昨年9月にテアトル新宿とテアトル梅田で開催された「田辺・弁慶映画祭セレクション2024」(弁セレ)で上映され、話題となった秋葉美希監督・主演の「ラストホール」が、好評につき1月18日からポレポレ東中野で単独上映される。秋葉監督、もうひとりの主演俳優・田中爽一郎が作品、単独公開への思いなどを語った。
「ラストホール」は、「退屈な日々にさようならを」(今泉力哉監督)、「少女邂逅」(枝優花監督)などの話題作に出演歴のある秋葉の初長編監督作品。第17回田辺・弁慶映画祭でキネマイスター賞を受賞した。自身の父親との別れの経験をもとに構想から7年かけ、“食べる×ロードムービー”として完成させた本作には、田中をはじめ、高尾悠希、優美早紀ら注目の若手俳優、川瀬陽太、鈴木卓爾といったベテラン俳優が集結した。
■誰かに寄り添ってほしいと願い続けて
――ご自身が経験した父の喪失を、映画にするに至った経緯をお聞かせください。
秋葉 父親を失った後、私はその喪失感を何か形にして残さなければ、この先を生きていけないのではないかという思いに囚われていました。時間が経つにつれて、父の顔を思い出せなくなる日が来るのではないかという焦りが、次第に心の中で膨らんでいったのです。私にとって、父の存在は常に何かを始めるための「着火剤」でした。芝居をしているとき、父の顔やその存在を思い浮かべることで、エネルギーを得て、燃えるような気持ちを抱いていたのです。
しかし、父がいないという事実を独りで抱え続けることに、次第に限界を感じるようになりました。周囲の人たちは私に寄り添おうとしてくれるものの、気を使わせているのではないかと感じ、かえって距離を感じてしまうことがありました。集団でいるとき、私だけが父を失った者として取り残されているような疎外感に苛まれ、そうした孤独と無力感が重なり、心が崩れていくような感覚に襲われたのです。それでも、どうしても誰かにこの苦しみを理解してもらいたくて、共感者を求め続けていました。人との距離を感じ、疎外感を抱えながらも、私はその痛みを誰かに寄り添ってほしいと願い続けていたのです。そんな中、「ARTS for the future!2」という助成金で映画を作るチャンスが巡ってきて、このチャンスを通じ、自分を救う映画を自分で撮ろうと決心しました。
―喪失を抱えながら生きる人へ、映画としてどのような寄り添い方を意識しましたか?
秋葉 喪失に寄り添う作品にする上で、私は、すべてを理解しようとするスタンスは取りたくありませんでした。あなたのことをすべて理解してくれる存在より、むしろ、全てを分かり切ろうとするのではなく、分かり切ることはできないけれど、それでも寄り添ってくれる人の方が本当に大切にすべき存在なのではないか、と観る人に感じてほしかったからです。
誰もが自分の不幸を完全に理解してほしいわけではないと思います。確かに「生きていればいいじゃん」という考えを持つ人もいるかもしれません。でも、どんなに他の人が慰めの言葉をかけても、その不幸はその人だけのものです。誰かがそのすべてを理解することはできないのだと思っています。渦中にいるのは、他でもない本人です。だからこそ、私はその人の痛みを否定したくありませんでした。言葉を選びながら、相手の気持ちに寄り添いたいと思っていました。
でも同時に、私自身の気持ちにも正直でありたかったのです。父が亡くなったとき、私は誰にもそのことを話しませんでした。ですが、同級生たちはどこかから私が父を失ったことを知っていて、彼らに「お悔やみ申し上げます」と言われたとき、なぜか私は傷ついてしまいました。私は別に可哀想な人間ではないのに、その言葉が逆に自分を小さく感じさせたのです。映画やドラマでよくある「俺の気持ちはお前にわかんねーよ」という類のセリフが嫌いだったのですが、その時、まさにその気持ちが湧いてきました。共感されることが嫌だと思ってしまったのです。相手には悪気がないことも優しさだったことも理解しています。
しかし、それでも私はその優しさを受け入れられなくなっていたのです。そこで、私は誰かの悲しみに対面した時、相手に「その気持ち、わかるよ」という言葉を使うのをやめました。決して相手の優しさを否定したいわけではありません。ただ、自分がその優しさをどう受け止めていいのかが分からなかったのです。
――本作の製作前と後ではどのような心境の変化がありましたか?
秋葉 父親がいなくなってしまったけれど、この作品が誰かに届くことで、それぞれの感想が生まれ、また、この作品を通して誰かが何かを感じてくれることによって、私は今もなお父親からの愛情を感じることができるような気がします。これまでは芝居をするたびに、常に父親のことを思いながら演じていました。
しかし、最近になってやっと、「ひとりで芝居をしてもいいんだ」という心境の変化が訪れました。一人でも芝居をしていい、そしてそのことに対して恐れを感じる必要はないのだと、少しずつ自分を許すことができるようになったのです。その結果、芝居への意欲も以前よりも強くなり、改めて映画という表現の力に支えられてきた自分を実感しています。
これからは、映画のために、そして作品のために、自分がもっと成長し、売れる存在になりたいと思っています。映画に助けられ、映画を通じて自分を表現することができるなら、その先にある道に進んでいきたいと強く思うようになりました。
――現在の秋葉さんにとってお父様はどのような存在になっていますか?
秋葉 今までの私は、自分をさらけ出して人と関わることができていなかったような気がします。自分の本当の気持ちや弱さを見せることに恐れがあったのかもしれません。しかし、「ラストホール」と父親が、今、いろんな人と私を繋げてくれていると感じています。今の私にとって父は、架け橋のように私と他の人々を結びつけてくれる存在です。「ラストホール」の製作をきっかけに私は少しずつ自分を解放し、人との繋がりを感じることができるようになりました。
■共に旅をする幼馴染を演じた田中爽一郎
――暖(秋葉)と暖の父・陽平(川瀬陽太)の間に立つ重要な役柄でしたが、オファーをもらった時どのように感じましたか?
田中 最初に脚本を読んだとき、これは成長物語ではなく、「乗り越えられない人たちの物語」だと感じました。セリフやキャラクターの行動から、この作品が秋葉の人生から生まれたものであり、血の通った作品だということが伝わってきましたし、人生に一度しか作れないような作品に自分を呼んでくれること、その想いと重みを同時に感じました。
とにかく純粋に秋葉のために尽力しようと思いました。なので、「自分が目立ちたい」といった気持ちは全く芽生えませんでした。実際、壮介(田中)が主演を務める役だったことも、後から知ったくらいです(笑)。秋葉に引っ張ってもらうでもなく、秋葉を引っ張るでもなく、運転席と助手席のように隣にいられたらと。演じる上では、暖と壮介という人物そのものが主人公ではなく、その二人の間にある「なにか」を主人公として大切にし、演じることを意識していました。
そして、どこまで考えようとも秋葉自身に起きた過去の全てを分かり切ることはできない。それは暖と壮介の間でも一緒だと思いました。喪失を抱えていることは同じだけれど、壮介は実の父親を亡くしたわけではない。分からないんだということを分かって側にいること。壮介が暖にかける言葉には、暖を無理に変えようとする要素があってはならないと思い、脚本段階からたくさん話し合いました。
――田中さんのキャリアの中で、壮介を演じたことはどのような記憶として残っていますか?
田中 東京、横浜、大阪など、長期間にわたる映画の撮影で地方を巡る経験はほとんど初めてでしたし、何より物語の中でずっと息をしていられることがとても幸せでした。これまで参加した作品と異なるのは、「ラストホール」は俳優仲間や長年応援してくださっているお客さんからも「これが代表作だ」と言っていただけるような作品になりました。オファーを受けた際、秋葉からも「『ラストホール』が爽ちゃんの代表作になったら嬉しい」と言われ、その言葉が心に残っています。上映を重ねる中で、自分自身もこの作品が自分にとって特別な意味を持つものだと感じるようになり、ますます大切な作品となりました。
■弁セレで得たもの。そして、ポレポレ東中野での上映に向けて
――第17回田辺・弁慶映画祭にてキネマイスター賞を受賞されてから2024年9月の劇場公開まで、怒涛の日々だったと思います。改めて振り返ってみていかがでしたでしょうか?
秋葉 監督・主演作が初めて劇場公開されるということで、大変なことも多かったかもしれませんが、それでも幸せな期間だったと感じています。本当に多くの人に救われ、背中を押してもらいました。いただいたものがとても多いため、これからの映画や活動を通じて、少しでも恩返しができればと思っています。
田中 弁セレを通じて、俳優として映画を届ける姿勢について改めて考えさせられる期間となりました。これまでの作品では、撮影が終わると公開までは自然に作品と距離が離れていくことが普通でしたが、本作ではSNSやチラシ配り、クラウドファンディングなど、映画を届けるために不慣れなことにも積極的にチャレンジしました。ここまで上映に関わるのは初めてで、正直大変なことも多かったですが、その分、喜びや充実感も大きく、俳優業に対しても新たに燃え上がるものがありました。
――観客からもらった感想で、印象に残っているものはありますか?
秋葉 自分の飼っていた猫のことを思い出したっていってくれる人がいて、親だけじゃなく、自分の大切なものを思い起こさせる対象にこの映画がなれたことが幸せでした。あとは、「ラストホール」を観た後に、たこ焼きを食べてくれたり、親のことを考えたり、映画を観終わった後の時間を大切にしてくれている人がいて嬉しかったです。
田中 「ラストホール」は秋葉の個人的な作品ではあるので、上映までどのように受け取られるのかは分かりませんでした。ですが、上映が始まると、自分の人生と重ね合わせて観てくださる方が多く、その反応をとても嬉しく感じました。物語と誰かの人生がリンクする瞬間を共有できたこと、実感できたことが本当に喜びでした。個人的な話が、届くべき人々にしっかりと届いたことが、何よりも嬉しかったです。
――最後に、これから鑑賞する観客へのメッセージをお願いします。
田中 誰にでも、治らない傷や喪失があると思います。それを抱えてどう生きていくのか。その答えは人それぞれですし、答えなどないとも思います。この映画を通じて、一つの考え方を提示できたら嬉しいです。自分自身にも誰にでも計り知れない過去があり、これから先も色んなことが待っていると思います。未来がどうなるかはわかりませんが、この映画と共に今を見つめて、皆さんと忘れられない瞬間を作れたら。そして、そんな瞬間をパンパンに乗せてまた走っていけたらと思います。ポレポレ東中野さんにて、お待ちしてます。
秋葉 映画を観る空間によって、その体験は大きく変わると思っています。テアトル新宿ではスクリーンも大きく、場内も広いため、立体感や迫力があり、映画がより一層印象的に感じられました。一方、今回上映していただくポレポレ東中野さんは、どちらかというと「穴蔵」にいるような、または「子宮」のような、守られた暖かい空間です。「ラストホール」をまた別の捉え方で楽しんでいただけるのではないかと思っています。観客の皆さまが抱いてくれた感情や共感を「自分の人生があったからこそ感じれたものなんだ」と自分自身のことを愛おしく抱きしめられるような瞬間が生み出せたならこれ以上嬉しいことはありません。(インタビュー&構成:工藤憂哉/撮影:藤咲千明)