あの日も、また蒸し暑い日でした。2年前の2022年7月8日、参院選の投開票を2日後に控えた金曜日でした。開票特番を担当予定だった私は、各地の情勢を分析しようと、仮眠から起き出してパソコンを開いていました。
午前11時半過ぎ、「安倍晋三元首相襲撃される」という速報が流れ、そこからツイッター(現X)上が大騒ぎになりました。旧知の記者やコメンテーター、官僚と電話で情報を収集していて、肝心の選挙の情勢分析が手につかなかったのを覚えています。
そして、金曜日は拙欄の締め切り日でもあります。刻々と事件と安倍さんの容体が明らかになるなか、締め切りを伸ばしてもらって原稿を差し替えました。
安倍さんには、現職の首相としても、その後の衆院議員としてもインタビューをしました。首相退任後にインタビューした際は、在任中で悔やまれることの1つとして、「党内外の事情により、消費税の増税を断行せざるを得なかったこと」を挙げていました。
「強権だ」「独裁だ」と言われましたが、2度増税を延期することはできても、凍結はできなかった。アベノミクスに対するこだわりと、経済成長に対するこだわりは相当なものだったと思います。
外交・安全保障はタカ派と言われましたが、経済政策は財政出動と金融緩和のポリシーミックスというリベラルの王道経済政策を採りました。
「バラマキだ!」「財政健全化に逆行する」と批判されましたが、実際はジワジワと税収を伸ばす一方で、公債発行額が最も多かったのは初年度の12年度です。積極財政のイメージとは異なり、実は徐々に引き締めていたのです。
それでも、失業率や労働環境が悪くなるような急激な引き締めは行わず、完全失業率は漸減していき、コロナ前には3%を割り込みました。
差し替えた夕刊フジの原稿では、安倍さんの功績として外交・安保政策が注目されている中で、経済政策を取り上げました。特に「就職氷河期世代に向けた政策パッケージを初めて実施したこと」を書きました。ただ、この政策は滑り出しがコロナ流行と重なり、ほとんど日の目を見ないまま、3年の重点期間が過ぎたことが悔やまれます。
今もし、安倍さんがいらしたら、足元の経済に関して何と言うだろうか?
この円安とコストプッシュのインフレを奇貨として、「製造拠点の国内回帰を促し、日本経済を持ち上げよう」と言うのではないかと思いを馳せていたら、小泉進次郎元環境相が都内の講演で、「あらゆる業界で、海外からの輸入品を国産品へ置き換える総点検をすることで、円安のピンチがチャンスになる」と言っていました。
幹部に緊縮派が多い現在の岸田文雄政権の外側に、アベノミクスを継承する人たちがいる構図。秋に向け、ガラッと様相が変わって、前向きな経済政策が取られることを期待します。
■飯田浩司(いいだ・こうじ) 1981年、神奈川県生まれ。2004年、横浜国立大学卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。ニュース番組のパーソナリティーとして、政治・経済から国際問題まで取材する。現在、「飯田浩司のOK!Cozy up!」(月~金曜朝6―8時)を担当。趣味は野球観戦(阪神ファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書など。