「ボルベール 帰郷」「ペイン・アンド・グローリー」などで知られるスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督のフィルモグラフィは、年月を経るとともにメランコリーとノスタルジーが増している印象があった。子供時代への郷愁、もはや人生の峠を越え、下り坂だけが続くような感慨を抱いた登場人物のせつなさ、など。
それゆえ、安楽死を扱ったシーグリッド・ヌーネスの原作を元にした本作もその路線かと予想していたのだが、意外にもこの映画には、澄み切った冬の青空のような清々しさがあった。
かつてニューヨークのヒップなアートライフを一緒に楽しんだ仲でありながら、音信が途絶えていたマーサ(ティルダ・スウィントン)が癌に冒されていると聞いたイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、さっそく病院を訪ね、旧交を温める。だが、治療が功を奏さないと知ったマーサは、自ら人生に終止符を打つことを決め、「送り人」としてイングリッドに側にいて欲しいと頼む。
「過去に引きずられないために、見知らぬ土地に行きたい」と、森に囲まれた邸宅を借りたマーサは、動揺しつつも覚悟を決めたイングリッドに打ち明ける。「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら、わたしはもうこの世にはいない」。
勝ち気なマーサは、この最後の旅を思い通りに演出することで、いわば癌に先手を打ち、尊厳を保ちたいと考えている。一方イングリッドは、死に向かうマーサを見つめることで逆に、生きていることの価値、ありがたさを実感していく。たとえばマーサと共にテラスに座り、澄んだ空気を吸いながら鳥の声に耳を傾ける。ただそれだけのことが、この上なく愛おしい時間に感じられる。本作の力強さはまさに、生きている時間の素晴らしさを謳っていることにあるのだ。
またこの監督ならではの、装飾や衣装にいたるカラフルな色彩設計が、暗く感傷的になるのを防いでいる。アート好きには、インテリアとして登場するルイーズ・ブルジョワなどの作品が絶妙なニュアンスをもたらしているのも見逃せないだろう。
とはいえ、本作の醍醐味はなんと言っても、凛として死に対峙するスウィントンと、聞き役に徹したムーアの非の打ちどころのないコラボレーションにある。まるで彼女たちの静かなるエネルギーが共鳴し合い、アルモドバルの背中を押す形で、彼に新たなる生命力をもたらしたような印象さえ抱く。
堂々ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた本作は、しっとりと人生讃歌を奏でた傑作だ。
(佐藤久理子)