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剛腕の裏に膨大な知識 渡辺恒雄氏死去 興味持った書籍を〝メートル買い〟政財・スポーツ界で発揮、読売OB「誰もかなわない」

zakzak by夕刊フジ 2024年12月20日 11時34分

読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日、肺炎のため都内の病院で死去した。98歳だった。ジャーナリストや新聞社トップの枠にとどまらず、政財界やスポーツ界でも剛腕ぶりを発揮したが、その裏には「誰もかなわない」(読売OB)という膨大な知識があったという。関係者が逸話を明かした。

渡辺氏の死去を受けて、石破茂首相は官邸で記者団に「偉大なジャーナリストだった。これからの日本国家の歩みについて、まだまだ教えていただきたかった」と語った。森喜朗元首相は、渡辺氏に「君は俺より10歳も若い。もっと頑張れ」と激励を受けたと明かした。

渡辺氏は東京大文学部哲学科出身。在学中に召集され、戦後は日本共産党に入党したが除名処分を受けた。1950年に読売新聞社に入社。政治部で自民党副総裁や衆院議長を歴任した大野伴睦氏の番記者として人脈を広げた。

日韓国交正常化交渉の一環として、1962年に大平正芳外相(当時)が韓国の金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長(同)と合意した対日請求権をめぐる「大平・金メモ」をスクープした。渡辺氏は同メモのたたき台作り自体に関わっていたと明かしている。

記者の会合に国会議員呼びつけも

中曽根康弘元首相のブレーンとして活動するなど歴代首相とも深い親交を持った。社長・主筆時代の94年には「憲法改正試案」を公表した。

政治評論家の小林吉弥氏は渡辺氏について「政治部の中堅時代から記者のボス格で、記者を集めてレクリエーションや料亭での会合を開き、そこに国会議員も呼んでいた。議員も知恵を得る場にしていた」と振り返る。

晩年、カントやヘーゲルを読み返し

青年期に親しんだカントやヘーゲルを晩年も読み返したとされるなど読書家としても知られる。ある読売OBはこう回想する。

「経済、スポーツ、科学、芸能まで関心を持っていた。特定のテーマに興味を持つと関連する本を書店に注文するが、積み上がった本の高さがメートル単位になるので〝社長のメートル買い〟といわれていた。関心分野について担当記者に『教えてくれないか』と電話をすることもあったが、聞くだけでなく自分が新たに仕入れた知識を披露していた。知識と能力は誰もかなわない。これがカリスマ性につながったのではないか」

多くの分野に影響を及ぼしたこともあり、20日の朝刊各紙は産経、朝日、毎日が4ページ、日経、東京は3ページにわたって業績や人物像を伝えた。

読売は1面トップでこそなかったものの、1面の肩と、総合、政治、国際、経済、スポーツ、社会面の計7ページで競うように報じた。

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