日本で現役最高齢の女性映画監督として知られた山田火砂子さんが1月13日、新宿区内の病院で誤嚥性肺炎・敗血症のため亡くなっていたことがわかった。享年92。通夜および葬儀は近親者を中心に執り行われた。
山田監督は1932年、東京都新宿区生まれ。新宿精華女学校に3年まで在校。休学して大映のニューフェイス(4期)に聴講生として参加する。敗戦後は女性バンド「ウエスタン・ローズ」として活躍後、浅草で舞台女優として活動。72年製作の「ゴロスケの唄」から、現代ぷろだくしょんの映画製作・宣伝に参加。代表取締役社長だった山田典吾と再婚し、当初から資金繰りに奔走することになった。
74年の「太陽の詩」(文化庁優秀映画)では、広島県広中央中学校の養護学級の日常を長編ドキュメンタリーとして製作するにあたって、資金集めを一から担わされ、実家にあった自身の貯金をおろしてまで完成にこぎ着ける。60年代に知的障がいの長女を出産し、当時は障がい者支援が未整備で苦労したことが、社会に先駆けて障がい者福祉映画に取り組む動機となった。
その後も実写版の「はだしのゲン」3部作、「春男の翔んだ空」「裸の大将放浪記」など数多くの映画を製作・公開。 96年、64歳にしてアニメ映画「エンジェルがとんだ日」で初監督を務める。同作は、重度の知的障がいがある長女とともに歩んできた半生を題材としたもの。04年には72歳にして「石井のおとうさんありがとう」で実写監督デビューを果たした。
24年には、監督第10作「わたしのかあさん 天使の詩」を完成させ、各地の巡回上映で舞台挨拶して回っていた。25年2~3月、国立映画アーカイブの特集上映「日本の女性映画人」の第3弾「1990年代」篇にて、「エンジェルがとんだ日」がニュープリントフィルムで上映・収蔵予定となっている。
3月25日に 、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会でお別れの会(時刻未定)を執り行う予定。なお、代表取締役社長を務めた現代ぷろだくしょんのスタッフ一同がコメントを発表している。
【現代ぷろだくしょん スタッフ一同/コメント】
私共、東京の映画製作会社・現代ぷろだくしょんと申します。昭和26年より男女平等・社会福祉をテーマに、過去に映画「エンジェルがとんだ日」「石井のおとうさんありがとう」「筆子・その愛―天使のピアノ―」「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」「母 小林多喜二の母の物語」「一粒の麦 荻野吟子の生涯」「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」など製作してまいりました。
これらの作品は、すべて日本で現役最高齢の女性監督と言われた、弊社の山田火砂子が監督してまいりました。
昨年、新作「わたしのかあさん 天使の詩」を作り、全国を上映会で回りながら、次回作のシナリオもほぼ完成という段階で、左肩を骨折し、秋に入院し、新年あけて、誤嚥性肺炎・敗血症なども併発し、帰らぬ人となってしまいました。あと10日で93歳という1月13日でした。まさに映画製作にかけた人生でした。
そして本人の希望もあり、小さな家族葬で、牧師様のお言葉と共に、天国に無事送り出す事が出来ました。
監督・山田火砂子が、よく文章の中で伝えてきた言葉があります。それは「現代人を取り巻く状況は、今混沌とし、闇の航路を進んでいくような不安な時代になっています。まるで情報の海で、指針となる羅針盤を失った船に乗っているようです。私は、その闇に光を当てて方向を示す羅針盤は、『愛』であると確信します。とりわけ未来を担う子供たちには、大切な問題で『愛なくして何がある』それを伝えたくて、私は次々に映画を作ってきました」と。
山田が信じ続けてきたこの篤い魂を、私たちはこれからも引継ぎ、『山田の魂』が残っている作品を通して全国の皆様に、届け続けようと思います。
つきましては、今後も製作作品の上映会なども、今まで以上に活発に広げていくつもりです。
今後とも、ご指導・ご鞭撻、宜しくお願い致します。