今月1日に老衰のため、99歳で死去した元落語芸術協会会長、桂米丸さん。新作落語の第一人者として、最晩年まで創作意欲が衰えることがなかったという。コロナ禍で寄席への出演を控えたため、2019年9月の新宿末廣亭が最後の高座となったが、寄席への復帰を模索し、現役であり続けようとした米丸さん。そのわけをかつて本紙に語っていた。
終戦直後の1946年、五代目古今亭今輔に入門し、翌年には二ツ目に昇進。さらにその2年後の49年には桂米丸を襲名し、真打ちに昇進するという異例のスピード出世を果たした。
庶民の生活を描く新作落語にこだわり続け、テレビでも活躍。古典を支持する評論家などからは批判にさらされることもあったが、そのチャレンジ精神が評価され、92年に紫綬褒章、そして98年には旭日小綬章を受章している。
落語界への貢献も大きく、77年に社団法人化した落語芸術協会の初代会長となり、99年の勇退まで、協会の指導役と後進の指導に携わった。
晩年まで高座に上がり続けていたが、2010年の本紙「ぴいぷる」欄で、現役にこだわる理由として、「お客さまから励まされると、よしやるぞ、という気持ちが湧いてくる。きざな言い方かもしれないけど、わたしは寄席の高座に出ていることがエネルギーとなり、それが健康につながっていくと思っていますよ」と明かしていた。
「デパートやスーパーマーケット。別の世界に浸ることが噺のヒントになりますからね。とにかく、自分の足と目で確かめないと…」と新作落語の創作への思いも語っていた。