「開港150周年」で盛り上がる横浜市の名所・横浜みなとみらいにオープンした「横浜BLITZ」。中森明菜は2009年8月18~21日と同24~27日の8日間、全14回のスペシャル・ライブ「AKINANAKAMORISpecial Live2009〝Empress at Yokohama〟」を開催した。
明菜にとっては06年8月8日の東京国際フォーラム公演以来、実に3年ぶりのステージとあって全公演が大盛況だった。
関係者によると「40代になってからの明菜は、大ホールでのコンサートは自分に合わないと言い出し、ファンと真正面から向き合える身近なライブをやりたいといい続けてきた」。
そんな中、企画されたのが今回のスペシャル・ライブだったが、明菜の「中島みゆきの『夜会』のようなスタイルにしたい」との希望もあり、公演は夜も深い時間(最終開演時間は21時から)となった。
常日頃、明菜が「デビューから私のことをプロデュースしてきてくれた」と言い続けてきた寺林晁氏(当時ユニバーサルミュージック執行役員マーケティング・エグゼクティブ)から、筆者は思わぬ企画を聞かされたことがあった。それは明菜と松田聖子のジョイントコンサートだった。
聖子は1995年に当時のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント(現ユニバーサルミュージック)にソニーミュージック・エンタテインメント(SME)から移籍した。ところが明菜がユニバーサルと契約を結んだ2002年には再びSMEに戻ったが、09年6月に再度ユニバーサルと契約を結んだ。その移籍で動いたのが寺林氏だったといわれる。
聖子と明菜のジョイントコンサート。同じレコード会社である以上、実現化の可能性があるかもしれないが、筆者は寺林氏に思わず「そんなコンサートができるんですか?」と聞き返したことを記憶している。すると「まだ何とも言えないけど」と曖昧な言い方ながらも「東京ドームで2日か、あるいは3日間できないかってね。実はスポンサーもあるんだよ」。
確かに聖子と明菜のジョイントならスポンサーもつくだろう。事実、具体的なスポンサー名も上がっていた。しかも寺林氏の言い方では、すでに明菜には「確認済み」で、あとは聖子次第という状況とも思えたが、この企画が具現化されることはなかった。
一方、大一商会から、パチンコ新機種「CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~」が発売された。「アラフォー世代にもアピールしていきたい」として、明菜の起用は4年ぶりで第2弾。明菜の45歳の誕生日に合わせ2010年7月13日、東京・六本木のラフォーレミュージアム六本木でプレス発表会が行われた。スポーツ紙のパチンコ担当記者は振り返る。
「当時のパチンコホールはまだ活気があり、とにかく新機種のパチンコCR機を待ち望んでいました。そんな中、大一商会は明菜の起用で勝負をかけたのです。しかも、その新機種には明菜本人をイメージしたアニメキャラクター『ちび菜』を登場させたばかりか、新機種用に新曲『CRAZY LOVE』まで用意しましたからね。文字通り『大一が総力を挙げて完成させた』というものでした」
前機種が使用したヒット曲は5曲だったが、今機種は13曲と一気に増量。「明菜のベスト版ともいうべきもの。パチンコを楽しみながら明菜にも会える。まさにアラフォー世代の新機種」と同社の担当者もアピールしていた。しかも「楽曲に合わせて13種類のちび菜が登場するのも大きなポイントとなっていました」。
明菜もプレス発表会に駆けつけ、「いっぱい1位を取っていた時代の明菜ちゃん、いっぱい売れていた時代の明菜ちゃんの歌を楽しめます。パチンコ台に座って、すてきな時間を過ごせてもらえたらいいなと思っています」と新機種をアピールした。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。