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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 中森明菜、苦難の90年代経て14年ぶりに「紅白」出場 後輩・浜崎あゆみに学ぶ「新しい時代」

zakzak by夕刊フジ 2024年7月2日 11時0分

中森明菜にとって1980年代は「絶頂期」だった。ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から発売されたシングル全26作品のうち、実に22作が1位にランクされたほどだ。80年代のヒット曲はまさに明菜の歴史と言っても過言ではない。

しかし90年代は苦難、まさに「失われた10年間」だった。が、そんな中でも明菜は前向きに生きてきた。2002年、14年ぶりにカムバックした「第53回NHK紅白歌合戦」を前にして、スポーツ紙のインタビューで次のように語っていた。

「人間って学ぶ動物じゃないですか。学ぶのは年上からばかりではないんです。後輩からもいろいろと学ぶことが多い」と前置きした上で、「時代が変われば、自分が味わったことのない現実を、後輩の若い子は歩んでいるわけですからね。でも、そういう後輩が出す言葉、態度っていうのは新鮮ですし、すごく勉強にもなるんです。いろいろな人の話を聞いて、バランスを取るのが実は人間に課せられたものだと思いました」。

この年(2002年)12月7日に歌手の浜崎あゆみが司会をしていたフジテレビのバラエティー番組「ayu ready(アユレディ)」に出演。「昭和と平成の歌姫の競演」と大きな話題となったが、明菜は浜崎についてこう話している。

「今の時代、歌番組に出演しても、テレビの向こうの人のことを考えてというよりも、自分のことを考えて、自分の売り方だったり、コンセプトに応じてのコメントが中心のように思えるんですね。だけど、番組を楽しみにしている人たちの中には、例えば『ザ・ベストテン』(TBS)だったら、私のファンじゃなくても、単純に歌番組が好きで見ている人っているわけじゃないですか。それこそ(司会の黒柳)徹子さんの雰囲気だったり、番組から出ている温かさや空気感だったり…。そう言った意味で、私も『番組のファン』という方たちを、とっても大事にしていたような気がするんです。そう言った中で、ご一緒させていただいた(浜崎)あゆみちゃんは、自分はともかく、まずは、この番組を好きな人が喜んでくれればいいって思っているように感じたんです。実は、この番組で初めてお会いしたのですが、フッと懐かしく思えたんです。その時に、この子が、またそういった空気、風を運んでくれるんじゃないか、って思ったんです」

明菜なりに、後輩たちが「新しい時代」を運んできてくれるのではと期待が膨らんだようだ。言い換えれば、この時、明菜にとって14年の「空白」は逆に楽しみに変わったのかもしれない。

「私は、いつも『紅白』やベストテン番組を楽しみにずっと見ていた時の気持ちを絶対に忘れちゃいけないって思い続けてきたんです。それこそ『今回はどんな衣装なんだろう』『どんな笑顔見せてくれるのかな』って…。つまり同じ立場で見てる方がいるだろうから、その気持ちを絶対に忘れちゃいけないって常に思い続けていたんです。ですから(『紅白』に)出なくなってからは、それこそ見ていた側の…当時に戻っただけのことだったんです。そして、かつてと同じように『何をしてくれるのかな』『あっ、昨年の誰々さん出ないんだ』なんて、そう思いながら見ていました」

本来なら「紅白」も連続出場していても不思議ではなかったが、明菜自身は、冷静に自分自身を見つめていたということなのかもしれない。

一方で「歌って、思い出を作ってくれる。時間もそうだし、呼吸、空気、香りも…」と言い、歌については「みんな宝箱のように、ある瞬間までをも歌の中に詰め込んでいるんですよね、大事にしまっている。そういったみんなの思い出を、絶対に崩さないというのが大前提だと思っています」としている。

そんな思いが人一倍あったのだろう、12月29日から東京・渋谷のNHKホールで始まったリハーサルは、初めこそ笑顔だったものの、その後は何度もストップするなど混乱のステージとなった。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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