1960年9月20日に開業した映画館「丸の内TOEI」の閉館日(最終営業日)が、2025年7月27日だと発表された。同劇場で行われた「東映ラインナップ発表会」の中で、東映株式会社代表取締役社長の吉村文雄よりアナウンスされた。
丸の内TOEIは、1960年9月20日に竣工した東映の現本社ビル「東映会館」に、「丸の内東映」と洋画封切館である「丸の内東映パラス」としてオープンした。開館公演は二代目大川橋蔵主演の「海賊八幡船」(監督:沢島忠)。2004年に名称を「丸の内TOEI」に統一、現行の2スクリーン体制で、銀座の顔として街並みに溶け込み、映画ファンから愛されてきた。
当発表に際し東映は、丸の内TOEI閉館に向けた関連事業を、同劇場を所管する映画興行部のみならず、社内各部署を横断したメンバーによるチーム編成でまさに“全社プロジェクト”として進めていく。吉村氏は「残念ながら最後の直営館である丸の内TOEIを閉館することとなりましたが、皆様の記憶に残るような賑やかな終幕を計画しております。是非足をお運びください」と話した。
64年10カ月という長い歴史のグランドフィナーレを彩る閉館プロジェクトのコンセプトは、劇場へかかわる全ての人への感謝と、「映画館で映画を観る」ことの大切さを改めて訴求すること。
併せて公開された「丸の内TOEI閉館ビジュアル」には、開業時と現在の同館が向かい合わせでデザインされており、いつの時代も銀座の街に行き交う人々から愛される劇場であることが伝わってくる。爽やかな7月の青空に舞う紙吹雪が、惜しまれながらも「さよなら」と去りゆく潔さを表現している。
数々の東映作品にも深いかかわりを持つ俳優の北大路欣也、吉永小百合、舘ひろしから閉館を惜しむコメントが寄せられ、それぞれの丸の内TOEIへの思いや東映作品への愛を語っている。
閉館プロジェクトにまつわる各種イベントは今春頃スタートし、東映の名作が丸の内TOEIのスクリーンで続々と上映される予定。文字通り最初で最後の閉館に向けたカウントダウンとともに、東映の未来に向けたステップアップも始まる。
■寄稿コメント
【北大路欣也/俳優】
1965年に映画「父子鷹」でデビューさせていただき、偉大な先人の方々の情熱溢れる仕事ぶりを目の当たりにし、身の引き締まる緊張感を覚えました。
今もその感動の日々を忘れることはできません。
あらゆるポジションの方々が、力を結集し全身全霊で築き上げられた東映本社ビルと劇場「丸の内TOEI」。
私も幾度か作品を通して劇場の舞台でファンの皆さまと交流をさせていただき、楽しい時間を共有できたことは嬉しい思い出です。
皆様、本当に有り難うございました。
多謝再見!
【吉永小百合/俳優】
初めて丸の内TOEIで舞台挨拶をさせていただいたのは、1980年1月15日。一年間掛けての撮影で映画の本当の醍醐味を知り、役に成り切る高倉健さんのパワーに圧倒された『動乱』の初日でした。
それ以来、20本近くの作品の初日をこの劇場で迎えたのです。公開中に、お客様の反応を知りたいと、そーっと後部の席に座ったこともありました。映画の本来の楽しさを知る、大切な大切な直営の劇場が無くなってしまう……悲しいです。感謝の思いでいっぱいです。
【舘ひろし/俳優】
私は、東映でデビューしたので、丸の内TOEIの上にある本社にはよくお邪魔し、私にとっては特別な場所です。そして、映画『あぶない刑事』シリーズの初日舞台挨拶では、本当に多くのファンの皆さんが劇場の前に集まり、温かく迎えてくださったことが今も心に残っています。歴史ある丸の内TOEIが惜しまれながら閉館してしまうことはとても残念です。沢山の思い出と、感動をいただき、感謝しております。ありがとうございました。
【吉村文雄/東映㈱代表取締役社長】
入社当時はシネコンも存在せず、まだまだ全国に東映の直営館が数多く残っておりました。現在のような座席指定や入替制もなかったため、大ヒット作品を立見で観ることも珍しくなく、観客の熱気を肌で感じることができた時代でした。シネコンと違って直営館ではどの映画会社も自社作品を中心に上映しており、各社のカラーが劇場の雰囲気にも色濃く反映されていました。お子様で賑わう春休みと夏休みを除けば、アウトロー的で不良っぽいのが東映の劇場のカラーであったように感じます。残念ながら最後の直営館である丸の内TOEIを閉館することとなりましたが、皆様の記憶に残るような賑やかな終幕を計画しております。是非足をお運びください。