笑顔なし、朴訥(ぼくとつ)、鋭い眼光でガンガンにらみつける。これは挑発、それとも憐憫(れんびん)? アンタらぬくぬくと生きて幸せなのかい、って…。文明の利器を拒絶して未踏の地を行く北極圏やチベットでの冒険・探検は角幡唯介さんにとって「生きる」と同義語だ。今回は地図を持たない日高山脈の登山行。「死」と隣り合わせの生き方を問う。
社会にイラ立ち
――「脱システム」の生き方を志向してきた
「イラ立っていたんでしょうね。どんどん社会がつまんなくなっていったことに…。僕がやってきた登山や極地の冒険・探検でも、かつては『前人未踏』とか『地図のない空白部に行くこと』の価値が無条件に認められていました。それが昨今は(そんな所へ行って遭難したら)他人に迷惑をかける、といった自己責任論がはびこっているでしょう。そんな社会にイラ立つというか、皆と同じようなことをしたり、同じような場所に行って何が面白いのか、って」
――イマドキの若者たちもチャレンジをしない安定志向になっている
「あくまで報道などを通した僕のイメージですけどね。(今の若者は)〝行儀よく〟なり過ぎている気がします。言動をとってみても、やたらと感謝してみたり、もの分かりが良過ぎる、というのかな。もうちょっと破天荒、エネルギッシュに生きてもいいんじゃないかとは感じますね」
――野望もない
「僕らが20代前半のころには将来、どうなりたいのか? 大きくステップアップしたい、といった自己実現の野望を抱くのは当たり前でしたけど今の若い世代はそうじゃないらしい。『将来の夢』について聞かれること自体がイヤなんだという。そうした感覚の違いにはびっくりします」
――角幡さんは、朝日新聞をあっさり辞めて「冒険・探検1本」の世界へ飛び込んだ
「迷いましたし、不安はありましたよ。『地図なし登山』と一緒で、未知の世界へ進もうとしているわけですから…。ただ(新聞社に居続けることは)最善の生き方ではないと分かっていたし、ここで辞めないと後悔すると思いました。(やると決めたら)たとえ失敗しても後悔はしない」
――ホームレスになる覚悟もあったとか
「(新聞社を辞める前の)2年間で800万円を貯めました。つつましく生きれば3年くらいは、アルバイトもせずに何とか生きていけるかな、その間に探検をして、それを(文章に)表現してモノになればいい、と考えたわけです。つまり、3年間の猶予期間。それでダメならばホームレスになればいいや、って…」
――スポンサーをつけない方針を貫いている
「(収入の大半は)ひたすら書き続けることですね。スポンサーをつけない理由ですか? それがカッコよいことだと思えないからですね。僕がやっていること(探検・冒険)は言ってみれば『遊び』。それに対しておカネを貰うことは、カッコよくないし、面倒くさい。クラウド・ファンディングでもそうですが、おカネを貰うと『夢』を語らなきゃいけないし、品行方正である必要もあるでしょ。〝正しい存在〟を強いられるのがイヤなんですよ。自分の稼ぎだけでやっていくのは確かにキツいけど、〝正しい存在〟にならなくてもいい。意地張ってずっとそういう方向で来ましたから、今さら変える気もない。(いま生計が成り立っているのは)まぁ、幸運でしたね」
43歳の壁超えた
――現在48歳。多くの冒険家や登山家が命を落とした〝43歳の壁〟を超えましたね
「確かに体力は落ちてきているんですけど、思ったほどではないですね。一方の経験値はどんどん高くなってきて、これまで難しかったことが当たり前のようにできるようになって、ハラハラしないというか、飽きるというか、新鮮味がなくなるんです。だから、(やる冒険・探検の中でも)質を高めたい、とか、新しい場所に行ってみたい、という気持ちはありますね。今は65歳くらいまでやるつもりではいるんですけど」
――今回の日高山脈という場所はどうでしたか
「僕は、自分の行為を全部自分でつくり上げたいから、GPSや衛星電話も使わない。人の気配がするのもイヤ。(極地へ行って)地球の中で、たった一人の人類として存在しているような状況がいい。日本国内でそういうフィールドはなかなかありません。例えば、奥只見はすごくいい所でしたが、僕が思う10日から2週間の登山を続けるにはエリアが狭すぎる。これだけ長期の〝地図なし登山〟をやれる場所は日高山脈しかなかったですね」
――冒険・探検の中で何度も命を落としかけた。「死」をどうとらえていますか
「かつては、なるべく『死』に近づいて生還したい、(冒険や登山で)自分の生命エネルギーをギリギリまで使い果たした上で生還したい、という気持ちが強かった。つまりそれは『死』までの距離を可能な限り縮めることによって『生』の手応えを感じるという、いわば究極の選択です。だから登山家がもっと高い山、もっと難しいルートをどんどん求めるのも分かるんですよ。ただ僕も50歳を前にしてそういった切実さも少しは薄れてきたかな」
(取材・梓勇生 撮影・鴨川一也)
『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』新潮社・2310円(税込み)
「脱システム」という思想に取りつかれた著者は、それを具体化させる行動を模索する。交通機関の発達により世界はどんどん狭くなり、「冒険・探検」ができる場所は息絶えつつあった。ならば…と考えついたのが、真冬の北極での「極夜」(1日中太陽が昇らないこと)の探検であり、もうひとつが本書のテーマになっている北海道・日高山脈における「地図なし登山」だった。
■角幡唯介(かくはた・ゆうすけ) 1976年北海道生まれ。探検家、作家。48歳。早稲田大学では探検部に所属。チベットのヤル・ツアンポー峡谷の探検などを行う。朝日新聞社に記者として入社したものの、探検を続けるために退社。北極圏のグリーンランドやカナダ・エルズミア島で狩りをしながら犬ぞりでの旅を続けている。著書に『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』『極夜行』『裸の大地』など。