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勝負師たちの系譜 王将戦第1局 永瀬拓矢九段を阻む藤井聡太七冠の「奥」という場所 どこが悪かったか本人も分からないことが多い負け方

zakzak by夕刊フジ 2025年1月19日 10時0分

新年が明けると最初に始まるタイトル戦が、ALSOK杯王将戦である。

王将戦は1950年に、毎日新聞社主催で発足し、翌年タイトル戦となった。

毎日が王将戦を始めたのは、それまで主催していた名人戦を朝日新聞社に奪われたからだった。

当時は新聞の販促に必要な囲碁将棋欄だったので、毎日新聞社として、名人をも貶(おとし)めるような棋戦ならやろうということで、三番手直り(3勝差が開いた時点でタイトルの勝敗が決着。次は香落ちとなる)という過激な棋戦ができたのだった。

当時の升田幸三八段が木村義雄名人に香を引くはずだったが、対局を放棄した陣屋事件。また升田が大山康晴名人相手に、香を引いて勝ったことなど、初期の王将戦には後世まで残るエピソードが多い。

2023年までは静岡県の掛川市が、12年連続で第1局を誘致していた。

ところが藤井聡太七冠の人気で、昨年は掛川が第6局に下がったところ、藤井の4連勝で、掛川には来なかった。昨年の結果を踏まえて今年は第1局となった。

挑戦者は永瀬拓矢九段。2人のタイトル戦は4回目だが、2日制のタイトル戦は初めてだ。

対局場は『掛川城 二の丸茶室』で、頭上に城の天守閣がそびえている。

振り駒で先手番を得た永瀬は、研究してきたであろう相掛かり戦へと。

そして序盤早々から歩得をし、その歩を生かして端攻めからペースを握った。一日目の終わりの封じ手付近では、永瀬の左右の桂が両方とも跳ね出す調子の良さで、明らかに永瀬ペースを思わせた。

しかし藤井もタイトル保持者らしく、決め手を与えない受けで、一瞬のスキを突いて反撃に出る。

問題はそこからだった。

私は中盤と終盤の間に「奥」という場所があると考えている。この奥は理論的に読み切れる部分ではなく、強い人は相手を突き放せるし、また悪くても相手にピッタリついて行ける。

七冠時代の羽生善治九段、そして今の藤井には明らかにこの奥の強さがある。

永瀬も当然強いのだが、藤井相手にこの奥のところで間違えて、逆転を許してしまった。この負け方は、終わった後でもどこが悪かったか、本人も分からないことが多い。

第2局は永瀬の後手番で、かなり大変だが、藤井一強を一番許せない挑戦者が、どういう戦いを見せるか楽しみだ。

■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。

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