歴史上の人物の「心の内に分け入ってみたい」と吉川永青さんはいう。今回は来年のNHK大河ドラマの主人公になる「蔦屋重三郎(つたや・じゅうさぶろう)」。ブームを予感させる中で、江戸の希代の出版プロデューサー〝蔦重〟をどう描く?
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――蔦重は『写楽とお喜瀬』(2019年)で少し書いていますね
「このときの蔦重は『食えないヤリ手』といった世間一般で言われてきたイメージで書きました。今回は、自分の望む生き方をするために全力を尽くす男、ここで負けても悔いを残さない『大勝負』に出る男、として描いたつもりです」
――蔦重は戯作者や浮世絵師などそうそうたる顔ぶれを世に送り出した
「蔦重は『人を動かせる人間』。つまり『流行を作り出す男』ですね。今もそうですが、はやりというのはひとりでに起きるものじゃなくて、『起こす』ものでしょ。出版についても同じだと思う。どれだけうまくプロモーションをするかで流行が生み出される部分があります。蔦重はそんな能力にたけていたと思いますね」
――具体的に蔦重は何をした
「当代きっての人気戯作者だった『朋誠堂喜三二(ほうせいどう・きさんじ)』に別名で洒落(しゃれ)本を書かせたところなんかそうですよ。洒落本というのはちょっといかがわしい本、今でいう官能小説です。それを別名とはいえ、喜三二に書かせることによって洒落本を『娯楽の一ジャンル』として定着させた。こうした目の付け所がすごい」
――売れっ子を見いだす「目」も持っていた
「蔦重のスタートは貸本屋でした。貸本屋は面白い本をそろえないと、借りてもらえません。この当時から〝売れセン〟を見極める目を培っていたのでしょうね」
――江戸期に出版文化を花開かせた立役者
「(蔦重が営む耕書堂は)後発業者でありながら、最大手と目される版元にまで成り上がりました。江戸時代に出版文化を花開かせた立役者のひとりであり、華やかな存在であったでしょう」
吉原生まれ、吉原育ちの環境が“見極め”の源流
――蔦重は、吉原生まれの吉原育ち
「僕が読んだ研究書によれば、養父は吉原の妓楼の主、実の父親も吉原を根城にしていた大道芸人…。蔦重の貸本屋も吉原の女郎が顧客でした。こうした環境は、蔦重に大きな影響を与えたと思います。『人がどうやったら動いてくれるのか』ということを計るのに、歓楽街(吉原)のはやりすたりは、大きなバロメーターになったでしょうからね」
――時代背景が物語のキーワードに。緩やかな田沼意次の時代から一転、寛政の改革で出版業への締め付けは厳しくなる
「これに対して、喜三二らが覚悟をもって(寛政の改革への)批判を込めた文を書く。(それを出版した)蔦重は、ずっと世話になってきた喜三二らを何とか手助けしたいという気持ちだったと思いますよ。それでも、ご政道にかみつくわけですからね。蔦重自身に処罰が及ぶことは覚悟の上だったでしょう」
――山東京伝のように処罰を受けたことで書けなくなった戯作者も
「ショックが大きかったんでしょうね。(山東京伝が)書けなくなって、後の曲亭馬琴が京伝の名前で書いていたという記録があるくらい。京伝や(蔦重が営む)版元の耕書堂が処罰されたことで、次は喜多川歌麿らが描く美人画も処罰されるのではないかと懸念が高まってゆきます」
――歌麿は蔦重が見いだし世に出たが、後にたもとを分かってしまう
「うーん、ここをどう描こうか、と悩みましたねぇ。単純なけんか別れにはしたくない。歌麿は蔦重の死後、再び、耕書堂から絵を出しているんですよ。こうしたことからストーリーが浮かびました。つまり、蔦重は歌麿に処罰の手が及ぶのを防ぐために、あえて手を切ったのではないか。かわいい歌麿を守るためではなかったか、と…。そう考えると歌麿の行動も納得できます」
――ナゾの絵師・東洲斎写楽は阿波藩士、斎藤十郎兵衛だったという説をとっています
「写楽の正体については今も論争はありますけれど、90%以上が斎藤だろう、と」
――写楽の評価についても論議がある
「他の絵師や版元には評価されていたけど、役者絵の買い手である庶民や描かれる方の役者の評判は散々。そもそも写楽は大正時代にドイツ人の評論家が見いだすまで誰も見向きはしなかった。つまりブームは最初からなかったのです」
「人の心は面白い」この視点を大事に書く
――歴史・時代小説の書き手は多い。どうやって差別化を図るか
「自分の武器を踏み外さないことを大事にしたいと思いますね。それは『人の心は面白い』という視点。人を動かすのは心なんです。(本作の)蔦重と歌麿のようにね。そこをしっかりと書いていきたいですね」
――会社員を経て作家になった
「(会社員生活は)21年です。裏方のような仕事が続き、辞めたくて仕方がなかった。じゃあ他にどんな仕事ができるのか? って考えたときに、文章を書くことは少し得意かもしれないって。そのときはプロの作家になれるなんて思いもしませんでしたけどね。会社を辞めることを妻に打ち明けたときは反対されませんでしたねぇ。(会社員生活が辛いことを)分かっていたからでしょうね。これは、ありがたかったです」
『華の蔦重』 集英社・1980円(税込み)
喜多川歌麿、東洲斎写楽、太田南畝、山東京伝、葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一句…。この人もあの人も、「蔦重」こと蔦屋重三郎の手で世に出たり、世話になったりしたというから恐れ入る。江戸時代に咲いた出版文化の担い手となった〝スーパー編集者・出版人〟。時代を駆け抜けた人生を来年2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に先駆けて送る。12月5日発売。
■吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年東京都出身、56歳。横浜国立大学卒。会社員を経て、2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で小説現代長編新人賞を受賞し、翌年作家デビュー。16年『闘鬼 斎藤一』で野村胡堂文学賞受賞。22年『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』で日本歴史時代作家協会賞(作品賞)を受賞した。
(取材・南勇樹/撮影・酒巻俊介)