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日本の解き方 植田日銀はルール守ったのか デフレ脱却の大チャンスに緊縮路線で「失われた20年」に戻る可能性 政権の任命責任も大きい

zakzak by夕刊フジ 2024年8月8日 11時0分

日銀は植田和男総裁体制になって、追加利上げを行った。日本の金融政策はどのように変遷してきたのだろうか。

世界銀行のデータ(140~160カ国程度)でマネーの伸び率を10年程度の平均値でみて、日本の金融政策を振り返る。1980年代中頃から10年間は、日本のマネー伸び率は世界で120位程度だった。90年代半ばから20年間は世界で最下位だったが、2010年代半ばから10年間は少し盛り返して145位程度となった。先進国の中では、それぞれ「トップクラス」「最下位」「最下位から脱出したが下の方」だ。

マネーの伸び率は、名目経済成長率と相関係数0・9程度(1が最大)の極めて高い相関を持っている。マネーの伸び率は、そのまま名目経済成長率の順位となっているとみていい。

ざっくり言えば、1980年代までは結構まともな金融政策が行われていて、経済も高度成長だった。しかし90年頃のバブル崩壊後、〝羹(あつもの)に懲りる〟かのように緊縮気味の金融政策を続けた。「日銀官僚」の無謬性(むびゅうせい=誤りがないという前提)により、間違った金融引き締めが繰り返され、結果として世界最低水準のマネー伸び率という金融引き締めが継続され、「失われた20年」になった。

典型的なのは白川方明(まさあき)総裁時代で、世界標準であるインフレ目標の導入をかたくなに拒否した。また、リーマン・ショック時に世界各国が金融緩和で対抗しようとしたのに対し白川日銀は緩和せずに、円の独歩高を招き、日本が独り負けとなった。安倍晋三政権の誕生で、インフレ目標を導入してやや戻したが、失われた20年を取り戻すには至っていない。

安倍政権時の金融政策は、政府と日銀のアコード(協定)による世界標準のインフレ目標政策で、最低の失業率とデフレ脱却を目指した。2度の消費増税を行い、コロナ禍もあったので、デフレの完全脱却はできなかったが、失われた20年よりはマシだった。特に、金融政策の最低ラインである「雇用の確保」については歴代最高のパフォーマンスだった。

黒田東彦(はるひこ)総裁体制では、2016年9月に導入したイールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)で金融緩和はやや弱まったが、基本的には政府とのアコードどおり、インフレ目標には忠実だった。消費増税やコロナ禍がなければ、雇用確保とともにインフレ目標は達成できただろう。

植田日銀下では消費増税もコロナ禍もなく、インフレの上振れリスクがないにも関わらず利上げ(金融引き締め)に前のめりで、必ずしもインフレ目標に忠実にとはいえない。インフレ目標は、ルールに基づき、属人的な金融政策を排するものだが、ルールに忠実でない総裁を任命すると、お手上げだ。総裁の任命責任を含めて岸田文雄政権の問題だといえる。

現状はデフレ脱却の大チャンスであるが、岸田政権自体の緊縮気味の財政運営とともに、金融政策も引き締め気味なので、下手をすると「失われた20年」に戻る可能性も否定できない。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

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