「高校三年生」(1963年)が大ヒットした時、舟木一夫の雰囲気が自分の作風に合っていると感じた仏文学者で詩人の西條八十は、作詞した弟子の丘灯至夫に「いい歌作ったな。俺にも舟木君の歌を書かせろよ」と持ちかけた。この話を丘から聞いた日本コロムビアの栗山章が西條と連絡を取り、舟木を連れて東京・成城の西條宅を訪ねた。
西條はいきなり「ここ数年はあまりお仕事をなさっていないのはどうしてですか」と質問した舟木の率直さが気に入り、「花咲く乙女たち」(64年)を書き上げた。
舟木が企画した日活映画「絶唱」(66年)では、主題歌は不要という舟木と、絶対に必要だという日活側で意見が割れた。結局、主題歌を作ることになり栗山らは急遽、西條宅を訪ねた。
西條は「2週間待ってほしい」と言った。出来上がった詞を見て、舟木は驚いた。原作を読みこんだうえ、「ワンコーラスのラストに一番言いたい〝なぜ死んだ ああ小雪〟と臆面もなく書いているではないですか」。
主題歌「絶唱」はこの年の日本レコード大賞で歌唱賞を受賞した。
船村徹が作った曲に「夕笛」(67年)がある。西條から最初に届いた詞のタイトルは「ふるさとの笛」。舟木は映画化を考えていたため、西條に「映画のタイトルになじまない」と、自ら考えた「夕笛」案を持ち出した。西條は快く承諾して詞の中にも〝夕笛〟を追加した。
三木露風の「ふるさとの」の盗作ではないかと騒がれた際、無言で通した西條は1年後、「これをベースにいつか流行歌を作りたい」と三木に申し出て、快諾されていたことを明かした。舟木は「大詩人のバランスの取れたインテリジェンス」を感じた。
西條は70年8月12日、急性心不全のため亡くなった。享年78。
それからまもなく、舟木の元に長女の詩人・三井ふたばこから西條の遺品が届いた。長女宛てのメモに「約束だから、一切手を付けずに舟木君に送るように」と書かれていたという。
=おわり、敬称略
(大倉明)
■舟木一夫(ふなき・かずお) 歌手。1944年12月12日生まれ、79歳。愛知県出身。63年6月、「高校三年生」でデビュー。橋幸夫、西郷輝彦とともに〝御三家〟と呼ばれ、人気を集めた。歌手だけでなく、ドラマや映画などで活躍してきた。2年後には芸能生活65周年を迎える。
12月10日(火)~12日(木)、大阪・新歌舞伎座で「カウントダウン80’」を開催。これに合わせて新歌舞伎座近くの大阪国際交流センター 1Fギャラリー「舟木一夫展 2024 79~80」も開催される。