その着想が生まれたのは2001年。
それが具現化(書籍化)したのが2008年。
その後、2012年に一度は舞台化。
そして、このたび堤幸彦監督の手により映画化した、天童荒太による直木賞受賞作「悼む人」。
時を超え愛される本作は、生死を真摯に捉え、そのまっすぐさゆえに様々な感情を持て余し、触れるものすべてに大きな足跡、天童荒太の言葉を借りれば“宝物”を残していく。映像化にあたって原作者である彼は何を思ったのか、そして今彼が伝えたいこととは。
――今、改めて今作が映画化されることについて、率直な感想を教えてください。
「表現において、時間が一番の審判。時間が経ってもすり減ることなく、舞台や映画、様々な形でより多くの方に見ていただける表現であったことを幸せに思っています」
――これまで天童さんは、ことあるごとに本は残ることに意味があると仰っています。今回はそれがまさに実証されたのでは。
「それは支えてくれる読者のおかげだし、その読者の中に堤幸彦さんや石田ゆり子さんのような方がいたからこそ、今回映画化できたのだと思っています。多くの読者の方が待っていてくださると信じられるから、たとえ時間がかかったとしても次もしっかりと残っていくものを作りたいと思います」
――映画化にあたって、堤監督とはどんなお話をされました?
「監督は原作をリスペクトし、常に意見を求めてくださって。そういったこともあって私自身、今回は原作者というよりは(制作)チームの一員として、この作品がいかに多くの方々に見ていただけるか。そして、世界に向けて伝えていけるかを念頭において、様々な意見を出し合えることができました。とても充実した、チームとしての作品作りができたと思います」
――先日、主演の高良(健吾)さんにインタビューさせていただいた際に、今回の静人役は運命的であり、演じたことを本当に喜んでいました。そんな高良さんの演技に関してはいかがでしたか?
「素晴らしかったですね。本当に難しい役なのに、見事に静人として存在されていた。悼み続けるためには自己の感情を抑えないといけない。感情移入してしまっては悼み続けられないんです。俳優としては、感情を爆発させる演技のほうがやりやすいし観客にも伝わりやすいと思うんですが、今回はそれを一切しないことでしか表現しきれない。そんな深い思いと堪える感覚があるからこそ、悼むということが、彼のポーズに神が宿るような真摯さが舞い込んだ。高良さんの静人に向き合う姿、誠実な姿勢によって様々なシーンが品格を得たと思います。彼は演技というより、今回は映画の中に生きていたんですよね」
――作品を通して、生と死、相反するものを描いていますが、それは大変な作業でもありますよね。死にも接しないといけないわけで。
「この作品を作るためにいくつもの死を追いかけました。最初は確かに辛かったです。ただ、やがて自分の中で悼むことが、誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたのか、その三つを覚えることだと見つけてからは辛くなくなったんですよね。それは、結局生きていることの讃歌、生を讃えることに繋がってますから」
――生死は相反しながらも、表裏一体のもの。それは静人の“悼む”という行為にも繋がりますね。
「静人の行為は、素晴らしいと言う人もいれば、意味がわからないという人もいる。それは小説の中だけでなく、読者、映画を見た方も同じで、いろいろな人の見方が導き出されるのも『悼む人』が、向き合う人や社会を写す鏡になっているからだと思います。そして、それによって生きること、死ぬこと、さらには愛というものに対して、個々がどう考えているのかが炙り出される。それはどういった意見であれ、人それぞれの考えであり、正解不正解はなく、僕はそれこそ宝物の花を咲かせる芽だと思うんです。僕は静人がそういった芽を1人1人に蒔いている、映画を見てそう思いました。そんな素晴らしい映画が完成し、しかも日本から世界に向けて発信できることは本当に嬉しく思います」
――世界に発信ということはもともと考えていたんですか?
「1つのミッションでした。この“悼み”という思いが混沌とした世界の中で、1つの新しい指標として届いていけばと。世界の人々はこうした思いを必要とし、待ち望んでいるのではないか、そう感じてもいましたし。悪をやっつけるヒーローの物語、あるいは神や聖人のように完全に許しきる物語、今回はその両極のあいだに割って入る第三の指標を示す物語だと思うんです。それが世界に届いていくことはすごく意義のあることだと思っています」
――世界ももちろんですが、国内での反応も楽しみです。“悼む”という言葉自体、現代ではあまり使われなくなってしまった言葉だと思いますし。
「そうなんですよね。僕が2008年にこの作品を発表したときには、“悼む”という言葉は一般的ではなかったんです。当時は、誤った読み方をする方も多かったですし。それが、徐々に一般的に使われるようになってきた気がしていますし、まだまだ少ないですが、事件の被害者や災害の犠牲者に寄り添った報道も増えてきている。それも1つの希望の芽でもあるのかなと思っています」
――これまで天童さんの作品は多々映像化されてきましたが、その中で今作「悼む人」はどんな作品になりましたか?
「現代において、本当に必要な思い、願い、哲学を持っている映画が日本で作られ、世界に発信されていくということ。今、世界は本当に混沌とした、割り切れない悲しみに溢れています。そんな中でこの美しい映画が、1つの答えとして、あるいは人々がもう一度命の重さを、生きていくことの尊さを考え直すきっかけになればと……そうなれる作品がここにできたと思っています。僕自身、それを拍手を持って迎えたいし、より多くの人に見て、感じて、話し合ってもらえたらと思っています」
映画「悼む人」は2月14日(土)より全国公開
© 2015「悼む人」製作委員会/天童荒太
それが具現化(書籍化)したのが2008年。
その後、2012年に一度は舞台化。
そして、このたび堤幸彦監督の手により映画化した、天童荒太による直木賞受賞作「悼む人」。
時を超え愛される本作は、生死を真摯に捉え、そのまっすぐさゆえに様々な感情を持て余し、触れるものすべてに大きな足跡、天童荒太の言葉を借りれば“宝物”を残していく。映像化にあたって原作者である彼は何を思ったのか、そして今彼が伝えたいこととは。
――今、改めて今作が映画化されることについて、率直な感想を教えてください。
「表現において、時間が一番の審判。時間が経ってもすり減ることなく、舞台や映画、様々な形でより多くの方に見ていただける表現であったことを幸せに思っています」
――これまで天童さんは、ことあるごとに本は残ることに意味があると仰っています。今回はそれがまさに実証されたのでは。
「それは支えてくれる読者のおかげだし、その読者の中に堤幸彦さんや石田ゆり子さんのような方がいたからこそ、今回映画化できたのだと思っています。多くの読者の方が待っていてくださると信じられるから、たとえ時間がかかったとしても次もしっかりと残っていくものを作りたいと思います」
――映画化にあたって、堤監督とはどんなお話をされました?
「監督は原作をリスペクトし、常に意見を求めてくださって。そういったこともあって私自身、今回は原作者というよりは(制作)チームの一員として、この作品がいかに多くの方々に見ていただけるか。そして、世界に向けて伝えていけるかを念頭において、様々な意見を出し合えることができました。とても充実した、チームとしての作品作りができたと思います」
――先日、主演の高良(健吾)さんにインタビューさせていただいた際に、今回の静人役は運命的であり、演じたことを本当に喜んでいました。そんな高良さんの演技に関してはいかがでしたか?
「素晴らしかったですね。本当に難しい役なのに、見事に静人として存在されていた。悼み続けるためには自己の感情を抑えないといけない。感情移入してしまっては悼み続けられないんです。俳優としては、感情を爆発させる演技のほうがやりやすいし観客にも伝わりやすいと思うんですが、今回はそれを一切しないことでしか表現しきれない。そんな深い思いと堪える感覚があるからこそ、悼むということが、彼のポーズに神が宿るような真摯さが舞い込んだ。高良さんの静人に向き合う姿、誠実な姿勢によって様々なシーンが品格を得たと思います。彼は演技というより、今回は映画の中に生きていたんですよね」
――作品を通して、生と死、相反するものを描いていますが、それは大変な作業でもありますよね。死にも接しないといけないわけで。
「この作品を作るためにいくつもの死を追いかけました。最初は確かに辛かったです。ただ、やがて自分の中で悼むことが、誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたのか、その三つを覚えることだと見つけてからは辛くなくなったんですよね。それは、結局生きていることの讃歌、生を讃えることに繋がってますから」
――生死は相反しながらも、表裏一体のもの。それは静人の“悼む”という行為にも繋がりますね。
「静人の行為は、素晴らしいと言う人もいれば、意味がわからないという人もいる。それは小説の中だけでなく、読者、映画を見た方も同じで、いろいろな人の見方が導き出されるのも『悼む人』が、向き合う人や社会を写す鏡になっているからだと思います。そして、それによって生きること、死ぬこと、さらには愛というものに対して、個々がどう考えているのかが炙り出される。それはどういった意見であれ、人それぞれの考えであり、正解不正解はなく、僕はそれこそ宝物の花を咲かせる芽だと思うんです。僕は静人がそういった芽を1人1人に蒔いている、映画を見てそう思いました。そんな素晴らしい映画が完成し、しかも日本から世界に向けて発信できることは本当に嬉しく思います」
――世界に発信ということはもともと考えていたんですか?
「1つのミッションでした。この“悼み”という思いが混沌とした世界の中で、1つの新しい指標として届いていけばと。世界の人々はこうした思いを必要とし、待ち望んでいるのではないか、そう感じてもいましたし。悪をやっつけるヒーローの物語、あるいは神や聖人のように完全に許しきる物語、今回はその両極のあいだに割って入る第三の指標を示す物語だと思うんです。それが世界に届いていくことはすごく意義のあることだと思っています」
――世界ももちろんですが、国内での反応も楽しみです。“悼む”という言葉自体、現代ではあまり使われなくなってしまった言葉だと思いますし。
「そうなんですよね。僕が2008年にこの作品を発表したときには、“悼む”という言葉は一般的ではなかったんです。当時は、誤った読み方をする方も多かったですし。それが、徐々に一般的に使われるようになってきた気がしていますし、まだまだ少ないですが、事件の被害者や災害の犠牲者に寄り添った報道も増えてきている。それも1つの希望の芽でもあるのかなと思っています」
――これまで天童さんの作品は多々映像化されてきましたが、その中で今作「悼む人」はどんな作品になりましたか?
「現代において、本当に必要な思い、願い、哲学を持っている映画が日本で作られ、世界に発信されていくということ。今、世界は本当に混沌とした、割り切れない悲しみに溢れています。そんな中でこの美しい映画が、1つの答えとして、あるいは人々がもう一度命の重さを、生きていくことの尊さを考え直すきっかけになればと……そうなれる作品がここにできたと思っています。僕自身、それを拍手を持って迎えたいし、より多くの人に見て、感じて、話し合ってもらえたらと思っています」
映画「悼む人」は2月14日(土)より全国公開
© 2015「悼む人」製作委員会/天童荒太