ドナルド・トランプ氏の大統領当選が決まった。米国政治は大きく変質している。関税を上げ、移民を排斥し、所得の高くない労働者を守ろうとする姿勢が鮮明である。
世界経済を牽引(けんいん)し、自由貿易を支持し、世界平和を力で支える覚悟と能力を誇示していた米国の姿はもはやない。第二次世界大戦後、米国は世界の富のほとんどを生んでいた。今日、米国の経済規模は世界の4分の1でしかない。
トランプ次期政権は「同盟国軽視」と言われるが、「同盟国は、もっと大きな責任を背負うべきだ」と言うのが次期政権のメッセージである。ウクライナ戦争は、どこかで停戦するしかない、とトランプ・チームは考える。停戦後のウクライナの安全保障は、直近の欧州諸国が面倒を見るべきだと考える。
翻って、トランプ次期政権のアジア政策は異なる。
台頭する中国はすでに日本の4倍の経済規模になり、核兵器を含む大軍拡が進み、南シナ海、中印国境、東シナ海、沖縄県・尖閣諸島と、傍若無人の一方的な現状変更を試みている。
トランプ次期大統領が率いる米国は、アジアから引こうとしているのではない。「全世界の平和は米国一人では支えきれない。これからは『選択と集中』だ。そして、これからは中国に注力する」ということである。
トランプ前政権時代、「自由で開かれたインド太平洋戦略」や「米中大国間競争」を吹き込んだのは、安倍晋三元首相である。前政権で安全保障を担当した高官と話すと、異口同音に「あれは安倍戦略だった」という。安倍氏は、集団的自衛権行使を可能とし、防衛費を1兆円増額した。そして何より、トランプ氏の圧倒的な信頼を勝ち得た。世界最高権力者である米国大統領の口から、安倍氏の考えが流れ出た。
その安倍氏は、卑劣な暗殺者の銃弾によって鬼籍に入られた。トランプ次期政権は、引き続き中国問題に戦略的焦点を当ててくる。日本が最重要な同盟国であるからこそ、防衛努力の一層の強化に関する要求は熾烈(しれつ)であろう。
すでに、岸田文雄前首相の43兆円の防衛費増額も、円安によってドル換算すれば3割以上目減りしている。135兆円の軍事費で世界を支えている米国からすれば、7兆円強の日本の防衛費は物足りない。
「台湾有事で甚大な損害を被るのは日本ではないか」「コロナ対策で100兆円ばらまいたくせに、戦争抑止の費用をケチるのか」「中国抑止のためには、日本の防衛費はGDP(国内総生産)3%でも足りない」といった声が、すでにワシントンで大きくなってきている。
■兼原信克(かねはら・のぶかつ) 1959年、山口県生まれ。81年に東大法学部を卒業し、外務省入省。北米局日米安全保障条約課長、総合外交政策局総務課長、国際法局長などを歴任。第2次安倍晋三政権で、内閣官房副長官補(外政担当)、国家安全保障局次長を務める。19年退官。現在、同志社大学特別客員教授。15年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章受勲。著書・共著に『日本人のための安全保障入門』(日本経済新聞出版)、『君たち、中国に勝てるのか』(産経新聞出版)、『国家の総力』(新潮新書)など多数。