英語をまともに話せない日本人夫婦での欧州シニアツアー転戦でしたが、思っていたほど苦労はありませんでした。人生も50年ともなれば、若い時とは違って少しは人情の機微もわかります。経験値とでもいうのでしょうか。
たとえ言葉が通じなくても手ぶりや素振りから相手が何を伝えたいのかは理解できるものです。当たって砕けろ精神かもしれませんが、ジェスチャーと片言の英単語で日常生活もそれほど支障はなかったのです。
嬉しかったのは、欧州のどの国でも珍道中の夫婦を温かく手助けしてくれたり、トーナメント会場では応援して頂けたりしたことでした。イギリスのロンドンで開催された試合では、在英の日本人の方が手作り弁当持参で応援に来てくれて、ホールアウト後に一緒に食べたこともありました。
久しぶりに頬張った日本食、ごはんの味は格別でしたし、日本語で会話できたことで楽しい時間を過ごせました。
それをきっかけに親しくなりリザーブ用に持ち運んでいたキャディーバッグを預かって頂けることになったのです。キャディーバッグの中のクラブは、いわば武士にとっての刀であり、破損したり紛失したりしたのでは戦うことができません。
ハードケースに入れたキャディーバッグ二つに、スーツケースを持っての移動は、本当に大変だったので大助かりでした。
食事に関しては好き嫌いがないので困ることはなかったものの、長いこと日本を離れての転戦ともなると、舌がやっぱり日本の味を恋しがるのです。そんな時は、スーパーマーケットに駆け込んで手に入れられるだけの日本の食材を買い込み、宿泊先のホテルでカミさんに肉じゃがを作ってもらって食べたものでした。食べなれた味はストレスを解消してくれたし、明日への活力にもなりました。
確かに様々な苦労があったことは否めませんが、辛いと感じることはありませんでした。試合を重ねるに従って親しい友人プロが増え、プレーをより楽しめるようになっていきました。
それがルーキー初年ながらシード入りを果たせた要因になったと思います。出会う人々の優しさが有り難かった。本当に感謝です。
(構成・フリーライター伝昌夫)
■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。