フジテレビの朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭さんが9日、死去した。77歳。死因などは明らかになっていないが、2016年に膀胱(ぼうこう)がんを公表、その後も肺などに相次いで転移し、長らく闘病生活を続けてきたがついに力尽きた。
11月23日にフジテレビで放送された「小倉ベース」に出演し、元気な姿を見せたが、12月4日に「治療の手立てはない」ことを病院で宣告されて以降は自宅で療養。9日午後に息を引き取ったという。
オープニングトークでの歯に衣(きぬ)着せぬコメントと快活な司会ぶりでお茶の間の〝朝の顔〟として人気を博した小倉さん。同一司会者による全国ネットのニュース情報番組の放送回数最多記録となった「とくダネ!」を21年3月に卒業後も闘病を続けながら、ラジオや情報番組で時事問題などに辛辣(しんらつ)な意見を述べていた。22年4月、肺がん公表後に久々に出演したテレビ番組収録後の会見では「これからもできるだけ毒舌は吐きたい」とも。
だがその晩年はがんとの闘いだった。16年に膀胱がんを公表し、18年に膀胱の全摘手術を受けた。21年には肺への転移を公表。さらに23年には腎盂がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けるなど、まさに満身創痍(そうい)だった。
それでも、情報番組のキャスターを長年続けていたこともあって、闘病経験を積極的に発信していた。21年7月には夕刊フジ「健活手帖」のインタビューで闘病の様子を赤裸々に語っている。
ゴルフの途中で尿漏れパッド交換
膀胱の全摘手術後、切除した小腸を代わりにする〝代用膀胱〟を選択したことで、尿漏れ対策の難しさを明かした小倉さん。ゴルフ場のエピソードとして「力が入ると出ちゃうので、コースの途中にあるトイレで尿漏れパッドを取り換えなくちゃいけない。とにかく集中できない。だからゴルフ下手になったよね…」とユーモアを交えながらも、就寝時については「2時間おきは辛いので、尿を10回以上吸収するパッドで寝ている。それでも変に寝返りを打つと横漏れしちゃう」と深刻な告白も。
男性用トイレに尿漏れパッドを捨てるゴミ箱がないことが不便だと訴え、その声は大きな反響を呼んだほどだ。
その真摯な生き方は、多くの人の心に思い出を残している。ニッポン放送の飯田浩司アナは10日朝、「飯田浩司のOK! Cozy up!」(同局)で「アナウンサー人生を変えてくれたような人」としのんだ。
06~12年、ラジオ番組で共演した飯田アナ。自身の結婚式の司会も、小倉さんが務めたが、「『世話になった奴は司会をやってやる』と。お車代も『ばかやろう』と突き返し、颯爽と帰っていった。その背中をすごく思い出すんです」と語った。
そして「77歳は早い、もっと生きてほしかった。もっと教えてもらいたかった。孝行したいときにいないのはつらいですね」と言葉を詰まらせた。