手帳の季節だ。
文藝春秋から例年どおり『文藝手帖』を送ってきた。
中に一枚の紙が。
<戦前から発行してきた当手帖ですが、誠に勝手ながらこの二〇二五年版をもちまして、発行を終了することとなりました>
林真理子さんも『週刊文春』の人気コラム「夜ふけのなわとび」(11月28日号)で書いていたが、これは寂しかった。
好きな雑誌の廃刊と同じ気分。
寄稿家住所録はむろん便利だが、新聞社、出版社などの連絡先、芥川、直木賞はじめ文藝春秋がかかわる各賞の歴代受賞者一覧なども便利だった。
1966年から、手にしていたのだからもう60年近い。
といっても、実はぼくが、実際に日々、使っているのは、潮出版社発行の『文化手帖』で、1994年からだから、30年、愛用している。
文藝手帖と同じく「人名簿」も充実。出版社、新聞社、ホテル、それに日本と世界の地図、東京と大阪の地下鉄路線図まで載っている。
何より便利なのは一日のスペースが時間ごとに区切ってあることで、人と会ったり、会に出たりするスケジュールを書き込むのにとても便利なのだ。
『文藝手帖』は残念ながら、この時間ごとの区切りがない。
その日、会った人はもちろん、出席した会合、読んだ本、見た映画や芝居はその評価をABCで書き込み、簡単な評もつけているから、ま、日記代わりと言ってもいい。
毎年、創価学会の知人が送ってくれるのだが、10年ほど前、手違いで、暮れに届かなかった。
年内に電話番号など、書き換えておく必要がある。
慌てて大晦日(みそか)に、もう誰もいないかもと思いつつ電話したら広報の方がいらして、事情を話し、信濃町の本部まで、いただきに行った。
きっと広報の方も呆れていただろう。
この原稿を書くために、30年分の『文化手帖』を取り出して見ていると、ああ、あの頃はこの人としょっちゅう、会っていたなとか、こんな本を読んでいた、こんな映画を観ていた、さまざまなことを思い出す。
池袋の新文芸坐で一日がかりで『ロード・オブ・ザ・リング』全編を観た、今はなき三原橋の銀座シネパトスで小林正樹監督、仲代達矢主演の『人間の條件』三部作を友人の小森敦己クンと一緒に連日、通って観たな、とか。
ちょっとプライバシーにかかわることを書いた部分もあるので、ぼくが死んだら、棺桶に一緒に入れて焼いてくれ、と言ってある。
ぼくはスマホが嫌いで、使ってないから(いまだにガラケー。ガラケーとiPadミニで十分)、もしこの手帳を落としたら仕事にならない。むろん、コピーも取っていないし。
ところが、今年、夏の初め、落としたのである。
立ち寄った喫茶店、本屋、昼食をとったレストラン、必死に電話をかけたが、ない。
先の予定がわからないのが一番困る。会う約束をしていたら、相手に申し訳ない。明日、明後日ならともかくそんなに先の予定までは頭に入ってない。
絶望的になったが、念のためタクシー会社に電話をしてみた。タクシーで手帳を取り出した覚えはないから、念の為、ほんとうに念の為だった。
が、あったのである。
「黒い革の表紙のやつですね」
財布を出したときに落としたのだろう。
タクシー会社の担当者を拝みたくなった。
『文化手帖』は、今後も長く続けてほしい。(月刊『Hanada』編集長・花田紀凱)