ペドロ・アルモドバル監督の初の長編英語作品で、第81回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最新作「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」のトークイベントが1月22日、都内で開催され、映画評論家の森直人氏、映画文筆家の児玉美月氏が登壇した。
本作は、病に侵され安楽死を望む女性と彼女に寄り添う親友の最期の数日間を描く物語。ウェス・アンダーソン監督作品やジム・ジャームッシュ監督作品の常連として知られ、「フィクサー」でアカデミー助演女優賞に輝いたティルダ・スウィントンと、「アリスのままで」でのアカデミー主演女優賞に加え、世界三大映画祭すべてで女優賞を受賞したジュリアン・ムーアが親友同士を演じ、繊細で美しい友情を体現している。
昨年の東京国際映画祭の上映で初めて本作を鑑賞したという児玉氏。
児玉氏「大きな会場で満席のなかで映画を観ました。生と死を扱っているということで重めの内容かなと思っていたら、アルモドバルらしいユーモアに溢れた一作で、会場からは笑いも起きていました。いわゆる安楽死や尊厳死を掲げている映画ではあるのですが、これまでにもアルモドバルが描き続けてきた女性の連帯や、母と娘の関係を中心に据えて物語が展開されるので、やっぱり女性同士の関係性に非常に興味を持っている監督なんだなと改めて感じました」
森氏は、その言葉に大きくうなずきながら、アルモドバル監督の一貫した作家性に言及した。
森氏「僕も全く同じように感じました。例えば、早川千絵監督の『PLAN 75』やフランソワ・オゾン監督の『すべてうまくいきますように』といった尊厳死を扱った映画っていうのは人権問題も含めて近年非常に話題のテーマなんです。ただそういった映画は法制化に関して描かれることが多い中、アルモドバルはラテン語で“メメントモリ”と言いましょうか、本当に生と死を巡る本質的な問いかけを描く。これは彼がもうずっとやってきていることで変わらぬ姿勢を強く感じました。そこにさらに円熟味が増し味わい深い作品に仕上がっていてすごく好きな映画です」
ストイックに同じテーマを描き続けながらも次第に変化していく作品群に関して、児玉氏は「1986年に作られたアントニオ・バンデラス主演の『マタドール<闘牛士>・炎のレクイエム』についてのアルモドバルのコメントを読んだことがあるのですが、あの作品でも死をテーマに描こうとしたけれど、当時はまだ死というものを本質的に理解できていなかったので失敗した、というように語っていたんです。なのでこの映画を観たときに死が彼にとって身近になり、それに対する深い知見みたいなものが経年と共に生まれたんだろうなと非常に強く感じました」と語った。
本作は、45年のキャリアを持つアルモドバル監督が英語で手掛ける初の長編映画だ。地元スペインに根付き、映画製作を続けてきアルモドバル監督の新境地について、児玉氏が「安楽死や尊厳死というものの社会性とか政治性を問うような作品ではなく、死そのものを抽象的に捉えるような作品なので、ある種普遍的な言語である英語がしっくりきているのかなと感じました。スペイン語で描くよりテイストが合っているような気がします」と見解を示すと、森氏も「英語が違和感なく入ってきますよね。抽象的な主題を扱い人間の深部に踏み込んでいく作家なので、世界公用語を使うことで、アルモドバルの中に根付く強いスペインイズムが純化されたようなイメージでした。それがこの映画の大きな決め手、魅力にもなっていると感じています」と巨匠の新たな挑戦に賛同した。
英語で製作することによって出演が実現したティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアという演技派女優の豪華共演について、児玉氏は「ティルダはデレク・ジャーマンをはじめ多くのクィアな監督と組んでいて、『オルランド』では性別を超えた役を演じていました。ジュリアンもトッド・ヘインズと組んでいたり『めぐりあう時間たち』などクィアな作品にいっぱい出演していて、どちらもクィアの感性がペルソナに付随している俳優だと思っていたので、今回の共演は嬉しかったですし、アルモドバルともぴったりですよね」とキャスティングを称賛。
児玉氏「面白いと思ったのは、前作の『パラレル・マザーズ』は赤ちゃんを取り違えた母親ふたりが後に恋愛・性愛関係に発展していきました。セクシュアリティの流動性という点が非常にアルモドバルらしいなと思うので、本作でもティルダとジュリアンがそんな関係になっていくのかな?と予想したのですが、友人関係のままでそれがむしろ現代的だと思いました。例えばルーカス・ドンの『CLOSE クロース』では男性2人が親密にしていたらすぐに同性愛の関係に結びつけられてしまう暴力性に問題提起していました。そういう現代性を踏まえて、あえて今回は恋愛関係にはしなかったのかも」
森氏「以前のアルモドバルは母性というものを神話的に捉える部分があり、かつて批判を受けたこともありました。あとは性暴力を軽々しく扱うとか。近年はそういった点に関して自己批評性みたいなものがすごくあると感じています。自己を更新することが映画の深みに結びついているかもしれない」
話は過去のアルモドバル作品に及ぶ。児玉氏が、初めて触れたのはガエル・ガルシア・ベルナル主演の「バッド・エデュケーション」だったという。「自身の少年期を描いていて彼の作品の中ではちょっと異色かもしれませんが、“こんなクィア映画があるんだ”と衝撃を受けました」と振り返る。
対して森氏は「初期のアルモドバルはすごいアナーキーでめちゃくちゃにやんちゃ、いわゆる“若手作家”という感じだったんです。どんどん成熟していって『ペイン・アンド・グローリー』で、“ついに集大成がきた”と思っていたら、そこからまたどんどん深みを増していって…。『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』では“更新されていく集大成”とコメントを出させていただきました。これ以上深いところはあるの?と毎回驚かせてくれる。前人未到のところまでいくんだろうな」と今後を予見。さらに児玉氏も「同年代のデビッド・リンチが亡くなってしまいましたが、長生きしてほしい。これからも新しいものを見せてもらいたい」と期待を込めた。
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」は、1月31日公開。