係ありません。同じ言語を話していないほうが良いくらいでしょう。なぜなら、同じ言語ではないので、理解したり聞いたりするふりをする必要さえないからです」と、3者の感情のみがカメラでの前で表現されていたと指摘。「私にはそれがとても興味深く、何度もそのことを考えました。他の言語で仕事をするときに必要なのは、エネルギーを正しく表現することです。ヒッチコックは、カメラが物語を語り、セリフは設定されているだけだと言っていました。基本的に物語を語るのは言葉ではない。それは人生にも当てはまります。人はどれだけ頻繁に本音を言葉にするでしょうか?」と、問いを投げかける。
さらに、「人は口にする言葉を選択しているが、はっきりと言葉で表現できないことの方がはるかに多い。結局、人は自分の思いを言葉では表現できないのだと思いますし、実はそれこそが興味深いのです。また、それが私がサイレントを愛する理由の1つでもあります。なぜなら、私を惑わす言葉がないからです。」と、非言語による表現を説いた。
■“つながり”について知ることが表現者の武器
質疑応答の時間も設けられ、客席からの質疑応答で、孤独感を感じているという学生に対し、ティルダは「あなたは一人ではありません」と、孤独感を抱いているという自覚があること、自分を知ることが表現者として貴重で正しいことであると話す。
「芸術のほとんどは、つながりとその難しさについてです。そして、スクリーンや舞台で演じられる人間の物語は、互いの間のコミュニケーションがいかに難しいかについてです。もし互いにコミュニケーションをとるのが簡単だったら、なぜそれについて物語を作る必要があるのでしょうか? 自分について知ることは本当に複雑で、私たちは誰もが、自分の思いを言葉にすることができない、怯えた小さな動物です。ですから、自分自身について知ることが武器になるのです。なぜなら演者にとって、パフォーマンスは真実に迫ることでもあります。時には、自分のキャラクターはどれほど真実を語っているかということを自問する必要があり、(その点において)自覚があるということは武器になります」とアドバイスした。
経験と信念に基づく、ティルダのフィルムメイカーとしての哲学が自身の言葉で語られたこの日のトークセッションは、大きな拍手で幕を閉じた。翌日28日には、「舞台でできないことがシネマのできること」とティルダが強調する、カメラのクローズアップの効果にフォーカスを当てたマスタークラスが行われ、参加者に的確なアドバイスと温かな励ましの言葉を贈り、「私たちはみな仲間です。ともに弱さを見せられる存在であり、その工程すべてに価値があります」と、作り手同士がコミュニティ、つながりを作ることの大事さを改めて訴えた。