2024年は福島第一原発の廃炉にとって大きな動きがありました。それが原発事故後、初となる燃料デブリの取り出しです。今回のプロジェクトには福島県出身の東京電力の社員も携わっていました。廃炉の最前線、そして故郷、福島への思いについて聞きました。
話しを聞いたのは大熊町出身で東京電力の横川泰永さん(40)です。今回の燃料デブリ取り出しプロジェクトでチームリーダーを務めました。
■東京電力 横川泰永さん
「遠隔操作室の方でデブリ作業の状況を確認していたということになります。原発事故のことは二度と起こさないといった決意でデブリ取り出し作業に進めてまいりました」
原発事故から13年あまり。初の燃料デブリの取り出しは2号機で進められました。2024年9月、釣りざおのような装置を原子炉格納容器内に投入し取り出しに着手。しかし、その一週間後、装置に取り付けていたカメラの映像が突然映らなくなり、作業は中断を余儀なくされました。
■東京電力 横川泰永さん
「またカメラの映像が映らなくなるといったことがないか慎重に確認しながらですね、対策を取った上で進めていたというような状況です」
横川さんの指示のもと原子炉建屋内の最前線で作業に当たったのが浪江町出身の井手宏さん(33)です。
■東京電力 井手宏さん
「まさに高線量下のエリアっていうことで、低い線量のエリアですとかを十分に把握して作業した」
放射線量の高い場所での作業は困難を極めましたが、約1か月半の中断を経て作業は再開。10月30日、ついに装置で燃料デブリをつかんで持ち上げることに成功しました。
■東京電力 横川泰永さん
「困難な状況も関係者一丸となって乗り越えてきたという状況でしたので、やはり10月30日にデブリをひとつつまんだというときは、やはり安堵したとほっとした瞬間でした」
■東京電力 井手宏さん
「遠隔操作される方ですとか、我々東電社員からもそうなんですけれども「おーっ!」という声が上がっていた記憶があります」
今回、取り出した燃料デブリは0.7グラムほどで現在は茨城県の研究施設で分析が進められています。
■東京電力 横川泰永さん
「取り出した量としましては0.7gという小さい量でしたが、やはり廃炉作業の中では大きな第一歩だというふうに考えております」
原発事故後、初の燃料デブリ取り出しという大きな一歩を踏み出した一方で廃炉までにはこれからも長い道のりが続きます。今回、プロジェクトを支えた横川さんと井手さん。自分たちが進める廃炉作業が故郷の復興につながることを願っています。
■東京電力 井手宏さん
「浪江町出身・地元出身ということで、私自身実家の方がまだ帰還困難区域で帰れない状況です。私と同じような思いをされてる方もいらっしゃると思いますので、その帰還の一助になりたいなという思いで、今後の廃炉作業をしっかり進めてまいりたいと思います」
■東京電力 横川泰永さん
「復興は着実に進んでるというふうに考えておりますが、生まれ育った思い出のある土地にはなかなか戻らないというところもありますので、福島第一の事故のようなことは2度と起こしてはならないということを念頭に置いて、作業を進めていきたいと考えています」
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